今の世の中、情報が入り乱れ、問題が山積して、考えれば考えるほど疲れます。短期的には考えない方が楽かも知れませんが、長期的には良く考えしっかりした自分の意見を持つこと、それを表現することを止めてはいけません。止めれば、そのツケは必ず私たちに回って来るし、その時はもう手遅れなのですから。

 ところで、昨日掃除をしていたら、2005年8月27日付の西日本新聞の是枝裕和監督(ドキュメンタリー番組を多く手がけ、2004年の監督作品「誰も知らない」で柳楽優弥君が換羽国際映画祭で史上最年少の最優秀男優賞を獲得したことで、有名。)のインタビュー記事を見つけましたので、その一部を紹介します。


(小泉政権の発足から4年が経つのに、支持率が歴代内閣に比べて依然高いと言う記者の指摘に対して)

是枝監督 「分かりやすいからでしょうね。キャッチャーだから。ただ本質じゃないと思う。それだけ物事を考えたくないっていう人が多いということ。考えないほうが楽だから。でも、そうなったときが一番危ないんだよ。」

(人々が単純化しているのか。と言う記者の問いに対して)

是枝監督 「活字離れが大きいと思う。一般的に、映画やテレビの世界でも、複雑なものはどんどん切り捨てられていく。分かりやすさが市場価値。そういう傾向は加速度的に進んでいます。映画でも、多くの人が足を運ぶのはラブストーリーや善悪明快なもの。中略。本来、多様な価値観の人間が共存していくことで社会が豊かになるはずなのに、逆に、異物を排除していく動きがこの十年、すごく進んだ。中略。石原新太郎知事が中国を非難して平然と差別的な発言をしても、大きな反発が市民から出ず、選挙で彼に三百万人以上が投票する。そのとき、誰かが心を痛めていると言うことに想像がいかない。中略。作り手、新聞などの伝え手が、複雑なものが切り捨てられる状況にいかに抵抗していくかが、課題です。あきらめないことだと思いますよ。」


 このインタビューは、総選挙前に行われました。衆議院選挙の結果を受けて、上記の状況は更に悪化しています。欧米の大学では、複雑な難しい問題を学生が議論することは日常茶飯事です。日本も1960年後半に、同様の状況がありましたが、今はもうありません。議論もなしに付和雷同するのであれば、他のアジア諸国が恐れを抱いても当然と思われます。よく考え、お互い自分の意見を述べた上で、折り合っていかなければならないと思います。対立は一般の市民には利益を生みませんし、それで得をするのはほんの一部の人々だけなのですから。

山口実

沈思黙考するシロ