昨日寄付を支援してくれた元同僚のY君がバンクーバーで人質仲間のO君と一緒だったと言う話があり、消息を教えてくれた。ちょうど15年前人質生活から解放された日だったのでとても奇遇に感じた。

 奇遇と言えば、帰国して2日後体調を整えるため岡山へ帰郷した新幹線の自由席車両で、中年の女性に声をかけられた。「失礼ですが、イラク人質だった山口さんではありませんか。私はあなたと一緒に拘束されていたYの母親でございます。昨日テレビでお顔を拝見していたので、分かりました。息子が大変お世話になりました。」「ひょっとして、T子さんですか?」もうびっくり。偶然乗った自由席の後部座席にいつも一緒に励ましあっていたY君のお母さんのT子さん(人質当時NHKが人質の家族からにメッセージを送ってくれていたので、お母さんの名前を知っていた。)が座っていたとはーーー。

 もう一度は、4年半のインドネシア駐在から帰国し、出社した翌日福岡ハイヤット・リージェンシーでNEDOの風力発電の会議に出席し、急いで乗ったタクシー。九州支社のビルの名前も良く覚えておらず、「三井ビルNO.2お願いします。」「ああ、三井ビル2号館ですね。」「そうです。インドネシアから帰ったばっかりで。」と女性の運転手さんが「私の夫もインドネシアのT芝さんの仕事で、現場に行っておりました。」「T芝さんなら、私もクウェートにいた時懇意にさせて頂いていました。」「私の夫もクウェートにいました、イラクで人質でした。」「エーッ、お名前は」「Mと申します。」「同じ三井グループで肉味噌をご馳走してくれた沖縄出身のMさんだ。」

 商社マンとして世界を駆け巡っていると、いろんな所で懐かしい人に会った。でも、こんな奇遇はめったにない。やはり、角松ちゃんがいつも言う「一期一会」を大切にしなければならない、会った人には出来るだけ優しくしなければならないとしみじみ思う。

 そして、今日書き込みを角松ちゃんのファンの方から書き込みを頂いた。「主人の従兄が人質で、中曽根首相と帰国しました。」

山口実