別のブログで、ミラクルバナナは「映画である意味があるのか。テレビやインターネットでも良いのではないか」と言う議論がありましたので、下記のコメントを書き込みました。皆さんも考えてみてください。


「映画である意味」
1.テレビの限界:
A)時間:一つは先日の角松チャンの大学での講義にヒントがあると思います。彼は、「テレビは放送時間に拘るので突発事故を恐れて殆ど生返送をさせない。自分は機械で出来る音楽ではなく、生演奏に拘る。」と言う趣旨のことを言いました。
 「テレビでやるために2時間で収める」と言う発想は錦織監督のような一本筋の通った監督にはないのではないでしょうか。
B)日常性:また、テレビはスポンサー探しのために大衆に媚びる体質があります。「奇想天外なところのない」企画にテレビ局が乗ってくるでしょうか。テレビには日常の平和や幸せをを尊ぶところが欠けていると考えます。(一方で、争乱の悲惨さを正面から伝えることもしません。)
c)大画面と音響:映画の大画面映像と音響の美しさや迫力には、やはりテレビは勝てません。
2.インターネット
双方向の通信、情報の速さと言う面ではインターネットは他の追従を許さないと思いますが、この映画や映像・音響の美しさをインターネットで果たして表現できるでしょうか。


文字数の制限があったので舌足らずのところもあるのですが、簡単・安易(無難)・スキャンダラス・スポンサー重視と言ったテレビの欠点に侵されず、スケールの大きい独立系の映画の良さも見直してみる必要があると考えます。

山口実