今日は初めて九州国立博物館へ行って参りました。立派な建物の博物館でした。いろいろな展示品の中で、個人的には唐三彩の壷がとても気に入りました。博物館内は金曜日なのに相当混んでいて、一ヶ所に長く留まる事は出来ませんでした。多くの人が来場して欲しいと願う一方で、土日はどれほど混むのかと心配になりました。


 さて、この博物館の展示を見ていると、やはり九州がアジアの中の九州であることが良く認識できます。長い歴史の中で、このようにアジアの国々と仲良く文化を共有し育んできた日本が、米国ばかりに偏ってしまっている現在の状況は、やはり異常と言わざるを得ません。

 

 博物館からの帰り道、文化と文明の違いに就いてずっと考えていました。そこで家に帰ってきて、あらためて三省堂の大辞林を引いてみました。曰く

文化1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。

文明〔civilization〕(1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。「オリエントの―」 (2)人知がもたらした技術的・物質的所産。「―の利器」

 やはり、文化は多分に精神的であり、文明は技術的・物質的であると定義出来るようです。


私は、現代の日本の人々にとって、日本の文化や歴史を再度見直すことが大変大切だと考えます。それは取りも直さず、アジアの中の日本を問い直すことになるのです。つまり、多分に技術的・物質的である西欧文明に対し、精神的な東洋文化を見直して行くことが肝要だと思います。そうすれば、私が良く言う農耕民族の融和が生まれると思うのです。


 一方で、私は日頃から民族主義は国際協調主義と両立すると皆さんにお話しています。自分の民族の文化や歴史に誇りを持つことなく、国際人たり得ないと確信しているからです。もちろん、この民族の誇りは、皮相な国家主義や愛国主義とは相容れない、相手の民族の誇りも同時に尊重するスケールの大きなものであると考えています。


山口実