地震の衝撃でハードディスクが事切れる寸前で、二日がかりでようやくバックアップデータを取り終えました。また3日間東京に行っておりましたので、久しぶりの書き込みです。  
 東京では母校の同窓会の支部長会と総会に出席したのですが、2日早く行って、以前勤めていた会社の旧友達を訪問しました。  
 大学の同窓生に会えたこと、懐かしいキャンパスを10数年振りに訪れたことも、とても感激でしたが、入社当時からの親友に数年ぶりに会って夕食を共にしたこと、彼の奥様に30年振りに会えたことが今回のハイライトでした。  
 彼とは入社当時の2年間仕事中以外は殆どいつも一緒で、気心の知れた兄弟のような親友でしたが、お互いに東京と海外を往復しだしてからは、すれ違いが多く手紙や電信・電話で連絡は取るものの会う機会が少なくなりました。でも、彼が一番最初に海外赴任したのはインドネシア、そして最近はカナダ、私が最初に出張したのがカナダ(その後一時赴任も決まっていた)、そして最後がインドネシア。何か縁みたいなものを感じていましたし、離れていても親友は親友。  
 1990年に私ともう一人の同期の親友がイラク人質と交通事故で生と死の間をさまよっている時、彼には大変な心配をかけました。そんな彼が数年前脳溢血で倒れ、一時は重篤な状態でしたが、9ヶ月の闘病生活の後に死の淵から生還しました。今回奥様から家族の不安や心配に就いてお聞きし、一緒に泣きました。  
 私もゲリラの攻撃、自殺未遂、交通事故、人質事件、暴動を経験し、普通なら死んでもおかしくない状況を生き延びてきました。今回の福岡県西部沖地震も、もう少し強く長い地震であれば、どうなったか分かりません。  
 インド洋大津波でも、第一波の津波で岸に打ち上げられた魚と戯れていた子供達がたくさん第二波の津波にさらわれました。一方倒れなかった木にしがみついたり、かろうじて助かった人もたくさんいます。  
 死と生の境とは何なのでしょう。単なる偶然なのでしょうか。真剣に考えてしまう今日この頃です。何れにしても、自然を破壊したり、武器を振り回したり、自らが死を招く行為は慎みたいものです。  
 ところで、今回親友と歩いていてつくづく感じましたが、日本にはなんとバリヤーの多いこと。大きな橋や道路や空港や箱物を建てるよりも、人に優しい街作りを進めることが肝要であると再確認しました。  山口実