私の家は母子家庭だった。
私を1人で養えるわけもなく
母方の祖父母の家で私は育った。
父親という存在は幼い頃からなく
ただ額縁の中に父はいた。
遠くに住んでいる父に会ったこともあったが
そんなことも数年に1度に数日間という感じ。
母は働きに出ていて
私は祖父母に育てられた
ご飯を作ってくれるのも
シツケをしてくれるのも
雨の日の学校の送り迎えも
授業参観もP.T.Aも
全部、祖父母が担っていた。
母とどこかへ遊びに行ったり、買い物をした記憶はあったが、育ててもらったという感覚はあまりなかった。
ただ、ほとんどNOを言う母ではなかった。
なにも言わずに見ていて、失敗したら
ほれみろ
何事も失敗させて身をもって経験させる教育だった。
勉強しろと言われたこともない
テストで点数が低いと
勉強してないんだから、そりゃそうなるでしょ
とだけ。
こうも言っていた
学校の成績なんて人間を見るモノサシのほんの一部。
そんな所でしか人を判断出来ないような人間になるな
お陰様でまるで勉強しなかった。
学校の勉強にまるで興味がなかった
私にとって学力も学歴も、そんなものどうでもよかった。
10代の私には
生きるために必要なのは
学力でも学歴でもなく
誰もが怖がる存在になることだった
学生時代の私は
地元の名が通った不良の彼女という
安全なポストについていた。
誰も逆らわない
誰も文句を言わない
誰もたてついてこない
平穏な日々を過ごせた
中学卒業と同時に結婚して
その安心なポストを永久に確保しようかとも思っていた。
今思えば、なんて安易な考えだったのか。
私のその安易な考えは
残念ながら3年で破綻した。
私は後ろ盾を全て失い
家出して転がり込んでいた居場所さえ失い
真冬の夜に放り出された。
歯を食いしばって
生きるために、渋々実家に戻った。
その後は、同じことの繰り返しだった
家にいたくない
転がり込む先を見つける
面倒くさくなる
実家に戻る
また家にいたくなくなる
転がり込む先を見つける
高校時代は居場所を転々とかえ
夜の闇の中で悪友たちと過ごした
定時制高校に通い
働いて稼いだお金は全て自分のお小遣い
まぁ羽振りの良い高校生活を送っていた
自由に遊び回り
花から花へと飛び回り
いつもなにか楽しいことはないなと考えていた。
夜のバイパスを暴走してみたり
暴走族を追いかけまわしてみたり
峠を爆走してみたり
ネオン街を朝まで飲み歩いたり
気づけば周りは
悪さばかりする悪友たちばかりだった
さすがに前科者とは距離を置いたが
保護観察のついたもの
壁の中と外を出たり入ったりするもの
とにかくいろんな人がいた
そんな毎日は刺激的で
いつも事件が起きて
飽きなかった
だいたいここらのガラの悪いのはみんな知り合い…なんてそんな感じ
いつのまにか後ろ盾なんてなくても
堂々と闇の中で生きていた
私は手を汚さない
ただただ闇の中で起る事件を面白がって見ていた。
私が不良と呼べるのか
私には判断がつかない
前科なんてないし
法律に触れることなんて、24時間で時効になることぐらい
ピアスもあけてなければ
刺青なんてもちろんない
髪も仕事でしか染めた事がない
だけど、なぜか不良と呼ばれていた。