お気に入りの動画
AIに向かっていく人類の運命が理論的に語られているので肉体と言う厄介な器に閉じ込められているにも拘らず、悲哀を感じなくてとても良い。お釈迦様と世紀のテクノロジー。
Aiに向かっていく人類の生命体が情緒的で、思考で辿って行くとあまりにも辛すぎる。
勿論、発信者は人々を苦しめている左脳で起こる思考から解放させてあげたいと願っているのですし、ご本人は秒単位で至高の歓喜の中で生きていらっしゃるのですが・・・。
広大な宇宙、今、人が目で見ることの出来る星空でさえ気の遠くなるような広大無辺と思えるのに、それらを超えた宇宙が、おそらく数で言うと見える世界の𥝱とか秭とか否々、数であらわすこと自体が無理な世界が広がっているのだと思います。
声だけで楽しい完璧な音楽。個人ではどうしようもない人間の生活をあらゆる角度で捉えて説明してくれるのが楽しく面白い。なんせバイエンスが可愛い。とてもカワイイ。
色々な世界が少しずつでも見えてくるような良い動画です、裏事情やら、細かな事情が一緒に歩いているみたいに紹介されていて、しかも考え深く紹介されていてとても良い動画。
昔々あるところに・・・。
折りたたまれて存在している世界があったらしい。
そんな中の一つの存在としての
自分自身について
愚痴とか・・・。
結局のところ、何一つ解明できないままこの肉体からは何とか解放されていって、つまるところ・・・解放されたことにも気づかず、自分が何だったかさえ知らず、すべてが終焉になったことも知らないでいる。そんな存在であろうことはほぼ間違いない。
無論この間違いないという認識すらも甚だあやういものであることも間違いないだろう。
思い出すことは、まだ小学も低学年の頃、今では見ることも無い幻燈機でオーロラを見た初めの日に「あんな綺麗な世界に行ってみたい。」と願った。子供ながらにとても生きていられるような状況ではなさそうなので其処で死んでもいいと思っていた。
何ともぼやけた映像なのだが、私の心の中ではあまりにも美しい幻想世界だった。
後日、何処だったか忘れたけれど夜間飛行中に、空にはずっとオーロラが見えていたけれど、あの幻燈機に比べると色数も幅も物足りないものだった。
若い頃は、言うなればあまり嬉しくない人生が延々と続いた。自暴自棄とか絶望とか陰鬱とかそう言った言葉が反映された世界を生きた。子供の頃の原始的な生活とは違った都会に出て、世の中の知性の結集した社会システムを見た時、自分はこんな世界を生きるのは無理だと思い、おまけになんだか嘘っぽい、何かしら騙されているような気分にもなった。
でも、こうして人間世界で、家族を持ち74歳の今日までを生きて、今までもそうだったし、これからもそうなのだろうけれど特に何を望むでもなく、ただ生きるということを繰り返し悲しみもせず、喜びもせず、体が動かなくなる日を待つ。
そして、この宇宙とか言う曲者はお釈迦様でさえ知らない、知り得ない世界なのだと思う。
ワンネスでも知り得ない世界。
知ることの出来ない世界で私たちは生きている。
しかし、人間の考えること、想像することはすべて在る。
個々人の思考の産物、個々人の心にそうだと信じていることのすべてが実現しているのが此の世界のような気がしないでもない。
そして、最後にわたしだけが在る。
人間の中で左脳的見解で価値基準を測ると、自分は存在意義ほぼゼロ、知性ほぼゼロ、でも有難いことに現実は確かにあって、生きていられる場所がある。と言うことはやはり人間は肉体で繋がっていて、生命は未来永劫に存在するということらしい。
自分が若い頃、行くところがない。居場所がない。と何故苦しんでいたかと言うと、其れは左脳の陰謀(笑)だったと今は思う。
母は割に拓けた考え方の女性だったけど「激動の時代を生きた。」と自分の生涯を語っていたが、もし母の生きた時代と今を比較するならば母が去った後、30年の間に起きた変化は激動という言葉ではとても表現できない。私の母が生きた10年は、今ならばわずか1年の変化だと思えるし、おそらくはもっとかも知れない。
大正から昭和への変遷と昭和から平成令和へと続く世界の変化はただただ同じ時間が流れているとは思えない。私は子供の頃、石油ランプと囲炉裏端の生活だったし、其の後が裸電球と電気炊飯器・・・そうして時間は過ぎて、今や仮想世界がこの世の真実に繋がっている。
宇宙は無限ループを繰り返し、人間がどんなにどんなに頑張っても此処から逃れることは出来ない。
昔々あるところに・・・。
折りたたまれて存在している世界があったらしい。
再び投稿されたパパジの動画