花にみる日本人のこころ | 狂いっぱなしの毎日

花にみる日本人のこころ

卒論の仮テーマを提出しました。
なんだか、結局「お花」になりました。
昔は
「花なんて飾ってもすぐに枯れるんだから、飾らない方が良い」
って花屋の孫らしからぬ事を言ってたのに。
人間変わるねー(笑)

続きの文章は提出したレポートの概要部分です。


今のところ卒論は、文献調査+制作の予定。
花を活けて写真に撮ってまとめようと思ってます。
あと、出来たら人間とお花の写真を撮りたいんだけど。。
これは、上手く行ったらで。
ある本に、

「初めて花を立てた人の文献として残っているのは日本書紀に書かれている天鈿女命(あまのうずめのみこと)ではないか」

っていうのがあって。
天岩戸に隠れた天照大神を出すために、天鈿女命が体に草木を飾り立って舞ったっていう話があるんだけど。それは天鈿女命は自らが花となって立ったんだっていうのを読んで。やってみたくなりました(笑)
モデル募集中★
頼まれた人は逃げないで下さいね(笑)





 私はずっと日本人の心の動きに関心があった。私たちの祖先が何を見て何を感じてきたのか。何を信じて信仰し、何を伝えてきて、今の私たちの世代に何がどのように受け継がれているのか。
 これらを知るために、私は日本人の自然観が大きな意味を持っているのではないかと考えている。日本人は無宗教だとよく言われているが、私はそうは思わない。日本人は山や川、火や水、土、草木、花、風、春夏秋冬の巡る季節の中に人間の力を超えた神の存在をみてきたのではないだろうか。
 「日本」という国が出来る以前から、「日本人」という連帯感が生まれる以前から、日本人は自然を身近に感じ親しみを覚えると同時に、自然を畏れ敬ってきたのだと思う。自然とどのように接し、神とどのような関係を築いてきたのかを知ることによって、日本人の心のありかたが見えてくるのではないか。
 そこで私は、自然の中でも人々の暮らしの中に根付いている「花」を視点にして調べたい。いけばなの伝統、茶道との関わり、それらに見る宗教観や世界観。年中行事や生活の中に生きている花、宗教的に使われている花を調べていくことで日本人が何を感じてきたのかが分かるのではないだろうか。また私自身、2004年から華道を習いはじめたので、花に接することで何を感じるか、何が見えてくるのかも感じた事を残していきたいと思う。
 花屋を営んでいる私の祖母が言っていたのだが、花に関心を持つことで季節に敏感になり、日常生活が楽しくなると言っていた。雪解けを割るようにフキノトウが顔を出すと春の訪れを感じ、ラベンダーのにおいや向日葵の花に夏を感じ、紅葉が色づき花が枯れてくると秋を感じ、雪がつもり真白に染めると冬の訪れを感じた。現在の日本人は暦の上でしか季節の訪れを感じることが出来なくなっているが、祖母の言葉に本来は自然の移り変わりの中に季節があるということに気付かせられた。
 花を知り、自然を知ることで、日本人が伝えてきたものだけではなく、現代を生きる私たちが忘れている感覚や感情なども思い出すことが出来るのではないだろうかと考えている。