毎日新聞より、以下の記事を読んで考えたこと。
この記事は、風力発電の風車のブレードに激突して死亡する鳥類が後を絶たず、その対策のための原因調査の結果報告を簡単に纏めたものだ。
記事の内容を簡単に纏めると、『死んだサケなどの餌を撒いた場合とそうでない時とで、飛行中のオジロワシの視線が下を向く時間の割合を302羽について観察し、成鳥ではそれぞれ18.3%と6%だった』、という調査結果の報告だった。
この記事を読んで、そりゃあ空にそんな障害物は普通無いもんな、という感想を持った。
記事の内容で気になったのは、『成鳥では』という括りだ。
裏を読むと、まだ幼い鳥はこの数値がぶれていたのではないだろうか。
要するにこの餌を見つけると18%、見つけていない時に6%という数値は、そのオジロワシが成長していく過程の中で自然と身に着けた技術なのだろうと思う。
自分が車を運転するときも、ある程度の時間は正面だけでなく後ろや歩道、景色などを注視している時間は有るし、特に危険そうな状況や、飛び出してくるかもしれない歩行者・自転車等を見つけるとそちらに強く注意が向く。
車などでは相手がこちらに配慮してくれたり、そういった優しさがある程度期待できるが、自然の中など全くそうではない訳で、その環境で培われた、この周囲への注意の配り方は人間のそれよりも、もっと生存のために具体化された数値なのではないだろうか。
だからこそ、何も無かった所にいきなり出来て、当たる確率が低く、かつ当たれば学習の間も無く死という、風力発電機へのバードストライクは減らないのだろう。
最適化されてしまった形は、環境の変化に弱いものだ。
記事は「オジロワシなど野鳥は獲物探しに夢中になって風車の羽根に気付きにくいのではないか」という結論で纏められているが、これは少し人間に寄り過ぎた解釈に感じられる。
風力発電機を作った時には人間の視点しか無かった。
今は結果として鳥の視点が見えている。
もし鳥の保護に力を割くなら、もう少し鳥の視点を考えるべきではないかと、自分は思う。