自分は、情報はいつだって中立で、それを歪めているのは自分自身、個人の感性だと考えている。
例として、最近話題になった、犯人は同人誌の真似をしたという性犯罪をとる。
この「犯人は同人誌の真似をしたという性犯罪」という情報は、状況の説明でしかないが、人間はこの情報の解釈に、自分自身のイメージを用いる。
つまり、この情報を見た時に、反射的に何かしらのイメージを抱いているということだ。
そのイメージは、「同人誌を読んで犯罪を犯したんだから同人誌が悪い」だとか、「犯罪者が何を言おうが犯罪者が悪い」だとか、人それぞれだろう。
しかし、「犯人は同人誌の真似をしたという性犯罪」という情報には、何がどう悪いだとか、そんな情報は含まれていない。
善悪や事象の相関は、そこに研究といった絶対的なデータが無い場合には、個々人の価値観による印象としてしか存在しない。
ここで注意したいのは、中立である情報に勝手な解釈を与え、それを基に批判を行ったり、何かしらの権利を制限しようとしたりするのは、全く正当性の無い行為だということだ。
個人の解釈と情報とは、同一のものではない。
その情報から個人が感じた因果関係は、それを証明する情報が無い限り、個人の主張の範囲を出ることはない。
そして、個人の主張は絶対ではない。
個人の解釈と絶対的な情報とを取り違えた主張は良く目にするが、情報の中立性を無視した主張を押し通そうとすることは、そのメリットよりも弊害の方が大きくなる。
何故なら、その情報に対して反対方向の解釈を持った人間を大きく無視することになるからだ。
客観視を心がけるなら、情報を中心に置き、その周りを回るように考えるのが良いだろうか。
