~デモラン直前!の、マツダ787B♪
↑~4ローター独特の、甲高い!
ロータリーエキゾーストサウンドに、ワタクシ!
本当に心底シビれ捲りましたよ~♪(゜∇^d)
=レジェンド・ドライバー は、勿論!!
『☆ミスター ル・マン!!』
往年のマツダ ワークス・レジェンドドライバーで在った
↓=☆寺田陽次郎さん ですよ~♪
☆We Won The Day MAZDA 787B
1991年のル・マン で優勝した!
唯一の日本車
☆マツダ787B とは?
~伝説のマシンに於ける、感動の歴史を振り返る
1991年ル・マン24時間耐久レースにて
↓優勝した、唯一の日本車・マツダ787B!
~25年前!の マツダ787Bが、なぜ 未だに語り継がれる 伝説のマシンであるのか?
その、歴史的偉業と 今を綴ってみたい
と思います。
激戦の末、日本歓喜の瞬間へ!
~激闘の24時間、攻め続けるマツダ787B。
1991年ル・マン24時間レース スタート!
レース開始からトップを先行する
メルセデス勢は先手必勝の逃げ切り戦略です。
後に続くジャガー勢は燃費を気にしながら粘るように続き、後方から追う形になったマツダ勢上位の787B(55号車)がレース開始1時間後に11位と堅実にトップを追いかけました。
マツダ787Bは、車体の軽さと高いスピード維持、そして燃費のバランスの良さでじわじわと上位に迫りました。
もはやメルセデス3台の完全優勝の空気の中、開始10時間後にメルセデスの1台が事故でピットインして10周後ろに後退します。
レース開始 ~12時間後。
燃費を気にしながらメルセデス勢の後ろを走るジャガー2台を追い抜き、ここでマツダ787Bが3位に浮上します。
ここに来てメルセデスに異変?
マツダの猛追に焦りを感じ、必要以上の
ハイペースで逃げるメルセデスにトラブルが続出。
13時間後には2位に浮上することに成功します。
実はこのとき、無謀とも取れる787Bのハイペースに、チーム内でも表彰台すら逃しかねないと抗議が飛び交っていたようです。
そのときのエンジン担当者の強気の一言。
「我々のエンジンは壊れない!」
猛追撃の手を絶対に緩めない!
強行戦略に出ました。
暫定1位のメルセデスも煽られるように
ハイペースで逃げる展開になります。
レース開始 ~21時間後。
トップのメルセデスがオーバーヒートと
ミッショントラブルで脱落し、ついにマツダ787Bが攻め続ける走りでトップを奪います。
カーナンバー55番、マツダ787Bロータリーエンジン
日本のマシンが史上初めて、ル・マンをリードします。
そのままル・マン24時間レースは燃費に問題のあったジャガーが追いつくわけもなく
マツダ787Bはチェッカーフラッグを迎えました。
自分たちの技術力とチームを信じる
ゴールまで残り20分の時点でタイヤ交換でピットインした際に、既に一時間半も走り続けた当時F1ドライバーのジョニー・ハーバートを交代させず、信じて続投させました。
その結果、ジョニー・ハーバートは脱水状態に陥り表彰式にも出れない程に衰弱してしまう結果となります。
非常に過酷な耐久レースである上に、必ず勝つと言う気迫に満ちた攻め
マツダワークスの技術力とチームを信じたレース戦略で!
☆787B(55号車)は、日本車初の総合優勝!!
↓=ル・マンの王者に輝いたのです。
ル・マン 優勝時のデータ
周回数362周 4923.2km
平均速度 205.333km/h
レース時ベストラップ 3’42.958
もう1台の787B(18号車)は総合6位
787(56号車)は総合8位でした。
↑~4ローター独特の、甲高い!
ロータリーエキゾーストサウンドに、ワタクシ!
本当に心底シビれ捲りましたよ~♪(゜∇^d)
=レジェンド・ドライバー は、勿論!!
『☆ミスター ル・マン!!』
往年のマツダ ワークス・レジェンドドライバーで在った
↓=☆寺田陽次郎さん ですよ~♪
☆We Won The Day MAZDA 787B
1991年のル・マン で優勝した!
唯一の日本車
☆マツダ787B とは?
~伝説のマシンに於ける、感動の歴史を振り返る
1991年ル・マン24時間耐久レースにて
↓優勝した、唯一の日本車・マツダ787B!
~25年前!の マツダ787Bが、なぜ 未だに語り継がれる 伝説のマシンであるのか?
その、歴史的偉業と 今を綴ってみたい
と思います。
激戦の末、日本歓喜の瞬間へ!
~激闘の24時間、攻め続けるマツダ787B。
1991年ル・マン24時間レース スタート!
レース開始からトップを先行する
メルセデス勢は先手必勝の逃げ切り戦略です。
後に続くジャガー勢は燃費を気にしながら粘るように続き、後方から追う形になったマツダ勢上位の787B(55号車)がレース開始1時間後に11位と堅実にトップを追いかけました。
マツダ787Bは、車体の軽さと高いスピード維持、そして燃費のバランスの良さでじわじわと上位に迫りました。
もはやメルセデス3台の完全優勝の空気の中、開始10時間後にメルセデスの1台が事故でピットインして10周後ろに後退します。
レース開始 ~12時間後。
燃費を気にしながらメルセデス勢の後ろを走るジャガー2台を追い抜き、ここでマツダ787Bが3位に浮上します。
ここに来てメルセデスに異変?
マツダの猛追に焦りを感じ、必要以上の
ハイペースで逃げるメルセデスにトラブルが続出。
13時間後には2位に浮上することに成功します。
実はこのとき、無謀とも取れる787Bのハイペースに、チーム内でも表彰台すら逃しかねないと抗議が飛び交っていたようです。
そのときのエンジン担当者の強気の一言。
「我々のエンジンは壊れない!」
猛追撃の手を絶対に緩めない!
強行戦略に出ました。
暫定1位のメルセデスも煽られるように
ハイペースで逃げる展開になります。
レース開始 ~21時間後。
トップのメルセデスがオーバーヒートと
ミッショントラブルで脱落し、ついにマツダ787Bが攻め続ける走りでトップを奪います。
カーナンバー55番、マツダ787Bロータリーエンジン
日本のマシンが史上初めて、ル・マンをリードします。
そのままル・マン24時間レースは燃費に問題のあったジャガーが追いつくわけもなく
マツダ787Bはチェッカーフラッグを迎えました。
自分たちの技術力とチームを信じる
ゴールまで残り20分の時点でタイヤ交換でピットインした際に、既に一時間半も走り続けた当時F1ドライバーのジョニー・ハーバートを交代させず、信じて続投させました。
その結果、ジョニー・ハーバートは脱水状態に陥り表彰式にも出れない程に衰弱してしまう結果となります。
非常に過酷な耐久レースである上に、必ず勝つと言う気迫に満ちた攻め
マツダワークスの技術力とチームを信じたレース戦略で!
☆787B(55号車)は、日本車初の総合優勝!!
↓=ル・マンの王者に輝いたのです。
ル・マン 優勝時のデータ
周回数362周 4923.2km
平均速度 205.333km/h
レース時ベストラップ 3’42.958
もう1台の787B(18号車)は総合6位
787(56号車)は総合8位でした。