大学の受験勉強から逃げて無試験の通信制大学に入り、

その後は社会に出る事から逃げて半ニート・フリーター・

派遣社員の路を辿った私ですが、

いざ、自分が社会の輪の中に入りたいと、

今更虫のいい事を言い出しても、

今度は社会の方が、私から逃げていくのを感じました。

 

そう、先日のブログに書きましたが、

リーマンショック真っただ中での派遣契約終了です。

 

 

 

実はこの直前に、家業で福祉施設を営む友人から、

事務の人が辞めるかもしれないので、

その時は声を掛けるかもと言われていたのです。

 

その話はその後、いつの間にか立ち消えになりましたが、

派遣社員としての生活が終了し、今後の生き方を考えなくては

いけなくなった時、そういえば昔、自分は社会福祉方面の進路を

考えていた事があった事を思い出しました。

 

2008年から2009年に掛けて開設された、

年越し派遣村の光景がありました。

 

その時、手厳しいネット界隈を中心に、

「失業してすぐに住居をなくすような奴は自己責任じゃないのか」

というような意見が散見されました。

 

まあ確かにそれも一理あります。

 

ただ、困っている人がいるのであれば、

取りあえずは助けてあげるのが正しいのではないかなと感じたのです。

 

その人を責めるのは、その後からでも遅くはないでしょう。

 

目の前に溺れている人がいたら、

恐らくほとんどの人は、どうにかして助けるための行動に出るはずです。

 

自ら水中に飛び込んだり、救命具を投げたり、助けを呼んだりと。

 

例え溺れた理由が、自分の不注意で水中に落ちたのだとしても。

 

もしかしたら、折角助けたとしても、

「助けてくれなんて頼んだ覚えはない」

などと悪態つかれてしまうかも知れません。

 

「助けなきゃ良かった」と、率直に思ってしまう事もあるかも知れません。

 

それでも、助けずに見殺しにした方が、

助けたのに悪態つかれるよりも、

よっぽど後味が悪く、後悔するはずです。

 

だから、年越し派遣村に助けを求めに来た人は、

とりあえず助けてあげる、が正解だったのではと思ったのです。

 

自分も年越し派遣村に行っていたのかも知れない。

 

他人を助けるという事は、自分自身も助けられるかも知れない。

 

そう思った時、事務ではなく、どうせなら福祉の道を改めて目指し、

支援の最前線に立ってみたいと思ったのです。

 

 

 

最初の大学卒業後、4年間は登録制バイト生活、

その後の9年間は派遣社員生活を送った私。

 

人生としては遠回りですが、その中で体験した事の中で、

色々考えさせられる事も多かったです。

 

登録制バイトでは、工場へ行かされる事が多かったのですが、

そこでは何度か、従業員同士の暴力トラブルを目の当たりにしました。

 

工場で働いている方は、障害を抱えている方も多く、

今にして思えば、障害者が働くという現場の一端を

垣間見ていたんだなと思います

(それでも企業にきちんと就労できている障害者の方々は、

幸せな部類に入るという事も後で知る事になります)。

 

派遣社員では、時計の電池交換で外回りをしていた時、

某東京近郊の昼下がりの駅前がお年寄りばかりだったのを見て、

高齢社会(現在は超高齢社会)というのを初めて実感しました。

 

その同じ職場で、数か月だけ一緒に働き、

挨拶するタイミングもなく退職していった中年の方がいらっしゃいました。

 

メールアドレスは交換していたので、メールを送ったのですが、

すぐに返信があり、これから先は給与が減ってしまう事と、

違う仕事のあてがあるので退職したという事が書いてありました。

 

技術職の方だったので、そのメールには

「袋小路さんも手に技術を持ってください。

これから先何があるかわかりません。

でも、技術を持つと心強いですよ」

とありました。

 

とある職能団体の事務員となった時は、

専門職という存在の重要さについて考えさせられました。

 

最後に派遣された職場では、接点はほぼなかったのですが、

アルバイトの女性が学生になるからという理由で辞めたという事を聞き、

今から学生になってみるのもありなのかなと思いました。

 

こうして見ると、人生としては貴重な時間を費やしましたが、

福祉従事者になる土台は作られていたのだなと思うと、

決して無駄ではない時間だったと思います。

 

 

 

つづく真顔