行った事のある建造物などが、今はもう存在しないという事は、


その場所が近所であれ遠方であれ、良くある事だと思います。


私のアルバムの中から、今は昔となってしまった風景を、


ご紹介したいと思います。




私はプロ野球を生で観戦した経験は、恐らく10回あるかないか程度ですが、


野球を行っていない時の野球場を、一つの観光名所的に捉え、


たとえその中に入れなくとも、周りを散策するというような事を


行う事は良くあります野球


時には、何らかのイベントが行われていて、


運良く球場内に無料で入れる事もあります。


今回ご紹介するのは、大阪市にかつて存在した、


日本生命球場、略して日生球場です。

袋小路博士オフィシャルブログ-日生球場
この写真は1995年11月、所用で大阪を訪れた際に


撮影したものです。この時、球場を利用して、


野球教室ではなく、何故か少年サッカー教室が開催されていたらしく、


スタンドへの出入りが自由になっていました。


ちなみにこの時の大阪は、APEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議が


開催されていて、各国首脳が大阪に集結しており、


しかもこの年は、春先に地下鉄サリン事件を始めとする、


オウム真理教による一連の事件が発生した年でもあり、


大阪周辺は超厳戒態勢が敷かれていました。


この球場内も、全国から集結した警察官がパトロールをしており、


今思えば、よく職務質問されなかったなあと思っていますショック!




日生球場は、1950年に開場し、近鉄バファローズの準本拠地球場としても


知られております。近鉄は藤井寺市の藤井寺球場が本拠地でしたが、


藤井寺球場にナイター設備が当時無かったため、夜の試合に限り、


ここ日生球場が使用されました。


プロ野球の球場のレベルとは思えないほどの狭さ・汚さだったと


言われており、写真を見てお判りいただけるとおり、


外野スタンドが異常なほど狭いです。


オリックスブルーウェーブに在籍していたシュルジーという投手は、


象印の広告が描かれた照明灯にぶつける大ホームランを


かっ飛ばした事があります(通常パリーグの投手は


打席に立つ事がないにも関わらずです)。




この写真を撮影した翌年、1996年の近鉄対福岡ダイエーホークスの


試合を最後に、老朽化と大阪ドーム開場を理由に、


プロ野球の試合で使われる事はなくなりました。


この試合では、不甲斐無い試合内容に怒ったホークスファンが、


王貞治監督らの乗ったバスに生卵をぶつけるという事件が発生しました。


その後王監督は、チームの建て直しに成功して、


ホークスを常勝チームに育て上げ、2008年まで


監督を務めるという、長期政権となりました。


一方、近鉄バファローズは、2001年にリーグ優勝したものの、


2004年を最後に、オリックスとの球団合併という形で


事実上消滅し、藤井寺球場も近鉄球団と運命を共にしました。


日生球場最後の試合の時点で、両チームのファン共に、


王監督が監督を辞する前に、近鉄球団が無くなってしまうなんて、


想像もできなかったでしょう。




1997年限りで閉場された日生球場は、現在は駐車場などになっているようです。


何年か前に周辺を再訪いたしましたが、歩道のタイルに、


球場の形を模した溝が描かれており、往年を偲ばせますかお