○年前の今日起った出来事をテーマに、


その時私がどうしていたかって事を、時折綴って行こうと思います。


今日はその第1回。




1982年2月8日。




我が家の朝のテレビ視聴習慣は、NHK総合でした。


当時はどの放送局でも、今のような夜も明けきらないような時間から


朝ワイド的な番組をしていた訳ではなく、


NHKでは「NHKニュースワイド」という番組を放送しておりましが、


その開始は7時と、今に比べれば格段に遅いスタートでした。


6時台は、「テレビ体操」やら「明るい農村」といった番組を


放送していたと思います。




その日目を覚ますと、まだ7時前だというのに、


「明るい農村」ではなく、ニュースワイドの森本毅郎キャスターが


緊迫した表情でニュースを伝えています。


その内容は、東京にあるホテルが火災を起こし、


多数の死傷者が出ているという、衝撃的な内容でした。


これが世に言う、ホテルニュージャパン火災です。


結果的に、33人もの犠牲者が出てしまいました。




その後、消火設備の不備による人災的側面が強い事が明らかになり、


それと共に、経営者がとった出火後の非常識な言動は、


社会的に大きな非難を浴びる事となりました。


また、東京消防庁の決死の救助活動は、


近年に至っても、「プロジェクトX」などのテレビ番組で語られるほどです。




余談ですが、この年に放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」で、


徳光アナと成田空港での敗者たちが、アメリカへ向かう勝者に対して、


「お前らの泊まるホテルにスプリンクラーは無いぞ!」


「お前らの泊まるホテルの社長は蝶ネクタイをしているぞ!」


などとシュプレヒコールを繰り返していました。


今考えると、もの凄い不謹慎ですよね…。


やっぱりテレビ局に抗議の電話とかあったのですかね?




この火事から10年以上経って、現場の横を通る機会があったのですが、


元号も平成になって結構経過したと言うのに、


未だに建物が残っていたのには驚きました。


出火当時で既に外装が古臭かったというのに、


それが上層階が焦げたまま10年以上も放置された姿に、


不気味さを感じたものでした。




昭和の事件史にも間違いなく残るくらいの、


衝撃的な出来事である事は間違いないですが、


同じくらい衝撃的な出来事が、


翌日にも起こるとは誰も予想していなかったでしょう。


その出来事については、また明日。