こないだのの休日は、天気も良く風もなく穏やかな日であった。私は午後から、ふらりと散歩に出かけた。

今年の夏を過ぎたころからであろうか、私の休日の過ごし方はそれまでのリズムとは大きく変わろうとしていた。それまでのリズムというのは、休日だというのに体が無意識に反応してしまい仕事がある日と同じ時間に目が覚めてしまうのであった。目が覚めてしまえば、普段通りに朝食をこしらえて食しそのあとはテレビで見ながらその日の予定を立て、ずいぶん早くから出かけてしまっていた。そう、私は休日であろうがジッとしていられない性分なのである。時にはいつもより早く目覚ましをセットし、出かけることもザラではなかった。

それがなぜ、夏を過ぎたころからリズムが変わってきたかというと、のんびりすることに罪悪感を感じなくなってきたからだと私は感じている。それまでは、仕事でどんなに体が疲れていても、”ストレス発散”や”頭のリフレッシュ”と自分に銘打って好きなことをやりに出かける休日が、仕事を頑張るための原動力となる考えていた。

 

しかし、その休日にかけている様々な要因は、だいぶ私自身の負担となってきたのである。

体力の低下を少しずつ感じるきっかけとなったのは、目の疲れであった。一日でトータル6時間車を運転しても、バイクで往復500kmの道のりを日帰りで走ったとしても、いずれも腰がちょっと痛くなる程度で翌日からの仕事には全く支障がなかった。だが数か月前から、どうもそのころと同じようなことをすると、翌日は眼が重くなり疲労がたまっている感じでひどい時には頭痛から吐き気までも催すようになってしまい、仕事に集中できなくなってしまったのだ。

 

10年ほど前、私の父が”十二指腸潰瘍”で入院したことがあった、その時の父の第一声は「あぁ、俺も人並みだったか…。」で、あった。

頭痛に苦しんでるとき、私は父のこの言葉が心に突き刺さった。

私も、人並みである。

 

前置きが長くなったが、のんびりすることのきっかけは眼精疲労からくる”頭痛”がきっかけでる。

 

 

さて、午後から散歩に出た私はゆっくりと歩くことにも慣れてきた感じで、平日より顔を上げて目線を少し上にして歩くのであった。すると、楽しいのである。通勤時間以外では歩くことなんて大嫌いな私だったが、鳥や昆虫などを発見すればこんなにも身近に居たんだと嬉しくなり、木々や草花の色から季節を感じることができるようになった私が楽しく歩んでいる。

悪くないのである、近場でのんびりすることが。

 

つい最近まで、時間をかけて労力をかけて出かけていたことが、今は逆に罪悪感を感じるようになってきたようだ。

 

 

 

それから、こちらの出来事は私の休日のリズムを変えた確信の一つなのかもしれない。

 

先日、職場での昼休みの出来事である。私は、今年の4月から私の部署に配属された20歳の契約社員の男性と昼食を共にしていた。彼は私の息子の年齢より一つ上となるわけで、私は自分の息子と同じように思い、またある時は息子と比較してみたりしながら仕事や休憩時間を共に過ごしている。この日の昼食時間も、お互いの休日の出来事や午後の仕事内容の予定などを話しながら昼食を食べていた。しかしそんな時、彼から突然の発表があったのだ。

「実は、言うタイミングが見つからなくて言えなかったんですけど、5か月前から付き合ってる彼女がいるんです。」

そう、この日の話題はクリスマスと正月休みの予定であった。彼は良いタイミングだと思い、堰を切ったのだろう。楽しそうに嬉しそうに彼女の話をしてくれた。

私は、彼の幸せな溢れんばかりの笑顔や口調から私自身も幸せになったのだが、その後に思ったことが、「言い出すタイミングを、雰囲気を作ってやれてなかったんだなぁ…。」と、反省してしまったのであった。それも5か月かあ…。

 

 

40歳を過ぎ体力は横ばいから下降方向へと向かっている、だが、仕事場では後輩や部下を面倒見て温かい目で見守り成長させなくてはいけない立場になってきた。焦らずゆっくりでなければ見えないものが沢山ある。

 

そう、ようやく私は周りに気を回せるようになれるチャンスかもしれない、

ここから、

「半人前になれそうかな。」と思い、一日一日を大事にしていきたいと思う。