いつも有難うございます。

前触れなく、何も持たずに虐待親から神奈川へ強制され、心を壊され、成長を止めた光國の安否がわからない中でたくさんの方々が光國を想ってくださることに感謝しかないです。


自分が光國の頃はお盆が大好きだった。
親戚みんなが集まり、ご飯を食べて、時間が許す限り従兄弟とふざけたり、みんなで花火したり。
光國が大好きなしゅりちゃんのお母さん(当時小学低学年)の花火終わって帰る時の言葉を今でも覚えてる。
『あー楽しかった』
幼いながらに楽しい時間に終わりが来るのを認めたくて、凄く嫌な気分がした。まだ終わらせたくない。ずっと続いて欲しいと悲しい気分になった瞬間を3歳ぐらいだったけど鮮明に覚えてる。


そういう記憶を掛け合わせて光國の心に寄り添って来たけど、光國は何事もお兄ちゃんだった。3歳になった頃には既に『楽しかったね!また来ようね!』と言える子供だった。
帰りたくないって言う事もあるけど、帰ったらトミカだとか食べ物だとか他の楽しみを作って切り替えてた。
頭の切り替えが出来ない母親を見続けて来たからかもしれないけど、そういうとこを凄く尊敬してたし、偉いなって心から思ってた。

去年のお盆はばあばが光國にお客さん来るからって玩具の片付けを頼んだら、早くお庭で遊びたいだろうに一人で何往復もしてお片付け頑張ってた。

1年前の今日は朝からばあばいるよ!って言ったらヤッターって飛び上がってた。誕生日だからおめでとう言って来たらと教えたら、ちゃんと言えてばあばが喜び、大好きなばあばが喜んでくれたから光國は大喜びだった。


くたくたになるまでみんなで遊んで、昼寝してまた遊んで…光國が信頼するみんなからの愛情を受けるばかりだった。


たくさん遊んで楽しくお風呂に入ったら、花火の音がして、急いでお風呂出たけど花火が終わってた。
それでも花火を見たくて、どうしたら見れるか考えてパパを誘ってくれる笑顔の光國がいて。


急いで上がって着替えて一生懸命考えてた光國の為に花火買って来て、みっちゃんのお庭で花火をした夜だった。


https://youtu.be/2QvOLQ4-ris 


お調子者だったパパが光國の頃と同じように同じ場所で喉乾くまで走り回って、あの頃は親戚みんないて、賑やかだったけど、光國と2人でもそれ以上に楽しく、賑やかだった。

https://youtu.be/NknAvWmg1mQ 


たくさんのお言葉を頂く中で光國の事を真剣に考えて分析してもっともな意見をくださる方ばかりで有り難いです。





光國がたくさんの目で虐待から守られる、心的外傷に気付いて貰える事を常に願ってます。
宜しくお願い致します。