マックが焼き芋のことから戦時中を思い出していて書いたので
はるか中学時代のあのころを私も思い出しました
疎開先は長野県屋代(今は千曲市)10時間あまり
汽車にゆられというよりは押し込められ着いた
ところははじめての山に囲まれた静かな駅
小学5年生の私にはここでどんな暮らしが待ってるか想像もつきませんでした
その日は駅前の宿屋へ泊り あくるひ借りていた
農家の二階にいきました
さすが田舎のこと 近所の子供たちが下から
のぞいて大人たちもきっとどんな家族が
来るのだろうと噂でもしてたんでしょう
早速次の日は学校へ 終わった後先生に呼ばれ
東京でどうだったのか聞かれ子供心に
焼け出されたことや 空襲でにげまわったことを
話してるうち泣き出してしまい 先生が
大変だったなとノートと鉛筆をくれたのを
覚えています
そして食糧事情はお弁当を持っていくのに
お米半分豆またはお芋半分 お米もむぎがまじり
という状態 農家の子が真っ白なお米を持って
きたのをいつ食べられるんでしょうと思いました
農林1号(?)はよく食べましたが信州のは
違ったのか結構美味しかったと思います
書き出せばきりなくあのころのことが思い出され
ますが今となっては私にとって第2の故郷といって
田舎のないわたしには懐かしい土地です
あのころに比べ食べたいもの食べられ美味しい
ものに貪欲になった私たちハイチのようになったら
どうなるんでしょう
今朝の新聞の投書欄に自分の誕生日になにか
ご馳走と思ったけどいつも結構美味しいもの
食べてるので簡単な食事にしてその分ハイチに
募金したと書いてありました
彼女に拍手を送ります