結局、誰の話だったのでしょう | Bメロのサムライ:稽古場ブログ

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東京都内・京王線沿線にて年1回ペースで公演を行う社会人劇団です。参加者随時募集中、お問い合わせはお気軽にどうぞ。

先日、「ティム・バートン展」に行ってきました。じっくりみればみるほど、知れば知るほど精神が不安定になる作品たち…続けて「ジブリの立体建造物展」もみてきました。とても両極端な世界観ながらどちらも食い入るようにみてしまう面白さがありますね。


久方ぶりに書きます、宣美です。最近セルフネイル凝りだして、グラデーションとか模様に挑戦中。

さて【劇団CHAN'T『シシャのウタ2014』】を観劇してきました。
まさかの人身事故で、あわや遅刻の危機でしたが、遅刻者へ配慮して10分押してのスタート。その間、お客を退屈させないように演者によるトークショーが繰り広げられていました。
冒頭のシーンが遅刻客を待って出発する船なものだから、直前までしていた電車遅延のリアル話とかぶってて、一瞬こういうメタ発言かと思ってしまった。

舞台は2階建ての構成、かなり距離近めなので、一番前の人は首が痛かったかも。とはいえメインストーリーが繰り広げられるのは1階部分。では2階は何かというと。。神の座なんです。

ざっとあらすじを書くと…ん~汗あらすじにならないのですが…

気だるげな様子の神は言った。
終わりのない退屈な日々、変わり映えのない世界など滅ぼしてしまおう。
神の創造した神に似た創造物は一つ提案をした。
貴方の望むものをあたえてみせましょう。

幼い“私”は、家族と共に行先不明の「歓喜のツアー」に参加する。
しかし船は荒れ、落雷が落ち、いつしか母と姉は消えていた。
残った父に行き先を訪ねても、答えてはくれない。
やがてたどり着く先は、ありふれた世界のきれはし。

愛する人のために自分を捨てて尽くすも裏切られる女。
求められるままに八方美人を演じて全てを失った人。
夢を追いかけて追いかけてたどり着けなかった芸人。
信じたものに依存して何も見えなくなった母。
頑張ってでも負けてしまった父。
自分をごまかせなくて一人になった私。

本当は姉なんて最初からいなかった。
母は幼い“私”を置いて出て行ってしまった。

物語は進み、人々はさらなる絶望に進んでいく。

そして与えられた役割を終えて、物語は閉じられる。
後は好きに幸せな時間を過ごせばいい。
君たちの物語は終わったんだ、もう必要ない。

現れたのは父と母が笑いあう世界、姉がいて、みんなが幸せな世界。

でも“私”は、叫ぶ。
勝手に終わりになんてされたくないと閉じたページをめくる。
与えられた役割なんてない。
こんな理不尽な世界を作った神に私はナイフを突き立てる。
無理でも、絶対にやると叫ぶ。
そしてシシャ達は、君は一人じゃないと彼女を支える。


創造物が姿すら見えない創造主に牙をむく。
神はこの反乱をみて、これこそ私の望んだものだと笑った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ホントにまとまりのないあらすじなんですが、実際説明しようとするとニュアンスがむつかしいのです。私と父以外は固定してないし、短編と小ネタがまざるし、時系列も場所も空間も行ったり来たりで、追うのが大変。
詩的というか、韻を踏んだ風な言い回しが多用されているので、なお物語感は薄かったかな、と思う。
前回みた御伽草子がわりとしっかりストーリーをなぞっていたので、その分こちらは劇をみてるな~という感覚が強かったです。

今回もCHAN'Tさんの芝居に多いテンプレートな人間関係のドロドロなんだけど、もはや現実よりもドラマにみる現実になりつつあるよね。
実際の人間関係って、案外クールで冷めてる。
嫌いな人の悪口は、反論が返ってくる本人に言うより、共感してくれる友人に言う方が楽しい理論。人がどうこうっていうより、結局自分が~なんだよね。

それでも、絵に描いたような生きる苦しさをみせる。20年続いた劇団の重みは、それ自体が力ですね。

帰りに書店で辻村深月さんの「光待つ場所へ」を立ち読みしてきました。(長居したのでさすがに買ったよ)この人の作品が、共感できるな~って思うのは、中心になっている人物が「”自分を客観的にみてコントールすることができる自分”にプライドをもっている」からなんです。
こんな風に計算しちゃう自分かわいくない、と思いながら気ままに生きてる人を見下している。でも実は、うらやましさもあって、結局そういう自分をまた嘲笑している。
で、で、この話にでてくる気ままな人々って、現実にいるのかなって思うのです。
本当の意味で、気ままに生きられる人なんていないよなって。


長くなりすぎたか。来週は月1開催のBメロ会議です。またそのうち会いましょう。