私は、今いる大学を卒業した後、そのまま同じ大学の大学院に進学する予定です。

友だちからも、「学外の大学院に行くと、勝手にイメージしてた。」と言われました。

実は、今通っている大学は、私立大学です。

関西に住んでいますが、関西の大学群「関関同立」のどれにも属さない程度の大学です。

それは、なぜか、といいますと、理由は簡単です。「高校時代は必要最低限の勉強しかしなかったから。」です。ここでいう必要最低限とは、期末試験で32点、つまり赤点じゃないレベルという意味です。

授業も、一番後ろの席で影を薄めながら聞いているような感じでした。

どうして勉強しなかったのか?というと、色々ありますが、まず「勉学を強いる」の文字の如く、無理矢理やらされてる感じがしていたからです。その最たる例が、興味の全くでない科目も必ず受けなければならないこと。

私は理系なので、
数学、物理学、化学は、それなりに楽しんで受けていました。それでも、必要最低限ですが…
しかし、
政治、経済、世界史、日本史は、どうしてもやる気になれませんでした。

「過去にどのように凄く、影響力のある素晴らしい人が、どのような事をしたかなど、今の自分の行動には、何の影響力も持たない」と思っていました。

そして、推薦入試で今の大学に受かりました。



そして、大学に入学しました。

推薦入試で、この大学を選んだ理由は、実は私の成りたかった職業になれる大学だったからです。

なので、1年目は驚きでした。

授業は自分で決める。そして、授業数も自由。

私はここで、あるルールを定めました。
今までの
「一番後ろで、存在感を消して授業を受け、試験はギリギリの点数で通る。」
という状態から
「一番前の席で、存在感を見せつつ、期末試験で良い成績を取る。」
ことにしようと。

すると、図書館で衝撃を受けた。

高校時代は、図書館には1度も足を踏み入れなかったが、大学の図書館で専門の本が並べられているのを見て、感動した。

大学の専門とは関係ないが、自分の興味のある分野を、片っ端から読みふけった。1年生で、数百冊読み、すぐに職員の人に顔を覚えられた笑

これほど、幸せな時間はなかったし、大学は何という楽園なのか、と感じた。

大学では、専門とは別に教職課程を履修していたため、去年の夏に母校である高校で教育実習を行わせていただいた。

その時に担当になったクラスが、私が在学中はなかった、難関大や医学部を目指すコースで、頭の回転の速い、俗に言う賢い人たちと学び合うことができた。

その時に、初めて高校の図書館に行ったのだが、やはり大学レベルの専門書はなかったため、大学で味わった幸せな時間は、大学だからこそなんだと改めて思った。

ここで、私立大学なので、「学歴コンプレックス」なるものがあり、これほどまでに学習することが楽しいのか!、と大学入学後に気付くと、高校に戻ると、もっと良い大学に行けたのでは?などと考える人もいるのではないだろうか?

恐らく、いやでも高校生には戻りたくない笑、という結論となる者もいるだろう。私もそうであるように。

有難いことに、首席で卒業できるため、賞を貰えるそうだ。大学院の学費も免除してもらえた。

テレビのCMでこんな言葉がある。
「好きなことで生きていく」
これは、ユーチューバーと呼ばれる人たちが、YouTubeで行っていることを、好きだから続けているんだ、と感じさせてくれる物だが、好きなことで生きるということは大切なことだと思う。

大学を選ぶ際、
偏差値、伝統、立地条件、教員…etc
様々なことを考えて選ぶのだろうけれど、やはり最も大事なことは、「好きなことで生きていけるか?」だと思う。

好きなことができる職業につけるなら、そのために学ぶべきことは好きなことになるだろうし、何より勉強させられてる感をなくすことができる。


そして、好きなことに従事できる未来が視えたなら、大学なんてどこでもいいと思う。

私は今の大学で満足している、というより満たされすぎて溢れ出ているほどに、文句の一つもないし、溢れ出た分は、これからの大学院生活や修了後の人生の歩みに、大きく影響し、役に立っていくことだろうと思う。


最後に、とはいえ、やはり授業レベルには差があると思われる。私が今、勉強しているのは材料力学だが、「等方性、異方性材料の粘弾塑性」などの内容だが、独学になっている。そもそも、学部時代と少し分野がズレるので、仕方ないことだが、次の学会発表に挑むに際して、色々と知識は持っておかなければならない。

京都大学、大阪大学、同志社大学など、有名な国公私立大学の学生が集うので、他のみなさんの内容を吟味しつつ、いろいろと話し合えたらいいなとは思います。

受験シーズンももう終わりですが、皆さんが夢見る将来を掴むことができる大学に入学できることを願っています。