劇場公開時、観に行きたかったけどなにせ東にも西にも映画館が遠く、待ってましたのWOWOW初放映日は時間が合わず。
吹き替え版を観ることができました。
1962年のアメリカ、ニューヨーク。
黒人差別の色濃い時代に、天才的な腕を持つ黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー(ドン)が南部を巡るツアーに運転手兼用心棒としてイタリア系のトニーを雇う。
マフィアとのつながりもある粗野なトニーと、品位は何にも勝ると常に言動が上品なドン。
正反対な2人が、黒人専用のホテル、レストランガソリンスタンドが載ったグリーンブックを持って演奏旅行へ。
いかにも一波乱ありそう、いや、契約の8週間以内にトニーがドンを殴ってクビになるさと仲間から言われて。
ナプキンを敷き、フォークとナイフで音もなく食事するドンに対し、ケンタッキー州に入るやいなやフライドチキンをバケツで買って手掴みで食べながら運転するトニー。
いい香りだがいらない、食べたことがないから、と断るドンに、食ったことねえのか?!それなら食え!!受け取らねえならそっちへ投げる!と無理やり渡すと、あまりの美味しさに両手でしっかり持ってかぶり付き、ニッコリ笑うあたりで、2人の間に親しみが生まれる。
トニーに教養はないけれど、移民(恐らく元々はと推察)として生きてきた人生の中で培われた経験や、人を肩書きで判断しない『まっさら』なものの見方がある。
吹き替えでは黒人の蔑称として『クロ』が使われていたけれど、ツアー出発前は仲間の前でこそドンをクロ呼ばわりしてみせたトニーが、ドンのピアノを生で聴いてその才能に驚嘆してからは、世界最高のピアノ弾きと、まるで自分のことのようにドンを誇らしく思っている。
いちいちの説明はもちろんないけど、その目、振る舞いを見れば親しみが尊敬にも変わっていく様は明らかだ。
時間もあるんだからと、店先のマネキンが来たジャケットをドンに試着させようと仕立て屋に入るあたりにもそれが感じられる。
着たいんなら、着ればいいさ、と。
しかし店の主人は白人のトニーが試着するものと思っていた為、ドンは試着を断られる。
主賓として招かれた演奏会、呼んだ側の白人と握手は交わしても、トイレを借りようとすると外の小屋を使うように言われる黒人のドン。
土地柄、伝統を言い訳に、強烈に線引きをしてくる。
何とかとりなそうと間に入るトニーにさえ、『イタ野郎』と、罵りの言葉。
あり得ないと思いながら、この時代にアメリカで白人として生まれ育っていたら、私もこんな風に振る舞っていたのかもしれない、と、政治・教育の大切さと怖さを思った。
1人で出歩くなと、お酒を飲みたくて入ったバーで白人たちに絡まれリンチ状態の目に遭い、言いつけられたドンが、またも『とある事情』で夜の街へ出歩き警察へ連行された日に、2人の関係は一気に進展する。
愛称のリップは、はったりのことだ。
その愛称の由来であるはったりを警察官にかましてドンを救ったトニー。
隠してきた『秘密』を思わぬ形で明かしてしまい、素直に受け取れないドン。
人として、何より信頼する友として、本気で心配してくれたトニーの思いやりに触れて見せるドンのうれしく、困ったようなはにかみ。
ここの、ずっと孤独だったゆえに簡単に人を信用できないドンの複雑な胸中が見えて、そして、トニーは自分を1人の人間として見てくれていることに気づき心を開く心模様が描かれていてすきな場面。
そう、友だちって、気づいたらなってる。
だからといって、2人で飲み明かすってわけじゃないところも気に入った。
全ての旅程を終えて帰ってきた2人は、別々にクリスマスを過ごしながらも、どこかさみしげ。
客人を迎え入れて閉めようとしたドアの向こうにドンが立っているのを認めた瞬間にドアを全開にするトニー最高だった。
予想できる展開かもしれない。
ともすれば、綺麗事に映るかも。
それでも。
アカデミー賞作品賞も獲っているから、色んな所で色んな人に評価をされているだろう。
だけど。
小学校高学年の道徳の授業で使ってもいいんじゃない??って思うくらい、残虐なシーンなどないし、明快なメッセージがある。
分かりやすいって、ダメなことじゃないから。
ここ最近の気が滅入るような報道の中で、心が晴れやかになって明日が楽しみになる、そんな気持ちになれるなら、いいじゃない。
と私は個人的に思ったので書きました。
ちなみに、実話ベースだけど、あのシーン本当にあったのかなとか、そういうのはどうでもいい派なので調べていません。
ヴィゴ・モーテンセンの、やんちゃな人の持つ独特の可愛らしさに3000点は付けます。