勝手ながら、なんか説教くさかったり考えさせられすぎたりしたらどうしようって不安でなかなか手に取れなかった。
そんなちっぽけな不安は冒頭のJENのカウントで払拭された、いとも簡単に。
聴き進むほどに、ミスチルはバンドだなあって改めて思い知らされる。
桜井さんの声は、田原さんとナカケーとJENが奏でる音でこそ映えるし、3人の演奏がなければ成立し得ない。
そしてミスチルのボーカルは桜井さんしかあり得ない。
よく食べ物の味を食べ物で例えるな!って言うけど、どの曲もイントロで わあ前のアルバムのあの曲みたい。て言うかあの曲聴きたい。と思ってる。
それは不思議な感覚で、似てるとは違う。
今までを包括しつつ、新しく響く。
まるでミスチルそのものじゃないか。
『音楽と人』みたいなきちんとした分析はできない。
でも、ただ久々に浴びているこの音は、魂レベルで求めていたものだとつくづく思っている。
最後の曲を聴いて一周して最初のまたJENのカウントを聴く時、なんていうかメビウスの輪だと思った。
10曲目を1曲目として聴くのもありだなって。
完全に起承転結で読み進めた、読了したと思ったのに、感じが違っててもう一回もう一回。
そうしたら、どれが1曲目なんて、聴く人の各々の感性でその都度変わってもいいんじゃないかって。
これが今回最も新鮮な感覚だった。
桜井さんが、日本で数えるほどしかいない大成功を収めたバンドのイケメン!て感じで成功者にしか分からない哲学を歌詞にしてたらこんなに心は震えない。
どうしてこんなにもってくらい、日常の些細な風景に寄り添う優しい言葉たち。
それは、例えばちょうど今くらいの、金木犀香り出す秋の気配にぴったりな『秋がくれた切符』。
風の匂いもいつしか 秋のものになってた
カーディガン着た君の背中見てそう思う
映像が浮かぶでしょう?
私はもう、完全に1番最初に偶然カエデの国に通じるドアを通れてしまって、トッケビアジョッシに仔犬みたいに付いていくウンタクちゃんしか思い浮かばない。(ドラマ トッケビより)
アジョッシ!て呼びながら横断歩道をぴょんぴょん跳ねるウンタクを優しく見つめるトッケビの眼差し、その目線でこの歌は綴られてる。
と思い込んで聴いてる。
壮大でドラマチックなとか、世界平和とか、そういうのも大事なんだけど、いきなりそこよりも。
君との距離、流れるメロディー、移ろう季節。
毎日同じようで実は違うこと。
そのすべてがかけがえのないものだということ。
そんなことに思いを馳せられるアルバムだ。
重力と呼吸ツアー(単純すぎ?笑)、どうやって行こうかもう考えてる。
ドームじゃない方がいいなあ。
桜井さんがマイク向けてくれたら…なんて気が早すぎるね。
車の中で聴きながら、これは絶対書こう!
こういう風にカッコよく書こう!と考えながら組み立てたはずなのに、いざ書くとなんだか色々バラバラでわけわかんないや。
ここまで全部前説です。
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