ちょっと今日は特別な日だった。
ほぼずっと地元にいるからそうなるのだけど、また新天地へ向かう誰かを見送ることになり。
もっと若い時は、見送りが立て続けにあって、そういう年齢なんだなと思った。
雛が巣立つ!みたいな。
けど、それから月日がずいぶん経ち、見送ることもないんじゃないかと思ってたから、今月に入って門出を聞いてからずっとそわそわしてた。
新しい門出だし、さくらの季節だし、夢とか希望とかたくさんだって思えたのは事実。
だけど。
今日は別に、駅のホームから手を振ったわけじゃないし空港に送ったわけじゃない。
数時間、落ち着ける喫茶店でお茶をして、尊いあの子のお誕生日をささやかに一緒に祝った。
けれど数日後には機上の人。
物理的な距離はかなりかなり遠くなる。
別れ際、なんか油断すると目から水出そうだったから、あえて明るく軽く去っちゃった。
もちろん、これでお別れじゃないし会いに行くよ。
でもなんか心配だし。
おねいちゃんとしてはちょっと何かある時すぐ行ける距離にいてほしいとか思っちゃうんだよ。
でもそんなことワガママだし押し付けだから言えなくてこんなとこに書いちゃう。
まっすぐ家に帰るのなんかやだったな。
夕暮れだったし、ちょうどきれいなバラードかかってて、満開を待つさくらでも見に行こうかなって。
待て待て待て!
夕暮れ時に1人でさくら(しかも満開じゃない)をじっと見てる中年こわくね?!って遠慮したけども。
まあでも、帰る場所にいられるからなって。
待ってるって、帰っておいでって。
あの頃より本当に心から思うよ。
あの頃も思ってたけど、切実さが違うんだな。
で、私の帰るとこってどこかなって考えた。
そりゃ家ですけども。そうゆうことじゃなくて。
人の居場所は誰かの胸の中にしかないっていう、冷静と情熱のあいだのフェデリカの言葉を目にした時から
家族以外で浮かぶのはやっぱり
ともだち。
毎日会わなくても、やっぱり。
みんながいるからいいや、頑張れるって。落ち着くのはそこだな。
大人になると泣かないってこともない。
不安の種類が変わるだけで、自力で解決できることもあるけど、うじうじもする。
情けないなー
なんて思うけど、こんな気持ちもあるかって認めよう。
無理に蓋したり閉じ込めなくてもいっか。
本当に、なんて言うか。。
『ずっと探していた理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど』
最初に聴いた時より年々、身に沁みる、、