漫画を実写化するにあたり、ただなぞるでは意味がなく、原作をどう映像にしかなし得ないことに昇華するかが大事だと、大友監督が答えていた。


ネタバレ含みます。





3月のライオンは、映画ではひとつの結末を迎えた。
なんたって原作はまだ完結していないからね。


なんと表現したらいいのか、単純な感動ではなく、深く深く胸に残る2部作だった。


『お伽話なんて、現実には存在しない』

ということも、3月のライオンから教えてもらったことだけど、その部分はやはり漫画よりも映画で感じた。


早くに家族を亡くし、師匠の家に引き取られ、学校では孤立。

零くんは若さゆえ、の他に否応無しに、恐れずに言うならば『得られなかった』心があった。


人間誰しも、知らないことはできない。


二階堂の言葉を借りるなら『優しくて不安定』な、零くんのやさしさからくる空回りと不器用な暴走が、後編のお伽話じゃない部分だった。


ある意味原作ファンにはショッキングな。


だけど、過ちを受け入れて認めることがどんなにかきついことか、一端気取って生きてるなら分かる。


大事だから、壊したくないのに、どうすれば分からなくて傷つけて。


きっと、零くんにとって、いっぺんに失った家族の他にそこまで大事な存在って、現れると思ってなかった。


ありがとうも、ごめんなさいも、直接言えない時もあるし、ぶつかってもまた分かり合える。


もう家族なんだな。


将棋にも、川本家にも、幸田のうちの人にも、回り道してもがいて苦しんで向き合う。


どうでもよくなくなった、人間・桐山零がそこにいた。




前編でトヨエツ感ありすぎて幸田のお父さん。。って思ったけど、後編の幸田父は、師匠で父親で人間だった。


粗米ニおじいちゃんが、ひなたに
『胸を張れ!』って言うシーンは、もうとにかく熱くじんわりと涙が出た。




後藤を下す対局は、最後の三手が理解できてうれしかった。



原作をまだ追えるのはいいな。



いずれ、零くんが有名になるにつれ、きっとたぶんいつか、零くん自身も家族に向き合わなければならないのではないか。


そんなことを考えながら家路に着いた。