漫画3月のライオンで将棋が気になり、実写化にハラハラし、松山ケンイチの増量役作りで気になった本。

東の天才羽生、西の怪童村山と称されA級在籍のまま29歳で亡くなった、村山聖の人生。

一気に読み終えたのは、インディ・ジョーンズの冒険みたいに疾走感溢れながら、5歳で腎ネフローゼを診断されてからの病を抱えながらの命のやりとりに心を奪われたから。
恐らく病身でなければ、名人位に座したであろうに、健康体ならば、命あることに感謝しなかっただろうなど、ハッとさせられる場面が多くあった。

師匠に、『今日二十歳になりました』と報告に来たところもそう。
『二十歳まで生きられるとは思っていませんでした。』

たいていの健康な人間にとって、二十歳は通過点だろう。
親の金で好きに選んだ振袖やスーツを来て、さも一人で生きてきた顔で成人式に出る。そして堂々とお酒を飲んで大人になった気になる日。

私は、それまで健康に生きてきたことなんか当たり前だと思っていて、嬉しさをかみしめたりしなかった。
中学と高校の飲み会をハシゴして、タクシーでいい気になって深夜に帰った。
母は起きて待っていてくれて、怒るどころか楽しかったかと聞いてくれた。
そんなことは、別に普通だと思っていた。
まだ二十歳だし自分には無限の可能性があるとすら勘違いしてもいた。


人は自分の痛みでしか他人の痛みを分かることができない、というのも説得力があった。
幼い頃から1年の半分を病院のベッドで過ごし、自分より年下の子どもの死も日常だった聖。
自分もいつか…という身近な死への恐怖感は、自分と、それ以外の他人との距離を小さいながらに痛感しただろう。

いつかよくなるからね、とか、元気になったらね、とか、よかれと思って結果として嘘になる大人の言葉に翻弄され、まっすぐな魂はそれでも淀まず、『僕は自分がどうなっても助けに行く』と、新聞で読んだ水難事故の、誰も救助に行かなかったことに憤る。

この、いつも人に誤解されることも恐れずぶつかっても決して曲げない強情さ。

生きているもんは切れん、と髪や爪さえも切りたがらなかった死生観。

勝負に関しても、終盤に強いだけではと研究を繰り返し、序中盤も鍛えながら終盤に磨きもかける。

29年しか、生きられなかった。これは厳然たる事実だが、果たしてこれほど苛烈に命の炎を燃やし、目標を見失わず生きる事が、どれくらいの人にできるだろうかと何度も何度も思った。

息を引き取る直前につい使うと返答して痛み止めを使い、朦朧とする意識の中でも棋譜を諳んじて。

こんなにも熱中するものは、私にはないなぁと、溢れる涙を何度も拭いながら、少しいやだいぶ、聖がうらやましくもある。

とても愛着が出来てしまい、今頃天国で好きなだけ盤に向かっていてほしいと、願わずにいられない。