東山彰良『流』を読んで。
今まで読んだ東山作品の中で一番、ハードボイルド感は薄めでした。
親や、その親たちって、どうやって生きてきて出会ったんだろうと、これまで考えなかったわけじゃない。
読んでいて、ますます探りたくなった。
もっと、じいちゃんやばあちゃんが生きている時にいろんなこと聞いておけばよかった。
取り返しのない後悔と、でもずいぶんと大きくなってからも一緒にいられたことに感謝と。
よかった、いややっぱり、その繰り返し。
あまり考えないようにしてる、その時点で考えてる。
物語の魅力は随所にあるのだけど、そんなことを考えるもんだから、その答えというか、光が差したようなところが個人的にハイライト。
『人が死ぬたびにその人がいた世界も消え失せる。わたしは彼らなしでやっていかなければならない。もとの世界とはまったく別物の、もっと曖昧で、冷たくて、無関心を包み隠そうとしない新しい世界に、わたしの脚はすくむ。暖かな外套を一枚ずつ剝がされ、肉体がむき出しになっていくようだ。わたしの心はぬくもりを求めるが、しかし、わたしの魂はそうじゃない。年を追うごとに、わたしの魂は彼らとともに在るのだと感じる。彼らの目でものを見、彼らの耳で声を聞き、彼らの態度に永遠の憧れを抱く。けっして帰れるはずのない古い世界へと沈んでゆく。わたしの心は、そうやって慰められる。』
私の気持ちを代弁してくれて。
こういう風に、物語に共感すると、同じようなことを考えている作者がいるのだと安心し、そんな瞬間を味わいたくて、本を読むという行為はやめられないとも思う。
全く反対の考えにも出合いたいという意味では本を読む動機は同じかな。
今日もすてきな勘違いをして、生きていけるのです。
やはり、本って素晴らしい!
ページをめくること、やめられない。