奄美にいた詩人で
教師で
かつ
奄美群島の日本復帰に尽力したと
される
泉芳朗(いずみほうろう)

わたしはお会いしたことはない。

わたしの父は泉芳朗にあったことあるのか?
父は教師で奄美に赴任したからか
わたしの名を
芳朗(よしろう)にした。

まったく困った名で
読みを変えただけで芸もない。

泉芳朗は断食という手段で
いってみればハンガーストライキを
した。

なので
ガンジー主義にもなぞらえるようだ。

だけどな。
今のご時世
1人が断食した程度では
なんら変わらない。

わたしは発電制御装置を設計し
原子力発電の限界も知るから
原子力発電という発電を終わらせたい
と願いはある。

が…ハンストじゃだめだね。
まったくもって無視されるのみでしょう。

また…
政治にはあまり期待しないどころか
政治活動で原子力発電を終わらせること
などは出来まい。

むしろ政治活動色があるから
だめなんだよね
民主活動でなきゃ
世論を動かしえるほどのね。

さらには
ただ、原子力発電を終わらせればよい
というもんでもない。
代替発電が形成されて
充分に継続されるものでなければ

一時期に光パネルのみが注視された
固定買取制度もあいまって
が…
それをする、光パネルで、売電事業する
ものたちは
濡れ手に粟の利害のみを求めて
電力という商品の販売車であり
製造物責任を負うという意識に欠如
していたものが殆どに見えた。

メガソーラーともてはやされたが
それは本来は分散型電源に向いていた
性質を無視していた。

そして…お金の回りの仕組みにまでは
注視していなかった。
そうして、固定買取制度は、変化し
買取額は低くなった。

どだい無理に、適宜適用を無視して
だからだよ!っとなる。

ほかの在りようにも目を向けるべきだ。


原子炉の蟹ではないが
やはり原子力発電の作業者は
被曝と隣り合わせの中で働いてる。

犠牲も出しながらに。

多くの人は
瑣末な犠牲と
注目さえせずに
作り出された電力を
思慮もなくに
使ってしまっている。

技術は進むが
人そのものが進歩しないという図式。

誠に歯噛みしたい気分だ。

原子力関連での不適切な業務が
またも出だしている

1Fを、繰り返しては
ならんというのに。


わたしは今、故郷の街に暮らしてる。

この市の隣には薩摩川内市もある。
原子力発電所がある隣市に居住している。

歯がゆいな
川内原子力発電所は1、2号機が動き
知事がかわり多少は変わるかと
いや…
むしろ、廃炉の延長が決まりそうな。

芳朗という名を預からせていただいても
泉芳朗のやり方では
変えられない。

いかにすれば
ほかにシフトしていけるのだろうか

三菱日立の組みならば
石炭の液化炉とコンバインドにより
co2排出低減するという。

IHIならば
海流発電を実現するという。