昨日、朝6時50分、祖母が亡くなりました。享年96歳。あと10日で97歳でした。
今日は既に18年前に亡くなった祖父のことも含めて、
祖父母のことを思い返したいと思います。長文になりますのでご了承下さい。
私は祖父母が大好きで、3歳くらいから1人で祖父母宅に泊まりにいっていました。
5歳くらいのとき、祖父母宅で膀胱炎になりました。
トイレに行ったあと痛いので我慢してたら、やっぱりお漏らしをしてしまいました。
祖母は後処理をしてくれて、近所の病院に連れていってくれた記憶があります。
「君がお孫さんか~」といったような先生のまなざし。
この先生は、祖父が大きい病院に行く前までお世話になっていた先生でした。
祖父は、小学生の時勉強もスポーツもイケイケだった私のことを外で自慢し、可愛がってくれました。市場の魚屋さんのおじさんとか、バスで隣に座った人とかにも自慢していました。行く先々で自慢する祖父にたいして、恥ずかしいからそんなに言わんでいいのに・・・と思っていました。
お医者さんといい市場の人といい、祖父母がどのようなコミュニティを築いてきたのか、
今になったら分かります。
そのころ、妹が「おじいちゃんは、Hidekoちゃんばっかり可愛がるね」と言いました。
「そうか~?そんなことないよ」と言いましたが、内心引きつっていたと思います。
だって、私自身もそう思っていたから^^
それから祖父は公平を気をつけていたように思います。
そんな中、祖母は全く変わらず、私たち孫娘を可愛がってくれました。
聞き上手な祖母は、一人ずつの話を良く聞いてくれました。
姉はバレエをしているのでバレエの話をすることが多いのですが、よくわからないバレエの話を一生懸命聞いていた祖母の姿が思い出されます。端から見てても「おばあちゃん、バレエの話きいてもよくわかってないよね?!」って感じだったので、おばあちゃんから質問することはありませんでした。
しかし、私が大人になってからお花を学び始めたとき、それを母からきいた祖母は、自ら話を振ってきてくれました。
「Hidekoちゃん、お花してるんだってね。おばあちゃん、お花大好きなの。若い頃はお花もしてたのよ。」
毎年会う度に、「お花の方はどうしてるの?」と聞いてきてくれました。
それは、去年の夏、最後にあった時でも変わりありませんでした。
大好きなお花を、孫娘が教えているということを喜んでくれているようでした。
このとき写真を撮ったのですが、「また渡すわね」というと「現像代、悪いけど立て替えとってね」と最後まで孫に対して祖母の威厳をたもっていました。
祖父は終戦一年くらい前に北朝鮮に送られました。
戦時中、戦後のごたごたの話は祖父母からきいたことありません。
あえて話したくないという感じでした。
8月によくテレビで流れる戦争ドラマなども一切見ないと言っていました。
思い出したくもなく大変な日々を過ごしたんだと思います。
祖父と最後に話をしたとき、「おじいちゃんが生きてきた時代は戦争があったからね・・・」とつらそうに言いました。祖父から「戦争」という言葉を聞いたのは、これが最初で最後でした。
祖父母は神戸市に住んでいたので、21年前の阪神淡路大震災にもあいました。
昭和5年築の古い家は太い丸田が家を支え、半壊ですみました。
朝5時頃トイレに起きた祖父は、布団を整え、更に寝に入って間もなく地震がおきました。
布団に平行して置いていた3段チェストの一番上が、祖父を飛び越えて反対側に落ちたと
言っていました。電車やバスがとまった神戸の街を歩いて、知り合いの安否を確かめるために
どこにでも歩いて出かけていた祖父でした。
祖父は暗記力がすごくて、歴代の天皇陛下の名前を間違わずに言っていました。
また凄いのが、江戸時代の年号を順番に言っていました。
合ってるかどうか確かめるのは孫の私たちで、ノートに書かれてある順番に言えているか
よく見さされたものです^^
「おじいちゃんは、孫が来ることがわかったら勉強し直している」と祖母は言っていました。
私が新婚のころ、夕飯に豆腐を使おうと思ったら賞味期限が切れていました。
母に電話したらでなくて、祖母に電話をしたことを覚えています。
「豆腐ってどれくらいまでなら、賞味期限きれてても大丈夫なの?2日くらいだったらいける?」
結婚したての孫娘から問い合わせ電話、きっと微笑ましく思ってくれてたでしょうね。
今から10年くらい前のことでしょうか・・・
まだ元気だった祖母の家に遊びにいきました。丁度、お盆のころでした。
「おじいちゃんてさ~・・・」とおじいちゃんの話を祖母、姉、妹と4人で話していました。
壁際に仏壇があって、遺影が壁にもたれかけるように立てられていました。
部屋の窓は閉め切っていて、クーラーをかけていました。
祖父の話をしていたとき、その遺影がなんと前向きに倒れました、バタン!
壁にもたれかけているのでずり落ちるならばわかるのですが、前に倒れたのです。
すごくびっくりして、私たちは「どういうこと?!」軽くパニックだったのですが、
祖母は「みんな集まっておじいちゃんの話をしていたので、帰ってきたんじゃない? おじいちゃんも喜んでるよ。」とニコニコしながら言いました。
その時の優しい微笑みは忘れられないし、私たちにとっても摩訶不思議な体験でした。
きっと、おじいちゃん、お盆で本当に帰ってきたんだなって今でも思います。
祖父は最後は目を覚ますことがなかったので、祖母には何も言わずに亡くなってしまいました。
泣きじゃくる娘(私の母)を支えて、比較的気丈に振る舞っていたと思います。
「おじいちゃんは、私に何も言わずに逝ってしまった・・・」その言葉が耳に残ります。
祖父母は、今でいうラブラブ夫婦だったと思います。
お互いの文句を言っているのを聞いたことがありません。
痴ほうが入ってきた祖母は時折、「お父さんが全然帰ってこないのよ」と言っていたようです。
母が「何いってるの、お父さんはだいぶ前に亡くなったじゃない」というと、
「ああ、そうか」という祖母でした。
祖父がなくなって18年。すごく会いたかったんだと思います。
今頃、天国で再会していることでしょう。
これからは、あなた方の子、孫、ひ孫のことをお空から見守ってくださいね。
今までどうもありがとう。
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