会社の部下から相談をうけた。
養子を育てたいのだという。
そのためには、子どもを受け入れてから1年は働けないとの相談だ。
もちろん、良いことである。
育休もとれる。
私は素晴らしいことだから是非頑張ってほしい気持ちを伝えた。
でも、心の奥底がチクチクする。
もう、私には迎え入れるための年齢を過ぎつつあることを実感したからだ。
その部下には実子も1人いる。
でも、分け隔てなく平等に愛情を子どもたちに向けられるだけの器のある人だ。
もちろん出来るだろう。
…羨ましい
そう、羨ましいんだ、私は…
そういう気持ちから離れたところまで来られたと思っていたのに、未だに「羨ましい」「私も」と思ってしまう。
でも、実子に恵まれなかった私は子どもへの愛情をどんな時も向けられる自信がない。
子育ては怖い。
それは、父親から適切な育てられ方をされなかったからだ。
子どもを叱る時、納得させる時、言い聞かせる時…様々な場面を思い返してみても、どんなときも罵声や罵倒、更には暴力がついて回った。
だから、それ以外のやり方を知らない。
経験してない。
そんな風に育てられた私は、カウンセリングを受けながら子育てをすることを勧められたこともある。
弟は子どもを育てているが、やはり怒り方が半端なく、家の壁に穴を開けることや、子供の頭を足蹴にしたこともあるとお嫁さんから聞いた。
叱り方が分からない。
そうしなきゃ分からないと思ってしまっている。
そのようにしかされてこなかったから。
子どもを育てること。
とても尊いことだ。
でも、私は怖い…
でも、羨ましい…
しかし、今とても幸せで充実している。
でも、「羨ましい」という気持ちが私の心の底をチクチクさせる。
「羨ましい」という言葉は嫌いだ。
そんな嫌いな言葉に私は今振り回されている。
でも、
きっと時間が解決してくれる。
だって、夫と2人幸せなのだから。
大丈夫だ。
私は私を信じたい。