プロレスは八百長か? の答え | Dustbin of Life

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「プロレスって、八百長でしょ」

プロレスファンが一般人に最も聞かれる問だ。
それに対する俺の答えを書いてみよう。




あなたはモハメド・アリというボクサーを知っているだろうか。
アリはアメリカという若い国において、確実に歴史上の人物である。

この男(本名カシアス・クレイ)は1960年のローマオリンピックで、金メダルを取った。
祖国に帰ると、さぞかしスターになるだろうと思っていたが、まったく見向きもされなかった。
時はまだ黒人の人種差別が吹き荒れている時代。
公民権運動が盛り上がりつつある時代で、白人は黒人を疎ましい存在と見ていた時代だ。

彼は黒人であるというだけで、金メダルさえ認めてもらえないことに落胆し、金メダルを川に投げ捨て、「白人の奴隷としての名前を捨てる」とモハメド・アリを名乗った。

その後、公民権運動が盛んになると同じくして、彼はプロボクシングの世界でのし上がる。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
しかし、
「俺にベトコンを殺す理由はない」
とベトナム戦争への徴兵を拒否して、無敗のままチャンピオンを剥奪される。

まさに激動の60年代の象徴である。

彼がボクシングを離れた間に、ジョージ・フォアマンというオリンピック金メダリストでありながら、若く荒々しい「史上最強」と呼ばれる黒人チャンピオンが登場する。

復帰したアリは、フォアマンに挑戦する。
しかし、力の差は歴然と言われた。
アリはフォアマンを倒すためにあらゆる手段を使った。

おとなしいフォアマンに対し、散々罵り、様々なプレッシャーを与え、仕舞いには飛行機嫌いのフォアマンと戦う場所をアフリカのキンシャサに設定した。

「モハメド・アリ」はブラック・モスリムの名前、イスラム教徒の名前だ。
キンシャサはイスラム教徒の国。フォアマンにとっては完全にアウェーだ。
(試合までもいろいろあったのだが省略)

試合前、アリが登場すると「アリ、ボンバイェ」(アリ、ぶっ殺しちゃえ)の大合唱。

フォアマンはコリゴリだった。
ゴングが鳴ると、「早くアリを倒して、この場から逃げ出したい」とでも言うかのように、アリに襲い掛かる。
アリはロープに寄りかかり、ロープの反動でフォアマンのパンチ力を吸収し、フォアマンが疲れるのを待った。(ロープ・ア・ドープ作戦)
そして、疲れたフォアマンの一瞬の隙をついて、一撃でKOした。
これは、「キンシャサの奇跡」として世界中で有名な試合だ。



さて、ここからが本題だ。
1976年、アリは猪木と「格闘技世界一決定戦」と称して戦った。
当時は「世紀の凡戦」と言われたが、今見ると、そうともいえない。当時のプロレスファンには早すぎる試合で一般人には難解すぎただけだ。

この試合でアリと友人関係になった猪木は、キンシャサの地でアリを迎えた大声援「アリ・ボンバイェ」に曲をつけ、使用することとなった。

いやいや、本当の本題はここからだ。

1995年、猪木は北朝鮮において「平和の祭典」というプロレスの試合を開催した。
力道山が北朝鮮出身ということで、開催できた試合のはずだ。

猪木は対戦相手にアメリカ人、リック・フレアーを指名した。
この男は、アメリカプロレス界の大スターで、いろんな意味で簡単に勝たせてくれる相手ではない。
日本人のそれなりの有名レスラーでも勝たせてくれないだろう。
フレアーも若くはないが、猪木だって、いい歳だ。

しかし、試合は北朝鮮の国民的行事として行われるということで、VIP待遇。
おまけに猪木はアリをこの大会に招待していた。
あらゆる場所で、フレアーは猪木とアリと行動を共にすることになり、もちろん全員が同格の扱いを受ける。

いくらアメリカのプロレスのスターと言っても、国賓扱いをされた上に、自国の歴史上の人物であるアリと同じ扱いをされるなど、想像もつかなかったことだろう。

この状態で、猪木の主催した試合で、フレアーが猪木に勝てると思いますか?
スターという地位に上りついた人間が、空気を読めないわけがないのです。

もちろん猪木が勝ちましたが、内容は素晴らしいものでした。

勝敗は最初から、誰もがわかっていました。でも、見ごたえのある肉体のぶつかりあいだったのです。
どっちが勝つか判らないものを見る事だけが尊いのなら、人間は主人公の死ぬことのない映画やドラマを見ることなどしないでしょう。
これだけの様々なエネルギーを巻き込んで、人々を熱狂させることができるというのは、それはジャンルを超えて、凄いことと言えるでしょう。


「八百長」の反対語として「真剣勝負」というものがありますが、私の中では「真剣勝負」とは「負けたら死ぬことを前提とした勝負」です。
負けても、何も失わない勝負が「真剣勝負」のはずがありません。

ですから、ワールドカップサッカーも野球のペナントレースも真剣勝負ではありません。
夏の甲子園は、ある意味で真剣勝負に近いかもしれませんが、負けてもお金がもらえるプロスポーツは「真剣勝負」を名乗る資格などないのです。


「八百長」を「人を騙す」という意味で使うのなら、プロレスは八百長ではありません。
「真剣勝負」というニュアンスで行う他のスポーツの方が人を騙しています。

また、これを八百長というのなら、この世の中は八百長だらけです。

自分の知らない世界があり、その世界の仕組みを知らなかったからといって、「騙された」と思うのは敗者の発想です。
「プロレスは八百長だ」といって蔑み、子供のじゃんけんのような勝負にしか価値を見出さない人間は、人間社会という八百長の世界の中で、八百長試合より確実に「敗者」になっているはずです。

勝者になりえる者とは、純粋な喜びを知り、その後、社会の仕組みを知ることで、純粋な喜びをさらに強固なものにできる者なのです。


単純な楽しみ、ハラハラできたことや肉体の強さに驚くこともできる、そしてこんなサイドストーリーも楽しめるモノはなかなかありません。
まあ、現在のプロレスの「八百長」が昔のレスラーほどの物語性を持っていないから、廃れてきただけで、私の見てきたプロレスは、エンターテイメントの王者でしたね。



さて、先ほど出てきたジョージ・フォアマンですが、アリに敗れた後、失意のどん底に落ち、
「私は神を見た」
といい、引退。その後、牧師になったが、ボクシングに復帰。
1994年、45歳でチャンピオンに返り咲きました。
その勝ち方が、まさに自分がアリに敗れた試合と同じような勝ち方でした。

私はその試合で、キリストの姿を目撃したのですが、その件は6月のブログで・・・
http://ameblo.jp/blumbar/entry-10574384184.html