先月、AFS 奨学金で留学した先の米国 Lenoir 高校 ‘59年卒 のクラスリユニオンに出席しました。
’94年の夏、N社を退社し米国 A社に入社時、ノースカロライナ州 ローリーのリサーチトライアングル近くの工場での新人研修を受けた週末にたまたま同校のリユニオンがあり、これに参加したのが最初で、以降 5年毎の同校のリユニオンに参加しています。(即ち日本の会社に居た時は参加出来なかったのです!)今回は ’59年卒と 卒業後59周年をかけて、前回開催から 4年後であるにもかかわらず今年に「Class of ‘59 59th Reunion」という名目で最後のリユニオンとして催されました。
ホストファミリーのアメリカンブラザー PH君が今は Atlanta 郊外の Marietta に住んでいるので Atlanta 経由の旅程にしたのですが、丁度ハリケーン Michael の来襲と重なってしまい、とても残念だったのですが、 当初の Atlanta 滞在予定 2泊を 1泊に変更し、留学先の Lenoir, NC に移動しました。翌日は、案の定ハリケーンが Atlanta 近くを通過したのでフライトはキャンセル、移動日変更は正解でした。
ホストファミリーのアメリカンブラザー PH君が今は Atlanta 郊外の Marietta に住んでいるので Atlanta 経由の旅程にしたのですが、丁度ハリケーン Michael の来襲と重なってしまい、とても残念だったのですが、 当初の Atlanta 滞在予定 2泊を 1泊に変更し、留学先の Lenoir, NC に移動しました。翌日は、案の定ハリケーンが Atlanta 近くを通過したのでフライトはキャンセル、移動日変更は正解でした。
Charlotte 空港には幹事の CT君が迎えに来てくれました。彼は 4年前のリユニオンの時には脊髄の病いを患い車椅子生活でした。その後二回の手術、術後治療、リハビリを重ねて、歩行器で歩けるまでに回復、手だけで運転が出来る改造車の運転教習を受けて今年の 4月に免許を取得、迎えに来てくれたのでした。 Lenoir の町から 2時間もかかる Charlotte 空港まで迎えに来てくれたのには感謝感激。しかも、Lenoir までのドライブ途上、私の希望を酌んでくれて、回り道して、彼のお蔭で今年 4月に 101歳で亡くなったアメリカンマザー の墓地にお参りをすることが出来ました。
予定より1日早く Lenoirに着いたので、ハリケーンの去った後の Lenoir の町やアパラチア山脈にあるリゾート地 Boone, NC をドライブしました。紅葉の季節には箱根のような景色の良い所ですが、少し早かったのが残念でした。
留学時の Lenoir の人口は9,000人、今は 18,000人と倍増、以前の家具産業は衰退、家具工場跡には、鉄条網に囲まれたグーグルの米国最大のサーバーファームが設置されているのには驚きました。Tempus fugit!
リユニオンは、同窓生 109人のうち 24人が故人となり、今回の出席者は集合写真の 29人、プラス前夜祭にのみ参加した 6人の合計35人、 Spouses を含めると 50人ほどでした。皆老けましたが、親密さは以前より増したような気がしました。Facebook などの SMSで多くの同窓生と今も繋がっている性もあるかも知れません。敬虔なクリスチャンでトランプ支持者達が多いです。
リユニオンの間、私は前述した空港に迎えに来てくれた幹事 CT君 (ドイツ系) 宅に 3泊させてもらいましたが、朝から晩まで Fox TV をつけていました。添付の写真は彼の家のキッチンに飾ってありました。
また、彼は Rotarian なので、たまたま金曜日に例会があるというので、一緒に出席しましたが、それを地元紙が取り上げてくれました。
今回 CT君 のスマホに LINE App を入れて貰ったので、先日、ライン電話のビデオ通話で帰国報告と滞在中のお礼も顔を見ながらすることが出来ました。
帰途、州都ローリーの郊外に住んでいる別の友人宅 JW君 (スコットランド系)にも招かれて2泊しました。丁度日曜日とぶつかったのでメソジスト教会の礼拝にも行かせてもらいました。勿論彼もトランプ支持者ですが、「トランプがベストとは思わないが、オバマが駄目にしたアメリカを立て直して欲しいので支持していると。オバマは米国大統領の資格(米国に生を受けた)証拠がない。関係史料をケネディ暗殺時と同様に 50年間封印の措置をとった」と怒ってました。
因みに、アメリカンブラザー P君(ウェールズ系)は民主党支持です。101歳で亡くなったアメリカンマザーもとても敬虔なクリスチャンで留学時代には毎日曜日欠かさず Lenoir のメソジスト教会に連れてってくれました。
私達のリユニオンはこれが最後でした! 今後は幹事無しで、毎年同じ日(TBD)同じレストランで開催し、参加出来る人だけが参加する方式にするそうです。因みに私のこれまでの出席回数は’94年が初めてで、今回は6回目でした。
最後のリユニオン、留学当時の ノスタルジアに浸れて、とても感慨深い旅行でした。無事にリユニオンに行けたことを感謝しています。
今回の米国旅行は 4年振りでした。 911 以降米国行きは観光旅行でも ビザ 無しは不可となり ESTA が要ることは 前回経験しました。
私達のリユニオンはこれが最後でした! 今後は幹事無しで、毎年同じ日(TBD)同じレストランで開催し、参加出来る人だけが参加する方式にするそうです。因みに私のこれまでの出席回数は’94年が初めてで、今回は6回目でした。
最後のリユニオン、留学当時の ノスタルジアに浸れて、とても感慨深い旅行でした。無事にリユニオンに行けたことを感謝しています。
今回の米国旅行は 4年振りでした。 911 以降米国行きは観光旅行でも ビザ 無しは不可となり ESTA が要ることは 前回経験しました。
今回は 24時間前からインターネットでチェックインが簡単に出来て、Airlineから Email で送られてくる Digital Boarding Pass をスマホに(iPhone の場合は Walletに)ダウンロードして常にターミナル #・ゲート#のアップデイトやフライトの時刻変更がリアルタイムで表示されること等、便利に旅が出来るように日進月歩であることを実感した次第です。
(追記)
以下は、一部以前 Facebookには載せたかと思いますが、先日、鎌倉如蘭会(鎌倉在住の日比谷高校卒業生の会)で「1$=360円時代の米国留学生活」という題目で話をする機会があり、以下のような話をしました。
留学した‘50年代は日米貿易摩擦の最中、綿花と煙草が主たる産業であるノースカロライナ州に私は派遣されました。当時も今も南部ではかなり有名な Roses という Discount Store の支店長だったホストファーザーは私の着ている Yシャツを「日本シャツは作りが違う」とお客達に自慢したりしていましたが、明らかに私に敵対心を持っている人も少なくありませんでした。
また当時は、未だジム・クロウ法(’64に廃止 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジム・クロウ法) が存在していて、有色人種の一般公共施設の利用を禁止していました。学校は勿論、バスや水飲み場は完全に segregate されていました。私自身は、Lenoirでは余り嫌な目には会いませんでしたが、最後のバス旅行の時にケンタッキー州でしたかドラッグストアのカウンターでソフトドリンクを飲んでる時に、初めは親しげに話かけてきた隣でお酒を飲んでいた男が、突然「自分の兄弟は第2次大戦で Japに殺された。お前が憎い、殺してやる〜。」と追いかけられたことがありました。
また、高校の友人宅に行くと南北戦争で兵士として戦ったおじいさんがいる家などでは、所謂南部の国旗である Confederate Flag (https://goo.gl/images/TCpPEH) を飾ってあって、真面目な顔で “The south will rise again” などと気勢を挙げたりしていました。
帰国後文部省の方に、実は、「君は AFS本部と相談して、南部へ留学させて上手く行くかどうかテストケースだったのだよ。」と伺い、吃驚したことを思い出します。
(追記完)
今回の Lenoir 訪問は本当に隔世の感がありました。なんと鉄条網に囲まれたセキュリティの厳しいグーグルのサーバーファームがあるのですから。










