くるみ割り人形は、チャイコフスキーの三大バレー曲の一つ。

クリスマスの夜に起こる、くるみ割り人形と少女の不思議な物語である。


主人公クララはクリスマスに伯父からくるみ割り人形をプレゼントされる。

それを気にいったクララは、その晩、ネズミに襲われそうになった人形を助ける。

すると人形は王子に変身、クララを夢の国に連れて行き、楽しい一夜を過ごす。


「トレパーク」「行進曲」「金平糖の精の踊り」「花のワルツ」など、未だによく使われるメロディーが

多いこの組曲は、当時は伴奏にすぎなかったバレー音楽に革命をもたらしたと言われている。



今だからこそ有名なチャイコフスキーも、最初から成功していたわけではなかった。


初めて手掛けたバレー音楽は、「白鳥の湖」。

当時は女性の踊りを楽しむことが主で、音楽はただの伴奏に過ぎなかった。


しかし、チャイコフスキーはそれだけでは飽き足らず、バレー音楽を、オペラなどのように音楽として

優れたものにしたかった。

たとえばそのために、「ライトモチーフ」を用いた。

これは特定の登場人物にモチーフとなるメロディを作り、その人物が出てくるシーンでは、状況によって

アレンジされた同じ旋律を登場させる手法。


こうやって完成された音楽は、しかし、観客には受け入れられず、酷評された。

理由は、「音楽が完成されすぎていた。」



「音楽は所詮伴奏」と考えていた当時の聴衆には、優れすぎた音楽は受け入れられなかったのである。

そんな彼が、悩み向いた末に作曲したバレー音楽が、「くるみ割り人形」だった。



未だに多くのシーンで使われる理由は、その親しみやすさ。

実は多くの旋律が、隣り合う音階に動くだけのメロディでできていたり、作りは単純。

しかしそれを陳腐にさせないように、例えば三連符を多用するなどで工夫されている。


「金平糖の精の踊り」では、「噴水の水が跳ねるように」という振付師の難しい注文に対して、「チェレスタ」

という新しく開発された鍵盤式の鉄筋を使用するなど、アイディアを絞っていった。


また、この曲では「減七の和音」という技法が使われている。

いちばん高い和音と低い和音の間が七度で、不協和音となっている。

こういった場合、不安定さから次の音は安定した和音に進みたがる。

しかし、「金平糖の精の踊り」では、減七和音が連続して使われている。

心地よいチェレスタの響きで減七和音を奏でることによって、今までにない雰囲気のメロディを作り上げている。


「花のワルツ」では、音階が上がるのに合わせて音量も上げるという方法で、見事に人間の心理に訴える

メロディを作っている。



当時、長年信頼関係を気付いていたパトロンとも別れ、妹とも死別していたチャイコフスキー。


明るいメロディの中にもたまに魅せる不協な響きは、そうした表れなのかもしれない。

しかし、チャイコフスキーは諦めなかった。

音楽と真摯に向き合ったチャイコフスキーは、「花のワルツ」のエンディングのように歓喜の極みへと

上り詰め、その音楽は永遠に人々に愛され続けている。

リベルタンゴの魅力。


それは、単純な構成と繰り返し(リフ)の多用にある。

シンプルな構成のものほど、人の印象に深く残るのである。


もちろん、それだけでは凡庸だ。

単純な構成はしていても、そのメロディーは激しくギザギザと動くメロディ。

このギザギザのメロディは、苦悩や悲壮、宗教的な雰囲気を出そうとする際によくつかわれる。

例えば、モーツアルトの交響曲40番の出だしのパートなど。


ギザギザの旋律の後には、なめらかに伸びるシンプルで歌うようなメロディが現れる。

悲壮感漂うリフと、のびやかな響きが重なって、一層心に残る。


普通のタンゴは、単純な4拍子の音楽。

しかしこの曲はピアソラの代名詞ともいえる『3-3-2』のメロディを使っている。

『3-3-2』とは、3つの8分音符と2つの8分音符の組み合わせのメロディ。

つまり、『123,123,12,123,123,12、、、』のリズムである。


これによって、それまでのタンゴよりも情感に訴えかける音楽が誕生したのである。



また、タンゴを語る上で欠かせないのが、楽器、バンドネオンである。


アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスでタンゴが生まれたとき、全く違う楽器で演奏が行われていました。

その後、アルゼンチンはスペインの支配から逃れて独立。

その際に、世界中から多くの移民を受け入れます。


世界中から、人や物が入り込んできて、その中にバンドネオンがありました。

バンドネオンはアルゼンチン発祥の楽器ではなく、実はドイツ生まれの楽器なのです。


それまではクラリネットなどが使われて、比較的陽気な雰囲気が漂っていたタンゴ。

しかしバンドネオンが輸入されたことにより、演奏は情感こもった激しいものとなります。

元はドイツ人、ハインリッヒ=バンドがアコーディオンをモチーフに発明されたバンドネオン。

その音色はアコーディオンに比べて、鋭く尖っている。

当時、夢を見て海を渡ってきた移民たちは、実際には厳しい生活を送っていた。

その中で”より自分たちの悲しさや望郷の思いを込められる音楽を!”と思っていた人々によって、バンドネオンが支持されたのではないでしょうか。



1921年、アストル=ピアソラはアルゼンチンに生まれます。

しかし家族は、よりよい生活を求めて1925年にアメリカに移住。

ピアソラは、タンゴ好きの父から8歳でバンドネオンをプレゼントされます。

しかし彼の興味は、タンゴではなくクラシックやジャズへと向けられる。


やがてピアソラはアルゼンチンに戻り、バンドネオン奏者となるが、当時のタンゴはあくまで”ダンスの伴奏”

ピアソラは、クラシックへの憧れが捨てられず、30歳を過ぎてからフランスに留学します。


しかし、指導してくれた音楽講師は「あなたのクラシックには心がこもっていない」と。

仕方なくピアソラは、フランスでは封印していたバンドネオン用の自作の音楽を披露します。

これを聞いた講師は感動を覚えます。

『この音楽にこそ、あなたがいる。』

その一言が、ピアソラの人生を決めます。

彼はアルゼンチンに戻り、伴奏音楽を超えた新しいタンゴを作ろうと活動していきます。


それは、タンゴの革命でした。

しかし当初、その音楽は聴衆に受け入れてもらえません。

『タンゴ殺し、ピアソラ』とまで言われてしまう激しいバッシングが彼を苦しめ、ついに彼は活動の場をイタリアに移します。


ちょうどそのころに生まれたのが『リベルタンゴ』でした。

それはつまり、『自由のタンゴ』

タンゴの様式美とはかけ離れたて、聴き方によってはロックにも、ポップスにも、クラシックにもなりうる、既存の音楽にも属さない新しい音楽。


ピアソラは言います。

『私の夢。それは私の音楽を、私の祖国の音楽を世界中の人に聞いてもらうこと。』


こうしてピアソラの音楽は世界中に広まります。

また多くの演奏家に愛されて、様々なアレンジを受けて今でも人々に、タンゴの素晴らしさを伝えてくれます。

バッハの組曲第3番第2章

通称「G線上のアリア」


元々は組曲だが、今は第2章が独立して有名になっている。


ちなみに、当時の演奏は、今の楽器とは違う『古楽器』で奏でられていた。

古楽器には素朴で力強い、語りかけるような力がある。


たとえば、ティンパニ。

今のものと比べると、サイズがかなり小さいし、響きが違う。

というのも、スティックの先端は今のように綿のような部分がなく、完全木製だった。

だから、音が鋭く響く。

粗削りだが、まっすぐ胸に響く。


アリアが心に響く仕組み。

それは絡み合う、弦楽器の演奏にある。


この曲は、弦楽器のみのアンサンブルとして書かれている。

あまりに有名な、始まりの、第一バイオリンのロングトーン。

そのあとに、優雅で美しい旋律が続く。(抒情的』のひとこと。


しかしそれは、バイオリンだけの勝利ではない。


通奏低音として響く、チェロ、コントラバス。

それは、優雅なバイオリンの後ろで安定した旋律を奏で、曲を支える。

第二バイオリンやビオラは、第一バイオリンのための伴奏というよりも、寄り添う個性のように歌う。

それらの働きによって、曲に優雅さだけではなく、深みを与えられていく。


寄り添う美しさ。



この曲はすぐに忘れ去られるが、のちにアウグスト・ウィルヘルミによって『G線上のアリア』(G線だけで奏でられる)としてアレンジされ、一気に人気になる。



バッハの死後、250年経った今でも愛され続け、未だに新たなアレンジが施され続けているこのアリア。

クラシック音楽の中の、傑作の一つである。