今日のタイムリーにショパンの「ピアノソナタ第二番」である。

第一楽章では、流れる旋律の間に八分休符が多用されている。

個人的には、かの「葬送行進曲」よりも好きな部分だ。

この、タタッ、タタッ、というメロディが、聞く者にとって急きたてられるような印象を与えるのである。


しかしこの曲は、実は第三楽章の「葬送行進曲」から作られている。


重々しい、葬列が見えるような旋律はあまりにも有名だ。

しかし有名なあの旋律のあとには、以外にも甘い響き(トリオ)が続く。

これは、実は生前の死者への思いをはせた部分である。

在りし日の、回想の旋律。

重いメロディーの間に天にも上るメロディを挟むことで、死を、ただの死で終わらせないのである。



しかし、そもそもショパンはこの葬送を誰にために書いたのだろうか?

それには三つの説がある。


・自分の葬送行進曲 … ショパンは幼いころから極度に虚弱で、常に死と隣り合わせの人生だったのである。

                さらにこの頃、婚約した女性に別れを告げられている。失意のどん底にあった。


・失われた祖国 … 当時ウィーンにいたショパンは、ポーランドで武装蜂起が起きて多くの人々が亡くなり、

             ショパンは、二度とポーランドに戻れなかった。彼らへの鎮魂歌だったのではないか?


・過去の古い音楽 … この音楽はそれまでのソナタの常識を覆す内容になっている。過去との決別。

              「この曲は乱暴な4人の息子を無理やり一つにまとめただけである。」という

              シューマンの言葉が残っている。一見すると一連の音楽の間には繋がりがない

              ようにも感じるソナタは、当時は斬新なものだった。



「葬送行進曲」の完成後、他の章も完成していき、ジョルジュ=サンドの別荘で過ごしたもっとも平穏な時代。

彼がなぜこの幸せな時代に「葬送」を発表したのかは、今となっては分からない。

しかしそこには、死と隣り合わせで、時代にも弄ばれたショパンの、死をも超越した決意がうかがえる。

冒頭の、行進するような連弾。

ダクチュルと言う。

パターンを変えて何度も繰り返される音楽は、旅や人生の移り変わりに対する

シューベルトの思想を表している。


そしてダクチュルは力強い行進から、激しく揺れ動き、苦悩の中に陥る。

まさに人生そのものである。


悩みに中で突然訪れる「遠隔転調」。

それまでは苦悩の短調だったものが、メロディの最中に突然希望に満ちた長調に変化する。

気まぐれなほど唐突に表れる、一瞬の光のように。


しかし曲は次第に弱々しく、悲しみを帯び、そのまま第二楽章へと引き継がれる。



第二楽章は、悲しく、暗く、重い。

この旋律は、シューベルトが19歳の時に書きあげた「さすらい人」の旋律をモチーフにしている。

幼いころから音楽に対する非凡な才能を発揮していたシューベルト。

しかし、彼の父親は、息子が教師になることを望んだ。

二人は激しく対立し、シューベルトは言う。

「そして僕は、さすらい人になった。」


父親との対立。

受け入れられない悲しみ。


それがシューベルトの音楽の原風景なのである。



第三楽章は一転、明るい雰囲気でスタートする。

人生の悲しみを通じて、彼は成長し、新しい音楽にたどり着くのである。



そして第四楽章に至ると、第一楽章と同じ行進のメロディが力強く蘇る。

やっぱり自分には音楽しかないんだ。

さすらいの末にそう確信した、彼の強い意思を込めて。

20世紀の最高傑作といわれる、ストラヴィンスキーの「春の祭典」

しかし初演時は「春の虐殺」とまで言われ大きなスキャンダルとなった音楽だった。


それは、後から後から繰り返される不協和音の嵐。

メロディらしいメロディはなく、楽器ごとに短調と長調がおなじ部分で奏でられる「復調」や、

小節によってリズムが目まぐるしく変わる「変拍子」が続く。


そもそも、音楽の始まりからして、変わっている。


というのも、最初にうっすらと空に響いてくる高い旋律は、もっとも低音を奏でるべきファゴットなのだ。

しかしそこには、ストラヴィンスキーの強い思い入れがこもっている。


曰く、演奏者が必死になって音楽を奏でている様を表したかった、とのこと。


「春の祭典」に多用される不協和音は、しかし、当然ただの思いつきなどではない。


それは聞いている人たちに、心理的なフラストレーションを与えることによって、その後に爆発的な感動を生みための仕掛けなのである。


では、旋律によってフラストレーションを与えておき、何によって爆発させるのか。


それは、リズムによってである。



この曲は、リズムが非常に工夫されている。

先に言った「変拍子」もその一つだ。


不思議なことに、目まぐるしくリズムが変わるにもかかわらず、慣れてしまえばそこまで不快では

なくなるのである。

これは、西洋音楽の形式ばった一定のリズムではなく、人間の体内からあふれ出る、生命のリズムを

重視しているからなのである。


現にストラヴィンスキーの創作メモには、

「生命が脈拍のある時に存在するように、音楽はリズムによって存在する。」


と、残している。


この音楽は、リズムによって成立する音楽なのである。



「春の祭典」とは、そもそも一般的な「祭典」ではない。

これは、大地のために自らを進んで犠牲にする少女の物語なのだ。


かつてロシアの原始宗教では、春の訪れを祝って祭りを開き、その際に少女を生贄として捧げていた。

選ばれた少女は、儀式の末に踊り続けるのだ、死ぬまで。


しかしそれは、悲しいことではない。

肉体を犠牲にして、死ぬまで踊り続くる。

それは、悲しみではなく、壮大な喜び。

雄大で神聖な大地とひとつになる、偉大な役なのである。



ストラヴィンスキーは「春の祭典」で、人間と大地が深く結び付いている喜びを知らせたかったのだ。



芸術至上最大のスキャンダルと言われた「春の祭典」の初演。

会場となったパリの劇場で、ファゴットの音が鳴り出したとたん会場はどよめき、演奏中にも関わらず

保守と革新派の間で大論争が起きたのである。

それは、「春の虐殺」とまで呼ばれた。


しかし、わずか三回の上演で、ストラヴィンスキーの音楽はすぐに受け入れられた。

当時のパリは、新しい芸術を求めたアヴァンギャルトな雰囲気に満ちていた。

その中で、新しい価値を生み出そうとする人々に受け入れられたのである。


こうして「春の祭典」は、20世紀を代表する傑作となった。