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『一度きりの大泉の話』     萩尾望都 著

 

 萩尾先生の不遇時代の作品をタイムリーに読んでいたわけではないけれど、4歳下の妹が少女漫画誌にはまっていた頃、彼女の部屋で斜め読みしていた記憶はある。

それよりもセンセーショナルな竹宮恵子先生の「風と木の詩」に驚き、続きが気になるけれど妹を急かすわけにもいかず・・・消化不良なままほとんどイメージだけの作品として私の中に残っている。あれは、衝撃だった。

今でいうBL(ボーイズラブ)の先鞭をつけた作品なのだが、それは少女達の世間へ対する宣戦布告というか、人権宣言というか、目覚めの時の声というか・・・

1970年代初め、竹宮先生とその仲間の少女達は、自分たちで欲しいもの、興味のあるものを主張し始めたのだ。女の子の好きなものって、ふわふわしたかわいらしいもの、とは限らない。男女の立ち方も夫唱婦随のような形だけではなく、その反対も、もしかすると男同士でも女同士でも、自由に空想して良いのだ。(この頃郷ひろみがデビューし圧倒的な人気を誇った。かれは中性的な外見でありながらしっかり男の子を感じさせた。時代のニーズに合っていたのだと思う)

男の子が主人公だと、物語に幅ができる、行動の範囲が広がる、空想がどんどん広がる・・・ということが、とりもなおさず女の子というものの不自由さを証明してもいるのだ。

この本を読んではじめてこの作品の価値がわかった。

 

さて、本題。

竹宮先生と萩尾先生が不仲で、一説によると萩尾先生の盗作疑惑もあるとかないとか・・・

その辺のことを今でも蒸し返して話題に載せる雑誌もあり、萩尾先生は「真相を話すからもう聞かないで」という思いで出版したこの本。

昔から彼女の作品が大好きだったから、なんとなく気になって読んでみた。

そして知ったのは上記のこと。

それから70年代の漫画家の皆さんの濃い関わり合い方(・・・これではトラブルになるわ)と、萩尾先生のメンタルと卓越した能力。

萩尾先生の作品の登場人物の言動に違和感を感じることがしばしばある。それが作品の異質さに合っていて、そういう表し方を選択する萩尾先生って鋭い感覚の持ち主なんだと思っていた。でも、そうじゃないのね、先生がそういうひとなのだわ。

定規で計って感情をコントロールするような、行動を選ぶような、そういう形でしか世間とうまく付き合えないのかもしれない。

だけど作画や思索の力は群を抜いていて、他人の及ばない天才的なものがある。

こうして本にするあたりも、竹宮先生とは全く違ったメンタルの持ち主だという証か。

初期作品の出来上がっていった頃、お二人にはこんな心を苛まれるような時間があったのかと、驚きもあり。

 

そう思って、また漫画を読み返している毎日です。