芥川賞・・・今回二作とも考えさせられました。
 
『彼岸花が咲く島』 
         李 琴峰
台湾出身の作家が日本語で書いたこともあってか、日本語の深みという部分ではもう一歩という感じの文体だったけど、それはこの小説の中の〈女語〉〈ひのもとことば〉〈にほん語〉を登場させるため、意図的に簡易な表現にしたのかもしれない。
舞台は沖縄を思わせる島。沖縄独特の宗教が政治と重なった社会で三人のティーンエイジャーがそれぞれの道を進む物語。
日本を思わせる国は男性中心の恐ろしく管理された場所で、これは現代をデフォルメしたもの?
島の重要な輸出品は彼岸花から抽出した麻薬効果のあるもの・・・どこかの国みたいだ
いろいろと物語の成り立ちに雑な面はあるけれど(選者評の中で複数の方たちにも指摘されている)、作家が何を言わんとしているかは鮮明にわかる。
三人で、将来あるかもしれない危機について話し合っているとき、ひとりが語る「その時はその時に考えればいい」がとても腑に落ちる。
せいぜい三年後くらいの未来を具体的に考えて、あとは成り行きのなかでより良い方向を見つめ続ける・・・
とても前向きな作品だった。
 
『貝に続く場所にて』
          石沢 麻依
作家は仙台に生まれ育ち、東日本大震災もその場で体験している。そしてその後ドイツに留学し・・・と、物語の主人公と同じような足跡をたどっている。でも、インタビューのなかで言っているが、体験談ではない。使った素材は自身の中にあるものだったが、それを使って被災しなかったことへの贖罪の意識を様々な角度から表現している。
舞台はドイツの学園都市。そこで留学生仲間や親しい友人たちと不思議な体験をする。不思議、という言葉は出てこない。がこの世とあの世の境目が時々なくなり、風景のなかや人の輪の中に沁み出てくる。こういう感覚、好きだなぁ・・・
たまたま金曜ロードショーで「風立ちぬ」を放送していた。初めて見たときは思いの中の世界と現実の重なり方を整理するのが厄介だったけれど、もう3,4回も観ていると、それがはっきりしていて、物語がすっきりと入ってくる。つくづく良い作品だ。
と、関係ないことのようだけど、現実を生きるひとは過去にあったことのイメージやそこから発せられるメッセージを受け取りながら生きていかなくては、という部分は共通していると思う。
それで、物語の最後には誰が幽霊で誰が生きている人なのか、きちんと書かれてはいないけれど、他者の存在って、そんなものかもしれないと思ってしまった。逆に、すでに他界している人のほうが生きている人よりも影響を及ぼしてくることもある。
コロナ禍に在ってはなおさらだし、コロナ禍による人との距離感も関係性のなかに入れているのが良かった。
震災で奪われつくされた町も戦火で焼き尽くされた町も、確かにあったのだ。いまでも揺さぶってくる。
とても魅力的な物語だけど、読みにくい。
非常に修飾が凝っているのだ。幼い頃から読書好きだったという作者には、当たり前なのかもしれないが、選者評の中で山田詠美さんが「作者が文学的と信じている言い回しが読んでいて照れ笑いを誘う。(略)うぷぷ・・・全然、意味わかんないよ!」と救いようのない言い方をしている。一方、吉田修一さんは「詩的な響きを持って胸を打つ。」と評する部分もある。私も、これは詩の表現であって、ストーリーテラーの文章じゃないなと思う。
また、平野啓一郎さんは「死者の他者性の尊重という観点から疑問が残った。」と評している。これに関してはどんな書き方をしても尊厳と慰霊の間に在るものを埋めることはできないように思う。
震災があった直後、文学は現実の大きな悲劇の前に何もできないのでは、という論調があったが、こうして10年経って書かれてくる小説は、歴史的悲劇にきちんと向き合えているように思う。
 
 
箱根、ポーラ美術館の散策路
梢のあちらこちらから素朴な笛の音がとぎれとぎれに聞こえてくる。
想像の翼が生えてきそうな森
 

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