若者はなぜ「決められない」か/長山 靖生
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若者のフリーターが目立つ。

かつてはフリーターは1つのステイタスだった。

それは1980年代半ばから1990年代初頭にかけてのバブル期がもたらしたものである。

なぜなら、そのバブル期、若者は自分で考えず自分で歩まずとも与えられる存在だったのである。与えられる重みから若者は逃げ出した。高等遊民さながらに!


フリーターは、しかし、今や社会にとって都合の良い存在、過程にあっては荷やっかいなものに成り下がった。

定職を持たず、夢ばっかり追いかけて、しかもその夢は実現せず、その分だけ親の気苦労は増えている。

正社員にならない理由として、しがらみが嫌だとか、色んな仕事をしてみたいだとか、仕事人間になりたくないとかがあるが、

統計が示すとおり、フリーターであっても十分正社員並みに労働を提供しているのだ。しかしながら正社員との隔絶は厳として存在し、ややもすればフリーターは正社員になりたくないのではなくて、なれないのである。


世襲時代は若者は自分で決めることが不可能だった。身分が決まっている分選択肢は抑制され決定することはなかった。

しかし今は若者は自由である。自由が権利ではなく義務になっている。

この義務としての自由が若者にとっては、どこから手をつけて良いか分からない代物で、鵺のように正体が不明で、古代ギリシャの迷路みたいに出口がない。 若者は決めないことを自己決定だと勘違いしているが、実は袋小路に追いつめられた鼠の如く、決められない状況に追い込まれた哀れな存在なのだ。そして追い込んだのは社会制度のせいもあるが、自分探し、夢旅人といった自己欺瞞であることに気がついて欲しい。


この本の中で、興味深いことが書いてあった。

センター試験は5択で回答を選ぶが、どれかに○をすれば運で正解もあろうものを、どれも選ばない受験生が増えているのだ。

選ばない=決められない若者の臨床結果はセンター試験という若者の入り口でも見ることが出来る。