てゆうかさあ、

今はコンプライアンス、ハラスメント時代なのになんでそれぞれひとりひとり当事者にしか分からない苦痛、苦痛感を当事者が主張すると他者が否定、批判するのでしょうね?


どうして当事者にしか分からない苦痛、苦痛感を普通とか常識とか、あり前とか主観で否定、批判出来るのでしょうね?


まあ、物事の見方、考え方、捉え方、解釈、感覚、感性、感受性はそれぞれひとりひとりにとって違いますからね。


自己なり意見を言っているだけ、自己なりに当事者として苦痛、苦痛感を感じたから否定、批判しただけ。


まあ、要するにそれぞれ当事者同士の苦痛、苦痛感の無限ループですよ。


なぜ、当事者ではないから

共感、理解、受容は出来ないけど

当事者とっては苦痛、苦痛感を感じたのではないかと尊重、容認出来ないのでしょうね?