私は正論はどこまで行って正論だと思いますよ。


でも、正論では何何も物事の見方、考え方、捉え方、解釈、感覚、感性、感受性は変化もしない成長、跳躍しませんね。


でも、否定、批判して変化も成長、跳躍しませんね。


常に異論があって色々な物事の見方、考え方、捉え方、解釈、感覚、感性、感受性がある事を感じ、気づき、考え、学び活かして変化、成長、跳躍して行けると思いますよ。


まあ、コンプライアンス、ハラスメント時代な今現在は正論か極論が好きな方々が多いようですけどね。


私はいつの時代でも否定、批判しないで他者の物事の見方、考え方、捉え方、解釈、感覚、感性、感受性を尊重、容認しながら複数物事の見方、考え方、捉え方、解釈、感覚、感性、感受性がある事を提示する異論を示して行きますけどね。


常にいつの時代でも私は私

他者は他者ですからね。


自己の幸を感じる事と

他者の幸を感じる事も違いますからね。


それが個別性の尊重、容認ですね

当事者にしか分からないですからね。


多様性の理解とはそれぞれの枠組みの中にいる人々を理解すると言う事だと私は個人的に思いますけどね。


組織、団体、社会の中でそれぞれの枠組みの方々の多様性を理解して行く取り組みですよね?


まあ、要する多様性の理解は

それぞれひとりひとりの性格、性質、体質、感覚、感性、感受性、こだわり、各種障害を理解すると言う事ですよね。


そんな実際問題出来ますかね?


それぞれひとりひとりの性格、性質、体質、感覚、感性、感受性、こだわり、各種障害の理解なんて当事者以外分かりませんからね。


無理になんでかんでも理解、寄り添うとか出来ない事を言わずそれぞれひとりひとりの性格、性質、体質、感覚、感性、感受性、こだわり、各種障害を否定、批判せず尊重、容認だけすれば良いと思いますけどね。


でも、今のコンプライアンス、ハラスメント時代に自己正当性正論派閥組織団体の方々は常に他者を否定、批判、誹謗中傷する事で自己の正当性が正論であると主張しなければ不安、心配、恐さ、恐怖を感じて自己をメンタルヘルス、メンタルバランス、メンタルコントロールを保てない方々が多々いるのが今現在の時代ですよね。