最近、自分がいかに「すごくない」「それなりでもない」「物を知らない」「人のことを思いやれない」人間か、感じるようになりました。
例えば、前なら、誰かに愚痴や相談を受けた時、「その人の役に立ちそうな言葉はないか」と考えていました。
どういう風に言えば、相手にとっていい方向に向くのか、ということです。
否定するのがいいのか、他の選択肢を提示してみせるのがいいのか、同意してみせるのがいいのか、ただ聴くだけでいいのか。
やり方は色々あります。
どれがいいのか、ということを考えていました。
子育てについても、同じです。
この時に、どういう対応をすればいいのか。
そのための選択肢をたくさん知っておく必要があるのではないか、と思っていました。
最近は、「私は何も知らないなあ」と思うことが多いのです。
どうすればいいかとか、
どうしたらより良い受け答えができるかとか、
どうすればこの子にとって良い親になれるかとか、
「私、何にも知らないし、わからないなあ」
と思うようになりました。
でもそれは、否定的な感じではないのです。
私は何にも知らないけど、その場でできることをやってる。
それは、(結果的に)良かったり悪かったりするんだろうな。
常に良い方法を選べるほど、私は色んなことを知ってるわけでもない。
その状況の背景のすべてとか、
相手の思っていることや感じていることのすべてとか、
はっきり言ってしまえば、これっぽっちもわからないわけです。
推測はするけど、その推測は、
自分の中にある、自分の判断による推測でしかなくて、
私に唯一なんとなくわかるのは、
自分がどう感じて、自分がどう思っているか、ということだけです。
しかもそれすらも、100%わかるわけではない
というのが真実だと思います
そう考えると、私がわかることとか判断できることとか、少ないな~。
私には本当の意味で人を思いやることも難しいし、
人のためにできることもほとんどないし(結果的に人のためになることはあるかもしれないけど、それは希望的観測でしかない)、
良くしてあげたいと人に思えるほど、自分に対してもすべてを良くしてあげていないし、
すごい人になりたいなあと思っていたけど、
まったくすごくない人だなあ、と思います。
でもなんというか、
まあ、とりあえずできることをできるようにするしかないよね。
という気分です。
だってそれ以上のことは、できない。
そうすると、何だか人に口を挟んだりしなくても、良くなってきました。
目についたら、その話に加わらないと落ち着かないタイプだったのですが、
それもおさまってきました。
あれにもこれにも口をはさめるほど、自分はすごくない。
誰かがそれを望んでいるわけでもない。
すごくない自分は、すごい自分になるために右往左往してみるのではなく、
すごくない自分のままで自分の立ち位置にいればいいんだな、という気分です。
自分を馬鹿にするすごい人はいないんだ、と思ったら、
自分はすごくなくてもいいんだ、と思うようになったのかもしれません。
(かといって、前までの自分と、今の自分が相手に対して言うことがそう変わったというわけでもないんだろうと思います。ただ、う~ん、許容度は上がった気がします。あと、横から口出しはちょっと控えるようになった、かも)
最近色々自分の感情が変化していて面白いです。
その分、浮き沈みや波も、大きく来たりするのですが、
大抵一波二波、ゆられてやりすごせば、元に戻るなあと感じています。