3.11のこと | パート主婦*なつの節約ブログ*お得で暮らしを豊かに

パート主婦*なつの節約ブログ*お得で暮らしを豊かに

アラフォー夫婦+小中学生男子2人の4人家族です。2馬力で世帯月収27~30万円。進学や老後のための貯蓄を頑張りたい。毎日ブログでお得なキャンペーンを利用して楽しく節約する方法を書いています。

以前書いた記事を

再アップしています。

 

 

 

今日は

2011.3.11に起きたことを

書こうと思います。

 

 

我が家が

マイホームを建てたのは

 

東日本大震災で

それまで住んでいた家が

全壊したからです。

 

倒壊の危険ありと判定を受けて取り壊しました。


それまでは
家を買う予定なんて

全くありませんでした。

 

築40年を超す家で

だいぶ古さがありましたが

 

修理しながら

長く住み続けようと思っていました。


突然鳴りだした

緊急地震速報


最初何の音なのか

分かりませんでした。

 

 

カタカタと揺れだして


地震の警報音だ!

 

と理解した直後に

 

立っていられない

激しい揺れが襲いました。


あとから知ったことですが

我が家のあたりは

6強でした。


激震でよろめき

家具にぶつかりながら

なんとか寝室に向かって

 

お昼寝中の

0歳の長男の上に

覆いかぶさりました。


大地は

ドーン!!ドーン!!

聞いたことがないものすごい音。


戦争が始まったのか

爆弾が落ちたのか

 

というような激しい地鳴り。

 

地球が激怒している

みたいでした。


家は激しく軋み

聞いたことのない

悲鳴をあげていました。


ふすまが全部

飛ぶように倒れてきて

 

天井から

土のような粉のようなものが

大量に降ってきました。


台所の方で

食器や鍋が落ちる

激しい音が続いていました。

 

一瞬揺れが弱くなって

収まってきた……?と思った直後

 

さらに激しい揺れが

やってきました。

 

赤ん坊を連れて逃げ出したいけど

立つことなんて不可能。


この家は倒壊する

 

止まない激震の中で

本能的にそう感じました。



何としても

子供だけは助けたい…

 

けれど

 

逃げられるような

揺れではなかったので

 

もしも

家が倒壊しても

 

子どもだけは

自分の体で空間を作って

守りぬきたい

 

その一心で

体を硬くしていました。


死の恐怖というものを

その時初めて強く感じました。

 


揺れが収まってからも

余震は続きました。


ラジオから流れる音声は

沿岸部の状況を伝えるものが大半で

〇〇に300人の……とか…

 

にわかには信じられない

信じたくない

耳を疑うものばかり・・・。

 

 

少し前まで

気持ちのいい青空だったのに


空は

追い打ちをかけるかのように

 

猛吹雪。

 

避難所へ行きたくとも

指定の避難場所はとても遠い。

 

夫は

介護施設で働いているため

入居者の対応に追われて

帰宅のめどが立たず。

 

町内会長が

避難所が遠すぎて行けない

住人たちのために

 

集会所を

緊急で解放してくれました。


停電で真っ暗闇の夜。

 

震度5レベルの

激しい余震が続き

集会所の中に悲鳴が響く夜。


発熱してしまい

寝ない我が子・・・…。


公衆電話は通じず

 

救急も消防も警察

どこも繋がらない。

 

道路は陥没・隆起していて

車が走行できる状態じゃない。

 

携帯電話の充電も切れる。


ショックで出ない母乳。
足りないオムツと離乳食。

トイレは汚物であふれる。

 

集まった集会所は

指定避難場所ではなかったため

 

大勢集まっているのに

1つも物資が届かない。


何日も続く、断水、停電。
ガスの壊滅的被害。

 

開店しないスーパー。

不足するガソリン。

 

そして原発……。

 

子どもを生かすことに

必死でした。

 


辛い記憶が大半ですが

温かい記憶もあります。


避難所で

 

赤ちゃん

これ食べられますか?

 

とパンを差し出してくれた

お姉さん。

 

抱っこ代わるから

少し体を休めたら

 

と赤ちゃんを見てくれた

近所の女性の方。

 

若いお兄さんも

赤ちゃんの抱っこを

代わってくれました。

 

開いている小児科が

あるかもしれない

 

と発熱する息子のために

小児科を探しに行ってくれた

若いお兄さん。


赤ちゃんがいるんだから

温かい場所がいいよ

 

とストーブの近くの場所を

空けてくれた方。

 

断水するから

早く風呂場に

水を溜めた方がいい


とお風呂場の蛇口をあけてくれた

近所のおじさん。


避難所まで

荷物を運ぶのを手伝ってくれた

沢山の人。


全国各地から来てくれた

災害援助隊。

 

大きな車の横に

〇〇県災害救助とか

災害派遣というような

文字が書いてある車を

何度も見かけました。

 


あの日から
仮設住宅暮らしをしていた間も
ずっと

沢山の人の
善意に助けられました。

 


私が逆の立場だったら
同じように出来たかな……。

明日の自分が
どんな状況に置かれているかも

分からないような未曾有の災害の中で
他人のために動けるだろうか。



私は震災の時は

赤ちゃんがいたというのもあり

助けてもらってばかりでした。

 

こんな恐ろしい思いは

2度としたくないけど

 

次に何かあったときは

今度は私が助ける側になりたいです。

 

地震は突然起きるので

防災用品の確認を

改めてしておかなきゃ。