いのちの根っこに触れる | 神津島まざ〜ずあーす

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伊豆諸島★神津島と沖縄を行き来しながら
フラを生きる道を学び
実践中。
ゲストハウスを運営し
リトリートも企画しています。

目に見えない世界と目に見える世界。

 

 

私たちは目に見える世界にばかり注目して生きています。

目に見える成果や結果。

わかりやすい事象。

形としての現れ。

だけど、実際には目に見えない世界では

それを超えたことが起こっていたりします。

 

 

昨日、植物の世界のことをテレビでやってたんですけど

植物が語っているというのです。

植物や野菜が語ることは知ってましたが、それを科学的に説明していたわけです。

例えば、特定の虫の幼虫にかじられた葉っぱは、その特定の幼虫を好物とする虫を呼び寄せる

化学物質を放出させるのです。

それは1種類の物質ではなく、この虫にかじられている時はこの組み合わせ。

こんな状況の時はこんな組み合わせ。

など、いくつもの化学物質を組み合わせ独自の暗号『言葉』を放出し

それを受け取った虫や鳥が集まって来て生存の危機を回避するのだと。

虫が大量発生したり、鳥が異常に集まったり

特定の植物が一斉に枯れたり・・

それは、見えない世界で起こっている植物たちのコミュニケーションの一部(見えている現象)を

私たちが見ているに過ぎず、その全体のストーリーではないのですね。

私は常々、見える世界と見えない世界の両方を見て感じて体験していくことが大切だと感じています。

片方を見て知っているつもりになることは

ほんとうの意味でその体験を受け取ったことにはならない、半分しか体験できなくて勿体ないな・・と思うのです。

フラではクムリポという物凄い膨大な神話をうたい踊りますが

何もない真っ暗な闇(見えない世界)からすべてが始まったと伝えています。

見えないから何もない・・のではなく、見えない空間にこそ無限の情報が散りばめられていて

植物たちの発する暗号のように、それらを組み合わせて(素材にして)

私たちは自分の物語を生きているのではないか・・と思いました。

そして、その素材選びや組み合わせのパターンに

その個人のフィルター(癖や個性やブロックと言われる傷など)が大きく影響し

多種多様な物語が展開していくのかも知れません。

そう考えると、出来るだけフィルターが詰まっていない方

(心の傷により間違った、誤解した認識のまま選択する癖が少ない方)が

素材をありのままに生かすことが出来るし

自分自身(フィルター)に振り回され

さらに、傷を深めていくという

悲しく不毛な繰り返しをしなくて済むのだと感じています。

 

 

自身の見えない世界で起こっていること

どんな暗号がどんな組み合わせで飛び交い

どんなものを自身の世界に呼び込んでいるのか?を認識し、理解することによって

人生がとても楽に明るいものになっていくよ・・ということを

私は体験的に受け取って来ました。

こんなことが起こるなんて不本意だ!

どうしてこんな目に!

と、誰かや何かのせいにして終わるだけでは、その先に進むことは困難で

おや?これっていつも起こるけど・・実は自分が引き起こしていることなのかも知れない・・

と、自分の根っこ、内側の見えない世界に目を向けてみると

壮大で深淵な・・そしてダイナミックな生命の力に触れる扉が待っているのですよ!

ぜひ、生命の力に触れに起こし下さいねニコニコ



女将