財務省のおじさんが財務省のおじさんを庇って色々忖度したら財務省のおじさんが自殺してやがて財務省の大臣のおじさんの首が飛ぶ的なそんな話に溢れた昨日を見送って今日になりました。

久しぶりに仲間に会ったり髪を切ったり今日という明日に思いを馳せたりしていたら気付けば3月12日でした。一年前の今日公開した『明日の空』のツイートをセルフリツイートして目を閉じた昨晩を、どう受け止めるべきか。

人は忘れる生き物で、その特長に生かされている生き物でもある気がします。それが出来なくて自殺してしまう人も大勢いますが、出来る人の方が大勢だとは思います。しかし覚えている、思い出すことで助かる命もあることを昨日は認識せねばならなかった。「おい人が死んだぞ、責任取れよ、いいじゃねえか、死ぬ訳じゃないんだし」なんて言ってる場合だったのか。

こんな書き方をしてなんですが、それは一つの正解だったと思うのです。7年前の地震ですから、国民総出で喪にふくすというのは難しいでしょうし、おじさん達にも色々事情がある。それでも忘れてはならないことを忘れないままにしておくにはどうすればいいのか。

僕は思い出しながら生きていく、が正解かなと思います。東北の震災が震災の全てではない。全てひっくるめて災害として、ふと何かのきっかけで思い出すだけでいい。その時何をするか、何が出来るかは各人によりますが、僕はせめてその時のことを思い出したり、想像したり、泣きたい人と一緒に涙が出なくても泣くことぐらいなら出来るかなって。

3月11日は日付でしかなく、3月12日とも3月13日とも持つ価値は平等に24時間。大震災を幾度となく経験した国としての「日本」は24時間365日続いていく。昨日だけじゃなく今日も明日もここは「日本」。1億人にほんの少しだけ優しい気持ちがあれば、あってもどうにもならないこともあるけど、それでもあれば、あれば、


なんて。