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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

 

 

 

人は有難うの数だけ賢く成り。御免なさいの数だけ美しく成り。さよならの数だけ愛を知る。                      「大林宣彦」

 

 

 

. 自作のマイナーハーモニカソロです。ヘタですが、、、

 

 

 

 

 

 

 

コメントを頂く事が励みになります。どうか宜しくお願いしますね....。

 

 

(本文と写真は関係ありません、、、)

 

(写真:twicejapan.com/) TWICEが12月20日0時、日本リパッケージ・アルバム「&TWICE -Repackage-」の発売を発表し、グループ写真と新プロフィール写真を公開しました。 「&TWICE ラッパー, かわいい小さな女の子, 人気トップモデルのまとめ, 王妃, 血液型, アジア美人, イケメン俳優, 歌手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨年の事です...。


私はこの blogで知り合った女性が居ました。
彼女は障害を持って居ました。
彼女は解離性多重人格障害で6重人格でした。


彼女はblogに日々の毎日の出来事を
綴って居ました。

彼女は腕が曲げられ無いほど痛いと
言って居ました。だから、麻薬を擦った特殊な薬を湿布して居た。
そして彼女には、内臓腫瘍がありました。

しかし、掛かり付けの京都医大の医師は、
幾ら検査をしても、腕に異常は無い、、
「嘘を言ってるんでは無いか、、」
と彼女に聞いたそうです。

彼女が解離性多重人格障害の6重人格に
成ったのは彼女が中学の時に両親が、
電車に彼女が見て居る前で、
飛び込み自殺をしてからだと言って居た。

当時の警察はまだ若い彼女にズタズタに成った、
遺骸を見せたらしいのです。

彼女はそんな状態なのにある企業に面接
に行きました。障害者枠で就職を試みた
のです。何とその会社は彼女に1日
4時間労働の仕事の契約をすると言った。

彼女は頭が良かったのです。京都大学を
首席で卒業して居たのだ・・・・。

障害を持って居ても働かなければ食べては行けない、、

私は「おめでとう」とお祝いを言った。

しかしその話は立ち消えになった。
主治医が反対して辞めさせたのだ。

何故なら・・・・。

彼女は、病院で精密検査をして、エコー
を掛けて居た。すると、良性だと言われて
居た腫瘍は全て末期癌だと判ったのだそうです。


その話を聞いて私は絶句した。
「何でこの子がこんな目に合うんだ」
そう思いました。

そして腕の痛みはその腫瘍のうち一つが
背骨に張り付いて居るからだと判った
のだそうです・・・・。

そして、彼女は主治医から、「解離性多重人格
障害は残念だけども仕事は出来無いよ」と言われたのです。

そして彼女は手術を受ける事に成った。
手術は「うつ伏せになって、行う」と言われました。

彼女は私に言った。「もうblogは辞めようと思う」。

そして、手術の2日前に私にblogを辞めると言って来た。

私は、「早まらないで」と言いました。しかし彼女の意思は固かった。

次の日、私は彼女のblogに行って見た。
そこには、彼女がソファに腰掛けて
微笑んで居る写真があった。

そして彼女のblogに一言、「今まで支えてくれてありがとう」と言う言葉を
残して彼女は blogから姿を消しました。

死んだのです・・・・。

私は最後の一日だけ表示された写真を、
未だに目に焼き付けて居る。

彼女は美人だった。

人生、辛い事ばかりです。



此処に彼女に捧げた曲を挙げて置きます。
 

  

 




 

 

今日は訪問看護婦さんが来ました。丁度、Bluesharpのケースを開けていた処でした。それを見て、「凄いですね。」と言っていましたが、、多分、12本、Bluesharpが入っていた所為でしょう。まあ知らない人が見たら、同じharpが12本もあるので、不思議に見えるのでしょうけど・・・Bluesharpは1本ずつ、keyに寄って別れています。1本ずつが一つの音階に成っています。12本で要約、全ての音階で吹ける事に成ります。この事は、Bluesharpを知らない人は解らないはずです。全部のkeyを1本で吹けるharmonicaもあります。そのharmonicaの事を、chromatic・harmonicaと言います。chromaticはBluesharpよりも大きいです。そして、Bluesharp見たいには吹けません。まあ、Bluesharp がBlues、Rock専用とすると、chromatic・harmonicaは何方かと言うとJazzとかClassical music専用です。私はこのharmonicaも吹きます。以前、写真を挙げているので、このblogで見た人もいるかと思いますが、また挙げて置きます。

 

クロマチックとは、「半音階」を意味します。 クロマチック・ハーモニカの横にレバーがあり、このレバーを押すことで半音上の音が出ます。 クロマチック・ハーモニカは一本だけで全ての音階を演奏出来るのです。 ... どんな曲でもクロマチック・ハーモニカが1本あれば、演奏出来てしまうのです。

ブルースハープとは、HOHNER(ホーナー)社の商品名で、10個の穴がある事から、一般的にはテンホールズ(10 Holes)と呼ばれます。ポケットの中に入れて持ち運びが出来るくらい小さく、安いものでは1本1,000円位からあり、人気モデルの価格帯は3,000円台と、比較的購入しやすい手ごろなハーモニカです。ブルースを演奏するのであれば、ベンディングなどのテクニックもありますが、その単純な構造の為、楽器としての差はそれほど無く、プレイヤーのセンスによって演奏が大きく変わる奥の深い楽器とも言えます。

 

 

 

 

午前中は朝起きて食事をして少し経ったら、又、眠たくなってしまい、横になっていましたが、ヤマト運輸が来たので、起きました。その後、訪問看護婦さんが来ました。今日は、眠たかったのですが、此の間、銀行口座とか、名前を書いたハガキに保護シールを貼り忘れたので、色々ネットで訊いて見て大丈夫かとは思いましたが、万が一の事を思い。もう一つ口座を作りに銀行に行きました。郵便局で予定の入金を確認してから、銀行に行き、口座をもう一つ作りに来たと言ったら、銀行員が丁寧に対応してくれました。此の間、この銀行に電話を掛けて、ハガキに保護シールを貼り忘れたが大丈夫かと訊いたが、その時に電話に出た若い女の子が、要領を得ず笑っていたのですが。今日、銀行に行って年配の40代の銀行員に話していたら、その若い銀行員の女の子がビックリして、私を見ていましたが、、声で解ったのでしょう。またもや若く見られていたらしい。最近、思うのだけども、人間、30歳位に成らないと要領を得ませんし、人間としての厚みも出ませんね。それに其の位に成らないと、若い内は何言ってるか解りません。まあ、私はそう思います。それで、前に作っている口座の通帳から、粗方、新しい口座の通帳にお金を移動しました。これで安心です。

 

 

さて、映画です。西部劇です。「レッド・サン」です。

「レッド・サン」Red Sun, フランス語 Soliel Rouge)は、1971年公開のフランス・イタリア・スペイン共作のマカロニ・ウエスタンです。日本映画を代表する三船敏郎とハリウッド映画を代表するチャールズ・ブロンソン、フランス映画のスター、アラン・ドロンの世界3大スターが共演した異色の西部劇です。

三船プロが、パラマウント映画に対し、三船敏郎主演の侍を主役にした西部劇の企画を持ちかけたのが1965年の事でした。この企画に賛同したのが製作者のテッド・リッチモンド。しかし、当時アメリカ本国やイギリスでは007を中心にしたスパイ映画ブームが起きており、西部劇(しかも侍が主演の)に興味を持つ者は少なかった。だが、テッドは諦めず、遂にフランスのロベール・ドルフマンと合意して実現した経緯があります。

監督に『007』のテレンス・ヤング。音楽に『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバコ』のモーリス・ジャールを起用しました。

欧米人は太陽を「黄色/Yellow」と感じる。子供の絵でも黄色を使って描く子が多い。日本人は太陽を赤で描くことが多い。この映画の題名は「日本人」を表現している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画は初めサム・ペキンパーが監督候補として挙がっていた、そして、クリントイーストウッドがアメリカ側の共演者と決まっていた。「レッド・サン」の企画の具体的な話し合いのため、三船は、三船プロ制作部部長、田中寿一と渡米した。そこで、先方のプロデューサーから、同席していたテレンス・ヤング、エリア・カザン、サム・ペキンパーの3人の中から監督を選ぶ様に勧められた。しかし、ペキンパーは自身の映画製作のため難色を示し残りの二人と成ったが、その場では返事出来ないので、次の日返事をする事に成ったそうです。テレンス・ヤングだけが、三船に対し「あなたに会えて幸せだ」と挨拶したと言う。また、『007』の撮影も終えて、『レッド・サン』のシナリオも読んでいたので、考えた末、彼に決めたという。そして主役3者のうちクリント・イーストウッドは新作映画に取り掛かっているため、代わりにチャールズ・ブロンソンに決まった。三船とブロンソンは決定したが、後一人はヨーロッパの俳優ではどうか、と田中が提案し、日本でも人気のあったアラン・ドロンに決まったと言う。この映画の撮影中、三船は「サッポロビール」のCMを撮影する為、カメラを廻し、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンと共に撮影するが、このフィルムは現在まで日の目を見ていない。又、三船は紳士服ブランドとして立ち上げた「ダーバン」のCMにアランドロンを引っ張りだす為に、「フランスではCMは俳優業より低く見られているが、日本では有名ブランドのCMに出ることは、俳優として名誉な事だ。」と諭して、ドロンをダーバンのCMに引き出す事に成功した。

 

 

 

初めて西部に乗り込んだ“サムライ”と強盗団との、大統領献上の宝刀をめぐる確執を描く。製作は「夜の訪問者」のロベール・ドルフマン、製作協力はテッド・リッチモンド、監督は「クリスマス・ツリー」「夜の訪問者」のテレンス・ヤング、脚本はレアード・コーニグ、撮影はアンリ・アルカン、美術はポール・アポテケール、音楽は「ライアンの娘」のモーリス・ジャール、編集は「明日に向かって撃て!」のジョニー・ドワイヤーが各々担当。出演はチャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、三船敏郎、ウルスラ・アンドレス、キャプシーヌ、モニカ・ランドール、中村哲、田中浩など。

ストーリー

日米修好の任務を帯びた日本国大使、坂口備前守(中村哲)と随行の武士、黒田重兵衛(三船敏郎)、名室源吾(田中悟)の一行は、合衆国大統領に献上すべき宝刀を護衛しながら、特別列車でアメリカ西部を東に向っていた。ところが、この列車に連結された、金貨の納められた郵便車を、西部名うての強盗団、ボスのリンク(C・ブロンソン)と相棒のゴーシュ、(A・ドロン)一味に襲われ、警護騎兵隊の意表をついた見事な策略で、金貨を奪われてしまう。同時に大統領に献上する宝刀をも奪われた黒田(三船)は1週間の期限付きでゴーシュに裏切られて捕まったリンクと共にゴーシュを探す旅に出る。途中、リンクは黒田を出し抜こうと謀るが、その企みは尽く、黒田の柔術やら侍の武道の前に敗れる。そして、売春宿でリンクが懇意にしている若い女将に、ゴーシュの女がその売春宿にいることを知らされた2人は彼女(U・アンドレス)にゴーシュの処まで案内をさせようとするが、西部の荒野にはアパッチの脅威やら、危険な状況が待っていた。そして、ゴーシュの女はアパッチに捕まってしまい、彼女を救い出し、要約ゴーシュを探し出すが、又もやアパッチに取り囲まれた彼らは、一時休戦状態を結び、アパッチを撃退する。盗まれた、宝刀を取り戻した黒田は、死んだ侍の仇の為、油断をしているゴーシュを後ろから斬り殺そうとするが、一瞬躊躇った、その気配を知ったゴーシュは黒田を撃つが、リンクはそんなゴーシュを許しはしなかった。ゴーシュの女にゴーシュを殺しては財宝の在処が解らなくなったと罵声を浴びせられるが、黒田との友情を胸にリンクは、宝刀を列車の通過点の電線に吊して去って行ったのだった。

 

この映画は日本の侍を、世界に広めた映画史に残る名作です。テレンス・ヤングの三船リスペクトに溢れている演出も良かった。スタント部分はスタント・マンを使わず、三船は全て一人で演じています。そればかりか、とかく日本人と言うと外人の変な勘違いだとか、ましてや侍と言ったら変な演出をされがちなのですが、三船は監督とデスカッションを重ね、日本人の言う侍とはどう言う者か、武士道とはどんなものかと言うことを徹底して監督に解らせました。ガンマンと親善大使の侍が盗賊アラン・ドロンに奪われた刀と金を取り戻す。それをブロンソンと三船が真剣に演じています。西部で三船から貰った握り飯をブロンソンが「うめえな!」と言って喰うシーンと三船の最期は『七人の侍』のオマージュです。この作品は、初め、サム・ペキンパーが監督で、ブロンソンの役はクリント・イーストウッドでした。アラン・ドロンは決まって居ました。この映画が製作されると訊いた、私は映画月刊誌「スクリーン」を読んで、その製作状況を固唾を呑んで、見守っていました。何せ1970年代当時の、人気スター、クリント・イーストウッドとアラン・ドロン。そして日本が誇る名優、世界の三船敏郎が共演するとあっては、もう、最大限の賛美を送っていました。ましてや、監督はあのバイオレンス映画で有名な、サム・ペキンパーと訊いていたからです。しかし、監督はサム・ペキンパーに代わってテレンス・ヤングに変更され。役者も、クリント・イーストウッドの代わりにチャールズ・ブロンソンに成りました。当時は少しがっかりしましたが、チャールズ・ブロンソンは好きな俳優だった為。この変更も止む無しと思ったのを今でも憶いて居ます。ただ、今となるとサム・ペキンパーに撮らせたかったと思いますが。しかし、テレンス・ヤング監督も中々良かったですね。そして世界の3大名優が揃って撮ったこのレッド・サンは後世に残っていく映画であると言えると思います。