私が応援して居る。声優で、舞台俳優で、ゲーマーでユーチューバーの青木志貴ちゃん。

私が病院に入院したら、50代の男が入院して居まして、話をすると必ず。「へぇ〜〜?」と言うのですよね。まあ、病気な訳だからおかしいのでしょうけど。人が話し始めると必ず「へぇ〜〜?」と言う。私は段々とその男とは話さなくなって行きました。こう言う男。鼻から人を馬鹿にして罹って来る男。自分はもう50歳超えて居るのだろうに。常識も何も無い単なるバカ。どうしようも無い。処で私を苔にした。以前書き込みをしたら「自分の生い立ちなんか書いて来ないでよ!!」と言ったあるblogの女性会員は、この間観に行ったら。blogを脱会して居ましたよ。その人は、毎年新学期になると、高校生やら中学生向きの励ましの言葉を書いて居ました。学校の先生気取りでしたが。誰も読んで居ませんでした。書き込みも一人しか居らず。その人も最近では書き込んで居なかった様でした。私が言う事は全て気に喰わずに居て。私がその女性に合わせても。何時も「私の方が上よ!」と言う態度でした。確かに本で読んだ知識はありましたが。
知識に振り回されて居る典型的な女性でした。私はそれとなく。「蘊蓄が言えるのはいい事だけども。知識が全てと言う考え方はおかしいですよ・・・。」と言って居ましたが。耳を貸さずに居て。よく居るんですよね。蘊蓄が言えれば利口だと思って居る人が。確かに何も知識が無いと言うのは困るけど。普通に生活する上で必要な知識さえ学んで居ればいいと思いますよ。はっきり言って私も少し蘊蓄を言いますが。これ読んで居る方でこいつの蘊蓄は要らない。と言う人が居ても私は全然アリだと思います。「人間は考える葦である」。これはフランスの哲学者ブレーゼ・パスカルの言葉ですが。何か言いあらわしがたいものを、それでもなお言葉で持って語ろうとするとき、人は「たとえ」を使います。見事なたとえは多くの人に知られる様になり、やがて皆が説明抜きでも理解出来る様になる。「考える葦」もそうした、たとえのひとつと言えるでしょう。
パスカルは『パンセ』の中で人間を葦にたとえながらこう語って居る。
「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・」
折れやすくもろい葦は、確かに人間の弱さを象徴するに相応しいものかも知れない。だが、何故「葦」なのだろうか? そもそも『パンセ』はキリスト教弁証論として構想された。懐疑論者や無神論者に対してキリスト教の正しさを論証する事がパスカルの目的だった。
特に人間の悲惨とキリストによる救いは『パンセ』の中心テーマのひとつである。パスカルは原稿を準備しながら聖書を丹念に読んで居た。そしてメシアについての預言や、イエスの受難の場面から浮かび上がって来たある植物に注目する。前田陽一氏は「考える葦」の由来を次の様に述べて居る。
・・・メシアの預言、荊の冠と対をなす葦の杖、十字架上へさしのべられた葦の棒と、キリストの一生の大事な時点に三回も登場して来る処から、「傷められた葦を折る事がない」(『マタイ福音書』一二の二〇)キリストを「考える葦」の尊厳の守り手と考えての事だろうと思う。
恐らくパスカルは、人間の弱さだけでなく、キリストの贖いをも象徴するものとして「葦」を選んだのではないか・・・。勿論、由来をあれこれ考えなくとも、このたとえを理解し味わう事は出来るだろう。しかし、さらによく知ろうとする努力こそが「考える葦」には相応しい。「だから、よく考える様努めよう。」そうパスカルは付け加えて居るのである。
知ると言う事は確かに楽しい。しかしお勉強に成って仕舞っては元もこうも無い。前にも言ったが、本来、勉強と言うのは物事に精を出す事。努力する事だ。知識を学ぶと言う事とも言われるが、皆履き違えて居る。知識を知って居るだけでは駄目で。一つだけの知識は自分に取って弊害にしかならない。昔の「オタク」が良くバカにされたのは。アニメの知識は凄いが他に何も知らなかった事だろう。しかし、大学の教授たちはどうだろう。同じ事が言えないか。要するに専門バカだ。それは普通の人より知識はある。しかし彼らはそれのみだ。要するに「学問オタク」なのだ。なんでもそうだ。私の様なものの事を「ハーモニカ・オタク」と言えよう。ガーディニングが好きな人は「ガーディニング・オタク」猫好きを「猫オタク」考えればキリが無い。
しかしオタク的知識はそれのみでは活用法が無い。その人間が使ってこそ本領を発揮する。私が言いたい事はそれだ。知識など今の時代、溢れかえって居る。本屋に行けば幾らでも情報は手に入る。本屋に行けなければ図書館でいい。手っ取り早くはこうやって人のblog記事を見るのも一つの方法だ。巷には「ロジカルシンキング」の本が溢れ、ロジカルシンキング研修も活況を呈して居る様だ。しかし「物事を多角的に見る力」や「多角的に考える力」は「ロジカルシンキング」とは全く別の能力だ。一般に、ロジカルシンキングは「前提を置き」→「推論を働かせ」→「結論に至る」と言う筋道を辿る。しかしロジカルシンキングは「推論の働かせ方」は教えてくれても「前提の置き方」は教えてくれない。
逆を言えば「前提の置き方」次第で「推論の働かせ方」が変わり「結論」も変わってしまうのがロジカルシンキングだ。誤解を恐れずに言えば「何を考えるか?」は視点が決める。しかし、これを逆手に取れば「多角的な視点の持ち方次第で、ロジカルシンキングでは辿り着けない新たな世界を切り拓く事が出来る」とも言える。視野・視座を広げる方法はよく「イノベーションとは、常識を覆し、新たな常識を創り出す事である」と言われるが「多角的な視点」は皆んなが置いて居る前提を覆し、新たなアイデアやイノベーションを生む源となる。知識は一致半壊では困るのです。私は此れからはスペシャリストの時代は駄目で。ゼネラリストの時代になると思って居ます。皆さん今、私が物事を多角的に見ると言いましたが。物事をそう見る事は知識も多角的になると言う事です。
此れも以前のblog記事にて書きましたが。私はミュージシャンの端此れだと此れでも自分の事を思って居るので言いますが。一つだけの音楽では駄目だろうと思いますよ。此れから多元的に聴いて居ないとね。ジャズのサックス奏者で「チャーリー・パーカー」と言う人が居ます。jazzに嵌り出した人には避けては通れないモダン・ジャズの巨人であり、スウィング時代以降のjazzの全てを変革した男。若きマイルス・デイヴィスはパーカーの天才振りを間近で経験し、その天才の凄まじさと「此れは、自分には無理だ」と言う思いから、その後のモード等のjazzを創出して行った。さて、そのjazz史上、最大の天才であり、その後のjazzを全て変革してしまった程の人物、チャーリー・パーカー。彼はどんな音楽を聞いて居たのか?それはブルースとドボルザークなのですよ。方や黒人の伝統音楽。そして方や白人の伝統音楽のクラシックだったのですね。
彼はビバップを発明しました。よく彼の演奏を聞いて見ると解りますよ。ブルースとクラシックが渾然と絡み合って居る事が.....。音楽を例に出して挙げると。クラシックとロックとの融合。プログレッシブ・ロックと言うジャンルの音楽があります。此れはバンドによってはジャズと融合して居る場合もあります。複雑なリズムやフレーズが使われたり10分を越えるような楽曲が少なくないので、一聴では難しく聞こえてしまう事があります。しかし繰り返し聞いて行くとミュージシャンたちの高い技術による演奏や、楽曲の持つ世界観がクセになって仕舞うジャンルでもあります。今こうやって音楽についても色々と言いましたが。私のホームワークはブルースですが。もう一つはハーモニカでプログレを吹いても居ます。
専門バカで良かった時代は、もう終わりを迎え様として居ます。そして書いた様に蘊蓄を言えなければ行けない世の中もそろそろ終わりです。物事のプライオリティーがそうなんですよ。なんかうまく今回は文に出来なかったかも知れないけど、、私はその人間の型があれば、そこに仕舞う知識は蘊蓄では無くて。正確な情報でありえないと、行けないのでは無いかと思って居ます。以前、私が自分のblogの掲示板で人と会話をして居たら。横から突然女性が「ほら、また難しいこと言ってる!!」と書き込んだ人が居たけど・・・。人は皆自分の型を持って居ます。それは自分が掲げて居る旗です。そして私は人の型(旗)要するに人の考え方もよく解るつもりです。。ただ、もうひとつの事だけでは、駄目だろうと思いますよ。私の蘊蓄は要らないと言う人が居てもいいし。知識を広めたいと言う人が居てもいい。私は人の旗をとやかくは言いたくは無いし。今の世の中。色々な人が居てもいい。しかし相手を自分が気に喰わ無いからと、侮辱する様な事は困りますよね....。以上、言いたい事でした。。。。

John Lennon - Oh my love (remastered 2021)
「GACKTと私の呟き」
よく、ポーカーを運試しのギャンブルだと勘違いして居る人が多いが、それは違う。確かに1ゲームだけの勝負なら、ジャンケンの様な運のみに頼った勝負も出来る。しかしポーカーはゲーム数を重ねれば重ねるほど、最後は勝つべき人間が勝つ様に出来て居る。これって人生の縮図だ。ポーカーで強くなるには、駆け引き、読み、観察力、記憶力、表現力、勇気、グラフ、戦略、タイミング、リスク換算など、様々な要素が求められる。そして勝負はテーブルに座った瞬間から始まって居る。プロならば、ゲーム中盤あたりには、場に出て居るカードや、それまでの他のプレイヤーの特性、クセ、立ち振る舞いなどから、そのゲームにおける自分が勝てる確率、期待値、リスク換算を即座に算出し、勝負所でのみ仕掛けて来る...。
ポーカーにおいて、一番美しい勝ち方はショウダウン_(自分の手札を見せる事)をするまでもなく、自分が勝負を仕掛けた瞬間に、全員が白旗をあげて降参する勝ち方だ。ビジネスにおいても同じ事が言える。出会いの瞬間から、勝負は決まって居る。相手の好み、要望、性格、クセ、状況などを正しく観察して信頼を得られる行動とともに、流れ・本質・勝負所を見抜いて行く。そうすれば、例えば交渉の瞬間は、そもそも自分が仕掛けたタイミングとなるので、焦る必要も無い。此方の要望に相手が問答無用で応えるよう、完全なる勝負どころで仕掛けることが出来る。ポーカーをしっかり学べば、勝負事の流れと本質、そして勝つべくして勝てる勝負どころが見えて来る、ポーカーでもビジネスでも、テーブルについたらまず周りを見渡せ。そしてカモが見当たらなければ、すぐに席を立て。なぜか解るでしょうか?自分がカモなんですよ.....。
「本番は頑張る」「いざって時はなんとかなんだろう」そんな言葉はクソだ。
段取りが95%本番はその結果。本番は頑張ると言う人は大概、気合だけが空回りして周りが見えず、他人に迷惑を掛ける。段取りが十分であれば緊張せずに本番に臨む事が出来良い結果を生む。また、不慮の出来事に対処できる余裕さえも生み出す。「いざって時はなんとかなる」などと期待をするな。本番の直前に意地で準備しても遅い、焦りを生むだけ。段取りは日々積み重ねておくものだ。
自分の人生を変えようと挑戦して居ると、妬み、嫉みを持った、様々な奴が現れる。仲が良かった奴でさえ急に邪魔し始める事もある。そんな奴らの声には1秒たりとも耳を傾ける必要なし。足を引っ張ろうとする奴が仲間だった?親友だった?だからなんだ?そいつらが自分にとってなんのメリットがある。「誰が足を引っ張ろうとして居るのか?」そんなふうに疑心暗鬼になる前に、まずは自分がどう言う人生を歩みたいのか、宣言をしろ。努力して居る事を周りにいちいち言わなくてもいいが、どうしたいのか、どうなりたいのかは、明確に示せ。その上でバカにしてくる奴、鼻で笑う奴こそが今すぐ距離を取るべき人間だ。そんな奴らが、自分の物語に必要ですか???
日常には、様々な学びがある。学びを見つける視点こそが成長に繋がると思います。日々目にするものどんなものにもディテールやバックボーン、理由がある。それらに目を向け。考え、比較し、知識として吸収する。最も大切なのは、その学びの癖を付ける事。そうすれば、日々が学びの宝庫であり、成長の切っ掛けとなる。例えば私の事で申し訳ないが、私はよく音楽を聴く。何のジャンルでも聞く、そしてその音楽を演奏して居るプレーヤーたちの情報を自分で探す、具体的にどうするのかと言うと。昔ならレンタルレコード、CDを借りて聴いたり。また音楽情報誌。音楽喫茶に行ったりして情報を得て居た。
まあ、この分野は昔と比べるとだいぶ少なくなってしまったが、、今ならパソコンでググれば大量の情報が得られるはずだ。その情報をパズルの様に自分の頭の中にはめ込むのだ。私なぞは曲の題名などが解らない時、大概がクラシックだが、恥をかいてもクラシックの楽器を演奏して居る人に聞く。一番手っ取り早いからだ。それと、曲を聴きたい時などはストリーミングと言うよりは、YouTubeで探す。すると1発で聴く事が出来る。今は便利な世の中だ。パソコンとスマホさえあれば何でも調べる事が出来る。先ほども言ったがそんな私を鼻でせせら笑って来る奴が居る。大抵が楽器は何も出来なくて音楽の知識もない手合いだ。そう言う人は相手にしては居ない。
努力などして当たり前。それを誇ってはならない。私は人一倍不器用だ。そして何かを習得するのに他人の何倍も時間が掛かる。しかし時間が掛かっても構わない。時間を掛けて習得した事は忘れにくいから。初めから能力のある奴など居ない。稀に最初から違う人も居る。東大生などだ。だがそんな人を羨ましがる時間があれば、少しでも自分の努力する時間に充てる。出来る様になるまで、他の時間を削ってでもやれば、必ず出来る様になる。出来る前にやめるから「自分は出来ない」と思い込む。出来るまでやるのだ。そうすれば必ず誰でも出来るはずだ.....。
この時代に、利益を得られるか否か。その差を分けるのはマイナス面をチャンスと捉えられる視点とそこからの行動力。つまりは「思考の差」と言う事になる。殆んどの人間が反射で動いて居る。朝決まった時間に起きて。顔を洗って、歯を磨いてご飯を食べて、学校や会社に行ってと言う反射だけの人生。それはつまり「何も考えて居ない」と言う事。しかし一つ一つの現実に対して。「こうあるべきだ」「こう動くべきだ」「こうしなければならない」そう言った具体的な行動をポジテブな思考と結びつける事が出来れば、すぐに結果が出なくとも。後に出て来る結果は大きく変化する。思考と行動を繰り返した分、人生のプラスとして帰って来る。結果が出るのが数年後か、10年後かは解らない。しかし、そのタイムラグを恐れるな。それは必要な先行投資だ。何時の時代であろうと「成功者」と呼ばれた人はタイムラグを含めたサイクルを理解して居る。
行動した先には、常に様々な壁がある。それらの壁を乗り越えた先で手にする結果を「成功」と呼ぶのならば、「成功」を手にするまでの回数を重ねる事でやがて「成功までのショートカット」が出来る様になって行く。何か発想が浮かんだ瞬間を、強く結果をイメージしろ。結果から逆算すれば、やらなければならない事が「最短距離」で把握出来る筈です。勿論その道のりには苦しい事もあるが。常に結果に向かって歩く事を繰り返して行くと、発想が浮かんだ瞬間に「結果を手に入れた自分」が見える様になるし、そうなるまで何年を要するかは人によるが。いずれ、誰でもがそうなる。手に入れるまでは苦しいけども・・・・・。この考え方を持って居る限り物事は成就出来ると思う。最後に【歳を重ねる】ことと【歳を取る】ことは意味が違うと言っときます。【歳を重ねる】とは、歳を増すごとに己の人生に一つ一つ責任を重ねて行く生き方。【歳を取る】とは、歳を増すごとに己の人生から責任を一つずつ取り省いていく生き方。」
「一見、【歳を取る】生き方の方が楽なように思えるが、【歳を重ねる】生き方をして居る人達の方が圧倒的な強さを手に入れられる。それは物理的、身体的な上でも精神的な上においてもだ。【やったぶんだけ自分に返って来る】と言う言葉は、いい意味においても悪い意味においても適用される。自分に返って来る事がいい事だけの方がいいと思う。皆さん歳を重ねるとはよく言うが本当に歳を重ねて居る人は何人居ますか?殆んどの人が歳を取って居るだけですよ。私もいい年の重ねかたはして来ては居ない。何故なら投薬によって頭が塞がれて居るからだ。今書いて来た事なども要約の事ですよね。まあこの考え方はGACKT君の影響が可成りありますが。彼の思想と自分の考え方はぴったりと重なるんですよね。彼の人生哲学はショペン・ハウアーの人生哲学とは正反対だ。そして、今まで私が読んで来た哲学者の言う事よりもより実践的だ。まあ、哲学では無い。実践哲学ですね。そして人生の指南書です。YouTubeでの彼の話を聞いて見て下さい。何で私が彼に入れ込むのかが解りますよ。いい事言って居ますから。

私が吹くブルースハープのソロです。。。
ーカミュー
「人生は無意味」それでも希望は生まれる
「自分の人生には、意味があるのだろうか?」
この悩みは、答えがなく、とても深刻なものです。しかも、この悩みは、一度取り憑かれるとずっと意識してしまうもの。『ペスト』『異邦人』などの名作小説を生み出した、フランスの作家・哲学者、アルベルト・カミュは、このような悩みを「不条理」として考えました。カミュは「不条理」を次のように定義します。
不条理と言う言葉が当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいて居て、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。
『シーシュポスの神話』
私たちの心には、ものごとを「なんとか説明したい」「コントロールしたい」という願望があります。しかし、私たちの生きる世界には、「どうしても意味がわからないこと」「コントロールできないこと」がたくさんあります。たとえば、自然災害、大規模な感染症の拡大、偶然起きた事故、自分が生まれた意味、などがそれに当たるでしょう。このように、何とかして「説明づけたい、コントロールしたい願望」と、どうしても「説明やコントロールができない現実」が対立することを、カミュは「不条理」と呼んだのです。
不条理を生きる自由さ
「不条理」を意識すると、人は自分の人生の意味を見つけられずに苦しみます。それどころか、ありとあらゆることが、「無意味」に感じられるようになります。
この「不条理」を解決するために、人は「自殺」しようとしたり、神や宗教に救いを求めたりします。しかし、自分の命を絶つことは、何の解決にもなりません。神や宗教などに救いを求めることも、人間の考える力を放棄することに過ぎません(哲学的自殺)。
では、カミュはどうすべきと考えたのでしょうか?
それは、「不条理を生きる」ことです。確かに、人が生きる世界には、どうしても割り切れない理不尽なことや、意味がわからないようなことがあります。しかし、このような「不条理」、つまり、無意味さに立ち向かう(反抗する)ことで、私たちは自分のことを絶えず意識するようになり、「自分なりの人生」を歩んでいこうと思えるのです。また、「不条理」は確かに、人生の意味を含めて、全てを無意味にしてしまいます。しかし逆に考えると、これはチャンスでもあります。何故なら、自分を縛りつける一切のものも、無意味になるからです。いわば、我々は白紙に戻った世界で、自由に自分なりの意味を見出すことができるのです。
カミュは言います。
以前は、人生を生きるためには人生に意義がなければならぬのか、それを知ることが問題だった。ところが此処では反対に、人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思うのである。
確かに「不条理」は、人を不安にさせます。しかし、自分の人生の意味に正解など、そもそも存在しないのです。ゆるっとでも、不安を力に変えて、自分なりに考え続ける。その中で、この白紙の世界をほんの少しでも彩って行く。
それができれば、きっと素敵な人生だと言えるのではないでしょうか。
「アルベール・カミュ(Albert Camus)1913ー1960」
フランスの小説家、劇作家、哲学者。第二次世界大戦中に『異邦人』『シーシュポスの神話』などで注目され、戦後に発表した『ペスト』がベストセラーとなった。
==人生とは、何か?==
「以下ネットで見つけた考察です。よかったら読んで見て下さいね」
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人は、時々「人生とは何か?」を考えると言う事があります。 行かなければならないのか?を考えるようです。 |
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そう、その「目的」です 「目的(目標)に向かって着実に進む」の様に、めざすものの意では相通じて用いられる。 ◇「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。 「こうしたから、こうなった」(陽) どうしても目に見えやすい所しか見ない傾向が有ります 目に見えにくい所は表現もされにくく無視されやすい現状があります 此処が肝要であり、此処が無ければ目標として居る成果なんて達成でき様も無いのです
その答えは
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私のボロい部屋です

私が書いた漫画です。。。

以上。今回は此処までです。。。また更新できたら逢いましょうね。。。。




