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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

 

 

私が応援して居る。声優で、舞台俳優で、ゲーマーでユーチューバーの青木志貴ちゃん。

 

 

 

 

私が病院に入院したら、50代の男が入院して居まして、話をすると必ず。「へぇ〜〜?」と言うのですよね。まあ、病気な訳だからおかしいのでしょうけど。人が話し始めると必ず「へぇ〜〜?」と言う。私は段々とその男とは話さなくなって行きました。こう言う男。鼻から人を馬鹿にして罹って来る男。自分はもう50歳超えて居るのだろうに。常識も何も無い単なるバカ。どうしようも無い。処で私を苔にした。以前書き込みをしたら「自分の生い立ちなんか書いて来ないでよ!!」と言ったあるblogの女性会員は、この間観に行ったら。blogを脱会して居ましたよ。その人は、毎年新学期になると、高校生やら中学生向きの励ましの言葉を書いて居ました。学校の先生気取りでしたが。誰も読んで居ませんでした。書き込みも一人しか居らず。その人も最近では書き込んで居なかった様でした。私が言う事は全て気に喰わずに居て。私がその女性に合わせても。何時も「私の方が上よ!」と言う態度でした。確かに本で読んだ知識はありましたが。

 

知識に振り回されて居る典型的な女性でした。私はそれとなく。「蘊蓄が言えるのはいい事だけども。知識が全てと言う考え方はおかしいですよ・・・。」と言って居ましたが。耳を貸さずに居て。よく居るんですよね。蘊蓄が言えれば利口だと思って居る人が。確かに何も知識が無いと言うのは困るけど。普通に生活する上で必要な知識さえ学んで居ればいいと思いますよ。はっきり言って私も少し蘊蓄を言いますが。これ読んで居る方でこいつの蘊蓄は要らない。と言う人が居ても私は全然アリだと思います。「人間は考える葦である」。これはフランスの哲学者ブレーゼ・パスカルの言葉ですが。何か言いあらわしがたいものを、それでもなお言葉で持って語ろうとするとき、人は「たとえ」を使います。見事なたとえは多くの人に知られる様になり、やがて皆が説明抜きでも理解出来る様になる。「考える葦」もそうした、たとえのひとつと言えるでしょう。

 

パスカルは『パンセ』の中で人間を葦にたとえながらこう語って居る。

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・」

 折れやすくもろい葦は、確かに人間の弱さを象徴するに相応しいものかも知れない。だが、何故「葦」なのだろうか? そもそも『パンセ』はキリスト教弁証論として構想された。懐疑論者や無神論者に対してキリスト教の正しさを論証する事がパスカルの目的だった。

 

特に人間の悲惨とキリストによる救いは『パンセ』の中心テーマのひとつである。パスカルは原稿を準備しながら聖書を丹念に読んで居た。そしてメシアについての預言や、イエスの受難の場面から浮かび上がって来たある植物に注目する。前田陽一氏は「考える葦」の由来を次の様に述べて居る。

 ・・・メシアの預言、荊の冠と対をなす葦の杖、十字架上へさしのべられた葦の棒と、キリストの一生の大事な時点に三回も登場して来る処から、「傷められた葦を折る事がない」(『マタイ福音書』一二の二〇)キリストを「考える葦」の尊厳の守り手と考えての事だろうと思う。

恐らくパスカルは、人間の弱さだけでなく、キリストの贖いをも象徴するものとして「葦」を選んだのではないか・・・。勿論、由来をあれこれ考えなくとも、このたとえを理解し味わう事は出来るだろう。しかし、さらによく知ろうとする努力こそが「考える葦」には相応しい。「だから、よく考える様努めよう。」そうパスカルは付け加えて居るのである。

 

知ると言う事は確かに楽しい。しかしお勉強に成って仕舞っては元もこうも無い。前にも言ったが、本来、勉強と言うのは物事に精を出す事。努力する事だ。知識を学ぶと言う事とも言われるが、皆履き違えて居る。知識を知って居るだけでは駄目で。一つだけの知識は自分に取って弊害にしかならない。昔の「オタク」が良くバカにされたのは。アニメの知識は凄いが他に何も知らなかった事だろう。しかし、大学の教授たちはどうだろう。同じ事が言えないか。要するに専門バカだ。それは普通の人より知識はある。しかし彼らはそれのみだ。要するに「学問オタク」なのだ。なんでもそうだ。私の様なものの事を「ハーモニカ・オタク」と言えよう。ガーディニングが好きな人は「ガーディニング・オタク」猫好きを「猫オタク」考えればキリが無い。

 

しかしオタク的知識はそれのみでは活用法が無い。その人間が使ってこそ本領を発揮する。私が言いたい事はそれだ。知識など今の時代、溢れかえって居る。本屋に行けば幾らでも情報は手に入る。本屋に行けなければ図書館でいい。手っ取り早くはこうやって人のblog記事を見るのも一つの方法だ。巷には「ロジカルシンキング」の本が溢れ、ロジカルシンキング研修も活況を呈して居る様だ。しかし「物事を多角的に見る力」や「多角的に考える力」は「ロジカルシンキング」とは全く別の能力だ。一般に、ロジカルシンキングは「前提を置き」→「推論を働かせ」→「結論に至る」と言う筋道を辿る。しかしロジカルシンキングは「推論の働かせ方」は教えてくれても「前提の置き方」は教えてくれない。

 

逆を言えば「前提の置き方」次第で「推論の働かせ方」が変わり「結論」も変わってしまうのがロジカルシンキングだ。誤解を恐れずに言えば「何を考えるか?」は視点が決める。しかし、これを逆手に取れば「多角的な視点の持ち方次第で、ロジカルシンキングでは辿り着けない新たな世界を切り拓く事が出来る」とも言える。視野・視座を広げる方法はよく「イノベーションとは、常識を覆し、新たな常識を創り出す事である」と言われるが「多角的な視点」は皆んなが置いて居る前提を覆し、新たなアイデアやイノベーションを生む源となる。知識は一致半壊では困るのです。私は此れからはスペシャリストの時代は駄目で。ゼネラリストの時代になると思って居ます。皆さん今、私が物事を多角的に見ると言いましたが。物事をそう見る事は知識も多角的になると言う事です。

 

此れも以前のblog記事にて書きましたが。私はミュージシャンの端此れだと此れでも自分の事を思って居るので言いますが。一つだけの音楽では駄目だろうと思いますよ。此れから多元的に聴いて居ないとね。ジャズのサックス奏者で「チャーリー・パーカー」と言う人が居ます。jazzに嵌り出した人には避けては通れないモダン・ジャズの巨人であり、スウィング時代以降のjazzの全てを変革した男。若きマイルス・デイヴィスはパーカーの天才振りを間近で経験し、その天才の凄まじさと「此れは、自分には無理だ」と言う思いから、その後のモード等のjazzを創出して行った。さて、そのjazz史上、最大の天才であり、その後のjazzを全て変革してしまった程の人物、チャーリー・パーカー。彼はどんな音楽を聞いて居たのか?それはブルースとドボルザークなのですよ。方や黒人の伝統音楽。そして方や白人の伝統音楽のクラシックだったのですね。

 

彼はビバップを発明しました。よく彼の演奏を聞いて見ると解りますよ。ブルースとクラシックが渾然と絡み合って居る事が.....。音楽を例に出して挙げると。クラシックとロックとの融合。プログレッシブ・ロックと言うジャンルの音楽があります。此れはバンドによってはジャズと融合して居る場合もあります。複雑なリズムやフレーズが使われたり10分を越えるような楽曲が少なくないので、一聴では難しく聞こえてしまう事があります。しかし繰り返し聞いて行くとミュージシャンたちの高い技術による演奏や、楽曲の持つ世界観がクセになって仕舞うジャンルでもあります。今こうやって音楽についても色々と言いましたが。私のホームワークはブルースですが。もう一つはハーモニカでプログレを吹いても居ます。

 

専門バカで良かった時代は、もう終わりを迎え様として居ます。そして書いた様に蘊蓄を言えなければ行けない世の中もそろそろ終わりです。物事のプライオリティーがそうなんですよ。なんかうまく今回は文に出来なかったかも知れないけど、、私はその人間の型があれば、そこに仕舞う知識は蘊蓄では無くて。正確な情報でありえないと、行けないのでは無いかと思って居ます。以前、私が自分のblogの掲示板で人と会話をして居たら。横から突然女性が「ほら、また難しいこと言ってる!!」と書き込んだ人が居たけど・・・。人は皆自分の型を持って居ます。それは自分が掲げて居る旗です。そして私は人の型(旗)要するに人の考え方もよく解るつもりです。。ただ、もうひとつの事だけでは、駄目だろうと思いますよ。私の蘊蓄は要らないと言う人が居てもいいし。知識を広めたいと言う人が居てもいい。私は人の旗をとやかくは言いたくは無いし。今の世の中。色々な人が居てもいい。しかし相手を自分が気に喰わ無いからと、侮辱する様な事は困りますよね....。以上、言いたい事でした。。。。

 

 

 

 

John Lennon - Oh my love (remastered 2021) 

 

 

 

 

 

 

「GACKTと私の呟き」

 

よく、ポーカーを運試しのギャンブルだと勘違いして居る人が多いが、それは違う。確かに1ゲームだけの勝負なら、ジャンケンの様な運のみに頼った勝負も出来る。しかしポーカーはゲーム数を重ねれば重ねるほど、最後は勝つべき人間が勝つ様に出来て居る。これって人生の縮図だ。ポーカーで強くなるには、駆け引き、読み、観察力、記憶力、表現力、勇気、グラフ、戦略、タイミング、リスク換算など、様々な要素が求められる。そして勝負はテーブルに座った瞬間から始まって居る。プロならば、ゲーム中盤あたりには、場に出て居るカードや、それまでの他のプレイヤーの特性、クセ、立ち振る舞いなどから、そのゲームにおける自分が勝てる確率、期待値、リスク換算を即座に算出し、勝負所でのみ仕掛けて来る...。

 

ポーカーにおいて、一番美しい勝ち方はショウダウン_(自分の手札を見せる事)をするまでもなく、自分が勝負を仕掛けた瞬間に、全員が白旗をあげて降参する勝ち方だ。ビジネスにおいても同じ事が言える。出会いの瞬間から、勝負は決まって居る。相手の好み、要望、性格、クセ、状況などを正しく観察して信頼を得られる行動とともに、流れ・本質・勝負所を見抜いて行く。そうすれば、例えば交渉の瞬間は、そもそも自分が仕掛けたタイミングとなるので、焦る必要も無い。此方の要望に相手が問答無用で応えるよう、完全なる勝負どころで仕掛けることが出来る。ポーカーをしっかり学べば、勝負事の流れと本質、そして勝つべくして勝てる勝負どころが見えて来る、ポーカーでもビジネスでも、テーブルについたらまず周りを見渡せ。そしてカモが見当たらなければ、すぐに席を立て。なぜか解るでしょうか?自分がカモなんですよ.....。

 

「本番は頑張る」「いざって時はなんとかなんだろう」そんな言葉はクソだ。

段取りが95%本番はその結果。本番は頑張ると言う人は大概、気合だけが空回りして周りが見えず、他人に迷惑を掛ける。段取りが十分であれば緊張せずに本番に臨む事が出来良い結果を生む。また、不慮の出来事に対処できる余裕さえも生み出す。「いざって時はなんとかなる」などと期待をするな。本番の直前に意地で準備しても遅い、焦りを生むだけ。段取りは日々積み重ねておくものだ。

 

自分の人生を変えようと挑戦して居ると、妬み、嫉みを持った、様々な奴が現れる。仲が良かった奴でさえ急に邪魔し始める事もある。そんな奴らの声には1秒たりとも耳を傾ける必要なし。足を引っ張ろうとする奴が仲間だった?親友だった?だからなんだ?そいつらが自分にとってなんのメリットがある。「誰が足を引っ張ろうとして居るのか?」そんなふうに疑心暗鬼になる前に、まずは自分がどう言う人生を歩みたいのか、宣言をしろ。努力して居る事を周りにいちいち言わなくてもいいが、どうしたいのか、どうなりたいのかは、明確に示せ。その上でバカにしてくる奴、鼻で笑う奴こそが今すぐ距離を取るべき人間だ。そんな奴らが、自分の物語に必要ですか???

 

日常には、様々な学びがある。学びを見つける視点こそが成長に繋がると思います。日々目にするものどんなものにもディテールやバックボーン、理由がある。それらに目を向け。考え、比較し、知識として吸収する。最も大切なのは、その学びの癖を付ける事。そうすれば、日々が学びの宝庫であり、成長の切っ掛けとなる。例えば私の事で申し訳ないが、私はよく音楽を聴く。何のジャンルでも聞く、そしてその音楽を演奏して居るプレーヤーたちの情報を自分で探す、具体的にどうするのかと言うと。昔ならレンタルレコード、CDを借りて聴いたり。また音楽情報誌。音楽喫茶に行ったりして情報を得て居た。

 

まあ、この分野は昔と比べるとだいぶ少なくなってしまったが、、今ならパソコンでググれば大量の情報が得られるはずだ。その情報をパズルの様に自分の頭の中にはめ込むのだ。私なぞは曲の題名などが解らない時、大概がクラシックだが、恥をかいてもクラシックの楽器を演奏して居る人に聞く。一番手っ取り早いからだ。それと、曲を聴きたい時などはストリーミングと言うよりは、YouTubeで探す。すると1発で聴く事が出来る。今は便利な世の中だ。パソコンとスマホさえあれば何でも調べる事が出来る。先ほども言ったがそんな私を鼻でせせら笑って来る奴が居る。大抵が楽器は何も出来なくて音楽の知識もない手合いだ。そう言う人は相手にしては居ない。

 

努力などして当たり前。それを誇ってはならない。私は人一倍不器用だ。そして何かを習得するのに他人の何倍も時間が掛かる。しかし時間が掛かっても構わない。時間を掛けて習得した事は忘れにくいから。初めから能力のある奴など居ない。稀に最初から違う人も居る。東大生などだ。だがそんな人を羨ましがる時間があれば、少しでも自分の努力する時間に充てる。出来る様になるまで、他の時間を削ってでもやれば、必ず出来る様になる。出来る前にやめるから「自分は出来ない」と思い込む。出来るまでやるのだ。そうすれば必ず誰でも出来るはずだ.....。

 

この時代に、利益を得られるか否か。その差を分けるのはマイナス面をチャンスと捉えられる視点とそこからの行動力。つまりは「思考の差」と言う事になる。殆んどの人間が反射で動いて居る。朝決まった時間に起きて。顔を洗って、歯を磨いてご飯を食べて、学校や会社に行ってと言う反射だけの人生。それはつまり「何も考えて居ない」と言う事。しかし一つ一つの現実に対して。「こうあるべきだ」「こう動くべきだ」「こうしなければならない」そう言った具体的な行動をポジテブな思考と結びつける事が出来れば、すぐに結果が出なくとも。後に出て来る結果は大きく変化する。思考と行動を繰り返した分、人生のプラスとして帰って来る。結果が出るのが数年後か、10年後かは解らない。しかし、そのタイムラグを恐れるな。それは必要な先行投資だ。何時の時代であろうと「成功者」と呼ばれた人はタイムラグを含めたサイクルを理解して居る。

 

行動した先には、常に様々な壁がある。それらの壁を乗り越えた先で手にする結果を「成功」と呼ぶのならば、「成功」を手にするまでの回数を重ねる事でやがて「成功までのショートカット」が出来る様になって行く。何か発想が浮かんだ瞬間を、強く結果をイメージしろ。結果から逆算すれば、やらなければならない事が「最短距離」で把握出来る筈です。勿論その道のりには苦しい事もあるが。常に結果に向かって歩く事を繰り返して行くと、発想が浮かんだ瞬間に「結果を手に入れた自分」が見える様になるし、そうなるまで何年を要するかは人によるが。いずれ、誰でもがそうなる。手に入れるまでは苦しいけども・・・・・。この考え方を持って居る限り物事は成就出来ると思う。最後に【歳を重ねる】ことと【歳を取る】ことは意味が違うと言っときます。【歳を重ねる】とは、歳を増すごとに己の人生に一つ一つ責任を重ねて行く生き方。【歳を取る】とは、歳を増すごとに己の人生から責任を一つずつ取り省いていく生き方。」

 

「一見、【歳を取る】生き方の方が楽なように思えるが、【歳を重ねる】生き方をして居る人達の方が圧倒的な強さを手に入れられる。それは物理的、身体的な上でも精神的な上においてもだ。【やったぶんだけ自分に返って来る】と言う言葉は、いい意味においても悪い意味においても適用される。自分に返って来る事がいい事だけの方がいいと思う。皆さん歳を重ねるとはよく言うが本当に歳を重ねて居る人は何人居ますか?殆んどの人が歳を取って居るだけですよ。私もいい年の重ねかたはして来ては居ない。何故なら投薬によって頭が塞がれて居るからだ。今書いて来た事なども要約の事ですよね。まあこの考え方はGACKT君の影響が可成りありますが。彼の思想と自分の考え方はぴったりと重なるんですよね。彼の人生哲学はショペン・ハウアーの人生哲学とは正反対だ。そして、今まで私が読んで来た哲学者の言う事よりもより実践的だ。まあ、哲学では無い。実践哲学ですね。そして人生の指南書です。YouTubeでの彼の話を聞いて見て下さい。何で私が彼に入れ込むのかが解りますよ。いい事言って居ますから。

 

 

 

 

私が吹くブルースハープのソロです。。。

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ーカミュー

「人生は無意味」それでも希望は生まれる

「自分の人生には、意味があるのだろうか?」

この悩みは、答えがなく、とても深刻なものです。しかも、この悩みは、一度取り憑かれるとずっと意識してしまうもの。『ペスト』『異邦人』などの名作小説を生み出した、フランスの作家・哲学者、アルベルト・カミュは、このような悩みを「不条理」として考えました。カミュは「不条理」を次のように定義します。

不条理と言う言葉が当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいて居て、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。

『シーシュポスの神話』


私たちの心には、ものごとを「なんとか説明したい」「コントロールしたい」という願望があります。しかし、私たちの生きる世界には、「どうしても意味がわからないこと」「コントロールできないこと」がたくさんあります。たとえば、自然災害、大規模な感染症の拡大、偶然起きた事故、自分が生まれた意味、などがそれに当たるでしょう。このように、何とかして「説明づけたい、コントロールしたい願望」と、どうしても「説明やコントロールができない現実」が対立することを、カミュは「不条理」と呼んだのです。
 

不条理を生きる自由さ

「不条理」を意識すると、人は自分の人生の意味を見つけられずに苦しみます。それどころか、ありとあらゆることが、「無意味」に感じられるようになります。

この「不条理」を解決するために、人は「自殺」しようとしたり、神や宗教に救いを求めたりします。しかし、自分の命を絶つことは、何の解決にもなりません。神や宗教などに救いを求めることも、人間の考える力を放棄することに過ぎません(哲学的自殺)。

では、カミュはどうすべきと考えたのでしょうか?

それは、「不条理を生きる」ことです。確かに、人が生きる世界には、どうしても割り切れない理不尽なことや、意味がわからないようなことがあります。しかし、このような「不条理」、つまり、無意味さに立ち向かう(反抗する)ことで、私たちは自分のことを絶えず意識するようになり、「自分なりの人生」を歩んでいこうと思えるのです。また、「不条理」は確かに、人生の意味を含めて、全てを無意味にしてしまいます。しかし逆に考えると、これはチャンスでもあります。何故なら、自分を縛りつける一切のものも、無意味になるからです。いわば、我々は白紙に戻った世界で、自由に自分なりの意味を見出すことができるのです。

カミュは言います。
 

以前は、人生を生きるためには人生に意義がなければならぬのか、それを知ることが問題だった。ところが此処では反対に、人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思うのである。

 

確かに「不条理」は、人を不安にさせます。しかし、自分の人生の意味に正解など、そもそも存在しないのです。ゆるっとでも、不安を力に変えて、自分なりに考え続ける。その中で、この白紙の世界をほんの少しでも彩って行く。

それができれば、きっと素敵な人生だと言えるのではないでしょうか。
 

「アルベール・カミュ(Albert Camus)1913ー1960」

フランスの小説家、劇作家、哲学者。第二次世界大戦中に『異邦人』『シーシュポスの神話』などで注目され、戦後に発表した『ペスト』がベストセラーとなった。

 

==人生とは、何か?==

 

    「以下ネットで見つけた考察です。よかったら読んで見て下さいね」

 

 

人は、時々「人生とは何か?」を考えると言う事があります。
どんな時に考えるかと言うと、私自身の事を思い返してみると、
何らかの挫折感、停滞感、不幸観を感じている時が多かったよ様に思います。
その様な時に、人は、何故産まれ、何故こんな思いまでして生きて

行かなければならないのか?を考えるようです。
生きて行く事に何の意味があるのだろうか?
何のために生きて居るのだろうか?

その様な疑問を、生まれて一度も持った事の無いと言う人は恐らく一人もいないでしょう。そのため多くの書物や偉人の足跡にふれてその答えを求めようとしますが、
しかし、多くの方は、その探求の旅を途中で辞めてしまいます。
ただ、生きて行く事に忙しく忘れてしまうようです。私自身もそうでした。

しかし、いま、此処に来て初めて明確にその答えを知る事が出来たのです
それは「人生の目的と使命は、魂の向上とユートピアの実現である」と言う根元的な学びでした
この言葉は、感覚的には素直に受け入れる事が出来たのですが、
でも、どう言う理屈でその様になるのだろうと言う疑問も同時にありました

この事をフラクタルの森で検証して見たのです。

「人生とは何か?」
要するに「何の為に生きて居るのか?」と言う事ですが、
何の為に・・・・この言葉は、大きな意味を持って居ました。
この「ため」の意味は辞書で見ると次の様に書いてあります。

ため【為】
1 利益があること。役立つこと。「―にならない本」「子供の―を思う」
2 原因・理由。わけ。「雨の―に延期する」
3 目的や期待の向かうところ

 

そう、その「目的」です
その「目的」と似た言葉に「目標」と言う言葉が有ります。
さらに、この両方を辞書で調べて見ると次の様に分けられて居ます。

目的・目標 ――

「目的(目標)に向かって着実に進む」の様に、めざすものの意では相通じて用いられる。

◇「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。
「人生の目的を立身出世に置く」
◇「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、
「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」の様により具体的である。

フラクタルの森では、目的と目標を次の様に整理し使って居ます。

悟性(O)の森 ・・・「見る」           前提・・・・何を(人生)
感性(B)の森 ・・・「思い」・・・・・目的    動機・・・・何故(?)

知性(A)の森 ・・・「行い」           方法・・・・どのようにして(?)
理性(AB)の森・・・「結果」・・・・・目標    成果・・・・どうしたい   (?)

「人生とは何か?」を考えるときに、結局は、この目的と目標の中身を埋め様として居るのですフラクタルの森で考える場合に、まず、結果目標である「理性(AB)の森」から入ります。一体どうしたいのか?結果目標、そこから検証して行けば答えが出ます。

私たち人間は様々な場面でいろんな事を思い、いろんな行動を取って居ますが、
その求めて居る結果、その目標として居る形や状況は様々ですが、
そこに共通することは一言で言うなら「幸福」と言う事でしょう。
私たちは、何らかの幸福な状況を求めて居るはずです。

人生上で求めて居るもの、その得ようとして居る目標は有形無形の「幸福」と言う成果です。誰であれ不幸を意識して求める事は無いのです。しかし、誰であれ幸福を求めておりながら、みすみす不幸の淵流れに入って仕舞うのも人間です目先だけの幸福、刹那的な幸福、欲望に振り回された幸福を求める場合があります。表面的なモノだけを求めてもその成果が出ないことが有ります。その原因は、その結果を生み出す原因を無視し結果主義となった心が有ります。さらに、実際は幸福とは呼べない様な事も幸福と言う中に入れて仕舞う事も有りますそれらについては意識して排除しなければなりません。

自分が描いて居る幸福と思い込んで居る目標が本物であるかどうか
その幸福が時間的にも空間的にも持続し広がって居る状態を考えて見る必要が有ります。
単純に目先の欲望だけを満足させることが「幸福」とは言い難いからです。
自分では、幸福と思って成した事が、地球を一回りするまでもなく、
その成した行為の反動ですぐに不幸のどん底に落とされる様な事が有るからです。

その様に考えると、その自分自身の得た幸福が時間的にも空間的にも維持され、
個人から家庭へ、そして社会へと繰り返し循環し広がった状態こそ理想であります
その状態は、理想郷、桃源郷、ユートピアの状態です

その様に、人間とは、幸福を求めて生きて居る存在であると規定するなら、
そのための必要十分条件を見て行けばいいのです。
「人生とは何か?」を考えると言う事は、
その様な幸福なる状況が生まれる原因を造る必要が有ります
しかし、多くの場合、その原因を「行い」だけで求めがちな所が有る

「こうしたから、こうなった」(陽)

どうしても目に見えやすい所しか見ない傾向が有ります
思考停止の状態です

「何故?そうしようと思ったのか、どうして?そう思ったのか」(陰)

目に見えにくい所は表現もされにくく無視されやすい現状があります
心の内面を見ようとしないのですこれは仕方のない面もありますが、

此処が肝要であり、此処が無ければ目標として居る成果なんて達成でき様も無いのです

「行い」の前には「思う」と言う原因が有ります。
もちろん、思う前には「見る」(世界観)と言う原因が有り、
その背景には、当然、思想、宗教観が有ります
本当は、その世界観、宗教観まで突き詰める必要も有ります

「幸福」が生まれる原因、その具体化の前に必要なのは、より良き思いです。
そして、より良き思いは、それぞれの魂の向上によって支えられます
その一人一人が心を磨き、魂の向上をはからなければ生まれて来ません

「ユートピア社会の実現」の為にはより良き思いが社会に必要であり
その為には、一人一人の「魂の向上」が不可欠です。

この魂の向上には感動が伴います色んなドラマを見ても、おもしろく感じたり感動するシーンは確かにアクションやその主人公が努力し達成した成果が素晴らしければおもしろいのですが、その背景には、その主人公の克己心だったり、勇気だったり、改心だったり、感謝の心だったり何らかの感動するシーンが有ります登場人物の心の中に起きる、一つの光りが必ず有ります

私たちがドラマなどを見て感動するのと同じようにこの宇宙を創られた仏神は、それと同じ感動を得たいからこそ、味わいたいからこそこの世界を創られたのではないでしょうか

人間が、幸福を求めて居る存在と認めるなら、魂の向上は宿命でもあるでしょう
個人レベルで、幸福を求めその状態を期待し実現させて行く事は、社会レベルで言うとするなら、理想郷、ユートピア、桃源郷を求める事になります。その幸福が循環して居る状態は、当然ユートピア社会です。

幸福と言うキーワードが
「人生とは何か?」と言う問いに対して論理的回答を与えてくれる事になります。

 

その答えは
「人生の目的と使命は、魂の向上 と ユートピア建設 である」

 

 

 

 

 

 

私のボロい部屋です

 

 

 

 

 

私が書いた漫画です。。。

 

 

 

 

 

 

以上。今回は此処までです。。。また更新できたら逢いましょうね。。。。

 

 

 

 

 

 

懐かしのグループ・サウンズです。聴いた事が無い人も居るかと思いますが。まあ、昔の日本のポップスはどう言うものなのか聴いて見て下さいね....。

 

ブルーシャトー ブルーコメッツ 1967年 

 

夕陽が泣いている 1967

 

長い髪の少女1968

 

 

当時の変わりだね「GSソング」です。。。

 

月光仮面 (ザ モップス) 

 

エレクトリックおばあちゃん

 

 

 

 

 

 

ーー「エレキ・ギター」ーー

 

私は、昔、ギタリストだった。そしてバンドを渡り歩いて居た、しかし私はギター弾き初めは。エレキ・ギターが買えなかった。中学2年の頃に質屋でガットギターの質流のオンボロ・ギターを購入し、なんとか見様見真似で、フォークソングなどを弾いて居た。しかし矢張りギター・ソロ。それもブルース・ギターが弾きたくて、当時流行のブリティシュ・ロックのブルース・ギタリストを、聴きながらレコードに合わせて弾いて居た。そうして居る内に、ソロらしきものが弾ける様に成った。私は「テン・イヤーズ・アフター」のギタリスト。アルビン・リーやら、「テイスト」のギタリスト。ロリー・ギャラガーのフレーズを参考にして、ガット・ギターで弾いて居た。 或る日、何時もの様にギターを爪弾いて居ると電話が鳴って母が出て見ると、なんと小学校の頃に家に下宿して居た、通称・「北海道のお兄ちゃん」の母親からだった。

 

Ten Years After - Good Morning Little School Girl - 8/4/1975 - Winterland (Official) 

 

 

母は私にギターを弾くのを止めてくれと言って。長々と話をして居た。そして電話を切ってこう言い出した。「北海道のお兄ちゃんは、地元で彼女と車に乗って居て事故に遭い頭を強く打って、病院に入院して居る。もう、病状は軽くなったが、記憶障害で、家で下宿して居た事しか思い出せなくなって仕舞った。電話にお兄ちやんを出すから、お前が色々と呼び掛けてくれないか。」私は吃驚して、電話が再び掛かって来たから電話に出て呼び掛けた。「お兄ちゃん!俺だよ!!解る?」彼は嬉しそうに「解るさ」と言った。そして色々と話をしたが、彼は「そっちで暮らして居た事は全部解るんだわぁ〜」「でも、その他は、何も解ら無いんだ〜、」と言った。そして電話が母親に代わり、「もしもし、そう言う訳で、努さんは、何も解らないのですよ。」「だから、近々、東京の其方の家に、行かせますので。宜しくね。」と言って電話は切れた。

母は「来週の土曜日に、お兄ちゃんが東京に来るから、話をして挙げなさい。」と言った。私は、黙って母の言う事を聞いて居た。私は、またギターを爪弾き始めた。すると、母は怒って言った。「お前は何時の間にそんなオンボロ・ギターを買って来たんだい。そしてロックなんて嫌なものを弾いて居て、、勉強しなさい!!」そう言うと、台所に夕食の支度をしに行った。其れから、1週間が立ち、北海道から「お兄ちゃん」がやって来た。そして私に、「〇ちゃんは、音楽好きだから、輸入盤のレコード専門店どこか知らない?」と聞いた。私はお兄ちゃんを連れて、新宿のDisc・Unionに連れて行った。するとジャズ・レコードを漁り出し、「マイルス・デイビス」と「リー・モーガン」「日野皓正」のレコードを買って居た。そして私に、最近、流行のロックのレコードで良いのは無いか?」と聞くので「ジェフ・ベック・グループ」の確か、セカンド・アルバムだったと思うが「ブルース・デラックス」と言う曲が聴けるレコードを薦めたら、買って居た。

 

 

Blues Deluxe - Jeff Beck Group (((ORIGINAL SONG 1968))) 

 

 

私は「お兄ちゃん、何時から音楽好きになったの?」と聞くと、彼は言った。「俺は歌謡曲しか聴かないよ...。これは全部、従兄弟にやるので買ったのさぁ。」そう聞いて、私は思い当たる節があった。お兄ちゃんが下宿して居た頃に、何時の間にか楽器屋に行って「セルマーのトランペット」を買って来て。北海道に住んで居る従兄弟に送って居たからだ。お兄ちゃんは言った。「音楽なんて如何仕様も無い!あいつは今、ジャズ・バンドでトランペット吹いてるんだ!!如何仕様も無いね!!」私たちは家に帰って来て色々と昔話をした。そして彼が私の廊下の角にある私のスポットに来て、突然、言った。「○ちゃんもギターなんか弾いて居るのか!」私は「そうだよ」と言ったら、訝しがって居る。私はギターを取って。アドリブを弾いて見た。すると彼の表情が強張り、こう言った。「ほらほら、もう弾き方が普通ではない!!そんなロックだなんて辞めなよ!!」すると、母が追い討ちを掛ける様に言った。「○!!お兄ちゃんの言う通りだよ!!ギターなんか辞めなさい。」私は不貞腐れて仕舞った。

その夜、家族皆んなとお兄ちゃんとで、テレビを観て話した。お兄ちゃんは訳ありで、女の子と車に乗って居て事故を起こしたらしかった...。テレビでは丁度「傷だらけの天使」の最終回が流れて居た。ラスト・シーンで、井上堯之バンドが流したバラードが切なかった。最後、水谷豊が風邪で部屋で死んで仕舞い。その遺体をリヤカーで埋め立て地のゴミ捨て場に捨てに行くシーンには涙が出た。お兄ちゃんは神妙に見て居た...。

 

 

”傷だらけの天使”(最終回)『一人』デイヴ平尾 夢の島シーン 

 

三角龍雪 VS 木暮修傷

 

 

そして彼は次の日、北海道に帰って行った。結局記憶は家で過ごした4年間の事と、彼女の事だけしか憶えてなかったが・・・・・。私は、それから、そのガット・ギターで、ギターソロが弾けるように練習をして居た。時は流れ、高校1年に成って居た。私が1階を改築して出来た、6畳半の鰻の寝床の様な部屋を貰って、その部屋が初めての自分の部屋と成った。ある日、姉さんがボーイフレンドを連れて来た。姉さんは矢張り、音楽が好きで。特に井上陽水などの邦楽が好きだった。洋楽はよく解らなかった。姉さんが連れて来たボーイ・フレンドは沼里さんと言った。矢張りロック・バンドを組んで居て。リードギターを弾いて居た。彼は早稲田の学生だった。姉さんは彼のバンドのライブを録音したテープを私に聴かせて言った。「今、エリック・クラプトンだとか言う人が上手いとか言われて居るけど、沼里くんの方が上手いわよ。あんたもこのテープをしっかり聴きなさい!」私はそのテープを聴いて思った。彼の作った曲を演奏するバンドはまるでオールマン・ブラザース・バンドの物真似だったし。沼里さんのギターのアドリブはロリー・ギャラガーの完全コピー だった。確かに彼の弾くギターはロリー・ギャラガー のピッキング・ハーモニックスをそっくりに真似て、上手い事は上手かったが....。私はなんだか、此れだけそっくりに弾けてもオリジナリティーがないじゃ無いかと思って居た。

 

 

 

 

 

 

Taste - Sugar Mama 

 

Taste : ニュース写真

 

 

今日の昼、すき家で、鳥煮込みカレー定食を食べた。サラダを大盛りにしたために760円だった。

 

 

 

 

私はエレキギターが欲しかった。だが親は買ってくれなかった。バイトをするしかなかった。高校1年に成って、私は中学の同級生の家によく遊びに行って居た。何故ならそいつは、金持ちの息子で、お小遣いは月に4万も貰えて居て。エレキギターを買って持って居たからだ。しかし、彼は何も弾け無かった。私が遊びに行ってそいつの代わりにエレキギターを弾いて居た。そうこうして居ると。その姉さんのボーイ・フレンドの沼里さんがギター・ケースを持って遊びに来て、そして私の部屋に入って来て。そのギターを買わないかと言うのだ。見てみるとグレコの赤いレスポールだった。しかし、ピック・アップが、一つ壊れて居て音が出ない。私は言った。「これって壊れて居るじゃ無いですか?」すると彼はこう言った。「このギターはそのうち値打ちが出るぞ!!」私は笑って言った。「このギターのどこがですか?」彼は続けて言った。「だって君、エレキ・ギター欲しんだろ?」そしてこうも言った。「君が買ってくれればなぁ〜〜。まあ、姉さんとの付き合いの事もあるし、俺は結構モテるんだよ...。姉さんと別れても良いんだよ?」

 

私は、こんな野郎は如何仕様も無いなと思ったが、聞いて見た。「幾ら何ですか?」すると待って居たとばかりに言った。「1万8千円!!」私は「高い!1万円ぐらいなら買いますよ」すると彼は「1万4千円までは下げるけど、それ以上は値引きしない!!」と言う。私は姉の事もあるので、4万円ぐらいのエレキが欲しくて、貯めて居た途中の貶しのバイト代1万4千円で、その赤いレスポールを彼から譲り受けた。そして一つのピックアップだけのレスポールで、初めて組んだ、ロックバンドで「クリーム」の曲やら「レッド・ツッペリン」の曲を演奏して居た。それから暫くして、自宅の自分の部屋で、中村とうようの「ザ・ブルース」と言う。ラジオ番組が始まるとウキウキして、ラジオで流れる黒人のブルースをカセットテープに録音しようとして居たら、突然、ドアが開いて母と姉さんが入って来た。そして言った。「ラジカセを渡しな!!」姉さんが怒鳴り気味に言った。私は言った。「此れから、大切な番組がやるから、後にしてくれる。」すると姉さんは怒鳴って言った。「今日は沼里くんのバンドのライブを録音したものを借りて来たんだ!!お前は勉強でもしろ!!」私は言った。「そのテープが聴きたいのならば、番組は30分で終わるから、それからにしてよ。」すると母が言った。「お前は勉強をしなさい!!」そして、ラジカセは、姉さんが私からもぎり取って出て行った。私は落胆した、その日は、ブルース・ギタリスト。アール・フッカーの幻の音源を放送する事に成って居たからだ。私は「何故、何時も姉はこうなんだ!」と、壁に本を叩きつけた...。

 

 

Earl Hooker - Driftsin Blues

Earl Hooker ~ ''The Moon Is Rising'' 1969 

Rory Gallagher - Tattoo'd Lady (Live At Montreux) 

 

 

忘れもしない。ある年の年末の雪が降った日にスタジオで演奏したが、レスポールの音が出にくくなり、私はついに頭に来た。こんな壊れたギターを無理やり買わされて、怒りが頂点になった私は、スタジオのコンクリートの床にその赤いレスポールを叩き付けて居た。何遍も叩きつけた。ネックは折れて弦は切れ、ボディーは割れて行った。するとバンドのメンバーが言った、「今日は如何したんだ。ピート・タウンゼント見たいに、ギター壊してさぁ....。」私は、「こんなギター如何でも良いんだよ!」と言うとスタジオにあるレンタルのテレキャスターを借りて、その後も借りて演奏をする事とした。その後、姉さんは沼里さんのライブでの演奏が詰まった大切なテープを3本借りて来て、私に「あんたはこう言う音楽でも聴きなさいよねぇ!!」と言って私に渡した。私はそのテープをある日、ラジカセで聴いてから、全部消去して姉さんに返した。

 

姉さんは流石に、私がテープを全て消した事を、気にして私にこう言った。「あのテープは大切なものだったのよ。何で消したりしたの?何だか訳があったのでしょう?」私は一言言った。「あの沼里って男が俺に何を売り付けたか、本人に聞いて見な.....。」それから、姉さんはその男と付き合って居たが。沼里さんの友達からこう言われた。「君さあ、沼里はさぁ、彼奴の家は名家だから、君には悪いけど、結婚は出来ないよ。彼奴には決まられた許嫁が居るんだよ。小学校の時から縁結びされて居る女の子がね・・・。」姉さんはそう言われて、付き合うのを辞めた。そして、友人から紹介された医大生と付き合う様に成った。その人が今の姉さんの旦那で、若い頃は桑田佳祐らとバンドを組んで居た事もあったと言って居た。ドラムを叩いて居たのだ。

 

 

Who - Summertime Blues (live,1969) 0815007 

 

 

私はエレキギターはスタジオのレンタルの借り物で練習をして居たが。或る日、私を坊やと言って可愛がってくれて居た。おばちゃんが居たのだが、その人が家に来て、突然こう言った「坊や、エレキギター欲しんだろう?」私は少し吃驚したが。「うん、まあね...。」と言ったら、こう言う。「あたしが買うてやるよ、坊や。」私は吃驚して言った。「いいの....。」すると言った。「どんなものが欲しいんだい」私は一応言って見た。「おばちゃんは知らないと思うけど、「ESー335」と言うタイプのもので、BBKingモデルと言うのだけども、、」そう言うと彼女は微笑んで「まかしとき!そのエレキギターを買うてやる!!」そして言った。「ただ、1週間我慢せえよ。」そして、私にウインクすると帰って行った。

 

 

ヘタな演奏で毎回同じですが。飽きたかも知れませんが。聴いてやって下さい。ブルースバンドでのヘタクソなギターソロです。私が18歳当時の音源です。。。

 

 

  

 

 

 

1週間後、彼女は、大きなギターケースを持って家にやって来た。そして、驚いて見て居る母を知り目に「あたしゃ、見てられなかったんだよ。あんなに坊やはギター好きなのにさ、あんたは何時まで分かってやれないだい」そう言うと私にギターを渡して言った。「色は聞いて居なかったけどな、ロックの連中とかな、ブルースの連中とかが使って居るものの色を調べてな、店員が決めてくれた」私はギターケースを開けた。赤いBBKingモデルの「ESー335」だった。グレコのものだった。私はお礼を言うと要約、手に入ったその「ESー335」を手に取って眺めて居た。そして、それから8年間、そのギターをメインで弾いて居た。今、そのギターは手元に無い。障害者になって、バンドを辞めた時に、これは何遍んも言うが、私は感情が昂ってしまい。このギターだけは思い出があるので、あえてこのギターを道路のコンクリートの道に叩きつけてめちゃくちゃに壊したのだ。そうする事で、ギタリストの道に別れを告げたのだ。後の楽器も全部楽器屋に引き取って貰った。私のギタリストとしての道はこれで終わらせた、そう終わったのだった。

 

母は何時も私のやる事に反対した。絵を描いて居るとそんなものは辞めろと言って辞めさせ。そして楽器もだった。私に何をやらせかったのか?私は幼稚園児の頃に小学校から従兄弟が皆んな私立に行くので。私も私立に行かせてくれとねだった。しかし、行かせてはくれなかった。家が貧しかった事もあろうが、母には私は何時も「お前は、お父さんの会社に入るのだから」と言われて居た。食料品の卸問屋がそんなにも良い職業か!!親父の会社だと言うけども、私は精神疾患の障害を持つ様になってから、入社して見れば、禄な会社では無かったし、将来性も無い会社だった。従兄弟が社長の座を狙って居て、まあ、私はそんなものに興味は更々なかったが。従兄弟は物凄く勘ぐった。そして、私は25年間働いて従兄弟の嫌がらせに合い。歳を取り、横暴に成った父親に出て行けと言われた。だから会社を辞めたのだ。その父も、もう亡くなってこの世には居ない。母は認知症で施設で暮らして居て、近況も判らず。はっきり言って、もう、86歳ぐらいには成る。何時死んだと言われてもおかしくは無い歳だ。私は、今や独り身で、音楽は死ぬほど好きだから、楽器はブルースハープを演奏して居る。若い頃から演奏して居た。ただし途中20数年間ほどのブランクがあるが....。もう誰にも文句は言わせない。俺の人生は俺が決める。後生きても10数年の歳に成った。私に家族は居ない。身内はもう誰も居ない。姉さんは居るが、縁は切れて居る。残りの10数年間、音楽と映画とアニメ。そして哲学に埋もれて生きられたらそれで良い。良い加減に自分の思い通りに生きたいのです。

 

 

kiyasumeのドヘタな、ブルースハープ・ソロ、、

 

 

 

 

なんての?ホンマにエエ音や / ビンテージ67年製ギブソンES-335 / TFGD#29 

 

 

 

 

==「マカロニに出演した日本人俳優と映画の歴史を少し解説....。」==

 

 

もう、随分と前の事だが、岡本喜八監督の「イースト・ミーツ・ウエスト」と言う。日本人の真田広之と竹中直人に仲代達矢を配し、相手役に外国人を起用してアメリカで撮った西部劇がある。日本人が撮った西部劇だから「スキヤキ・ウエスタン」と当時呼ばれて居た。しかし日本人が出演した西部劇は昔から少ないがあった。未公開作品だが。トニー・アンソニー主演のストレンジャー・シリーズ(暁の用心棒)と言う作品群がある。その第三弾として、何と日本ロケした映画がある。題して「storanger in japan/英語タイトルThe Silent Stranger」と言う1969年制作のマカロニ・ウエスタンだ。

 

 

 

 

THE SILENT STRANGER - CLIP 

 

 

 

 

 

 

幻の映画と日本では呼ばれて居る。ストーリーは日本の盗賊がガンマン(日本に流れ着いた)に対抗して、南蛮人の指導の元にガトリング機関銃を作って、戦うと言う物だが、見事にマカロニのツボを抑えたイタリア人気質が迸る、絶品マカロニ・ウエスタンだった。要するに天ぷらそば作っても、タバスコは忘れないと言った処か。私はこの作品は、スペインから海賊版ビデオを取り寄せて所有して居た。画像もまあまあ、良いビデオだった。勿論、字幕は無いが、日本が舞台なので日本語が多く、話の筋は理解出来た。ちなみに最近ドイツでDVDが発売されたらしい。この作品は京都の撮影所で撮影されて居て、監督は、足が悪い野良犬を連れて来て、この犬はガトリング機関銃の流れ弾に当たったのだと言い、撮影をし、適役で主演した大前均は暴力的な撮影の為、怪我をしたと言う。話は荒唐無稽だ、温泉でのくノ一襲撃で主人公のトニーアンソニー扮するガンマンが危機的状態になるとか。悪侍の婚約者が14歳の少女だとか、、おまけに、日本に来れば財宝がザクザクあると訊いて、アラスカで死んだ日本人から財宝の地図を渡されて、日本くんだりまで船で馬ごと密行して来た”ストレンジャー”が日本の大名の騒動に巻き込まれて、悪代官、旗本の悪侍を日本にあった火縄銃と先込めライフルで撃退し。無理やり悪代官の妾にされ掛かって居た14歳の女の子を救うのだ。最後に落ちがあって、財宝の地図を読んだ、なぜか英語が解る14歳の女の子に「ストレンジャーさん。財宝はカルフォルニアにあると注意書きがしてありますよ?」と言われて、めげるも、馬を飛ばして「さらばだ。カワイコちゃん」と去って行くのだ。船乗らなくてどうやってアメリカまで帰るのか...。?と言うラストだった。思えば、マカロニには、日本人俳優が結構出演して居る。まず、此間書いたが、1968年に仲代達矢がトニーノ・チェルビィの「野獣暁に死す」に出演。イタリア人にあの仲代の目つきはまさにマカロニ的と思えたか、役柄もありがちな日本人の混血などではなくジェームズと言う悪党のボスで主人公の恋人のインディアンの女を犯し、殺し。馬上の上で日本刀ならぬ大鉈を振りまわす、拳銃の腕前も刀も凄いサムライ的なガンマンの演出だ。

 

Oggi a me,Domani a te! 

 

 

 

 

 

この映画は主人公が仲間を集めながら復讐へ向かうと言うストーリーの骨格が黒澤の「7人の侍」だし。最後、主人公の「カイオワ」と仲代の「ジェームズ」が決闘する時に、主人公が、「俺が死んでも手を出すな」と周りのガンマンたちに誓わせ、決闘するシーンはやはり黒澤の「椿三十郎」の台詞のパクリだった。それから、「五人の軍隊」と言うマカロニがあるが、此処では、あの丹波哲郎が「芸人に身を窶したと言う日本のサムライ役で出演して居る。丹波哲郎と言えば確か進駐軍の通訳をして居たと言う英語通だが。「007は2度死ぬ」では日本政府の諜報員の現代忍者部隊の闘将、タイガー田中役で出て居る。しかし、何故かこの映画の中では台詞は一切無し。サムライは気安く口を聞かないと言う設定。そしてメキシコ政府軍が列車で輸送する砂金を掻っ払うシーンで列車から転げ落ちて、走って走って列車に追い付くシーンとか、東京オリンピックでの円谷選手を彷彿とさせるシーンを撮り。拳銃相手に刀の居合切りで、ピーター・グレイブス演じるリーダー格のガンマンやら仲間のガンマンを助けるニヒルな男。そうルパン三世の五右衛門のモデルになった役なのだ。

 

 

The Five Man Army (Original Theatrical Trailer) 

 

 

 

 

UN ESERCITO DI 5 UOMINI (Ennio Morricone - 1969) : "Una Corsa Disperata (Samurai Runs)" 

 

 

 

 

そして、1970年代になってから真打の三船敏郎が「レッド・サン」に堂々主役級で主演。当時世界の名優と言われて居た、チャールズ・ブロンソンとフランスの2枚目俳優アラン・ドロンを向こうに廻し。堂々たる会心の演技を世界に見せつけた。三船はテレンス・ヤング監督と外人が連想するサムライでは無くて、本当のサムライとはどう言うものかと徹底的に話し合い。アクション・シーンはスタントマンを使わずに全部本人が演じ、リアリズムに徹した。この映画は当時話題作となり。世界的な興行収益もはじき出した。なお。この作品は監督はイギリス人。共演者が、アメリカ人とフランス人と言う映画だが、れっきとしたマカロニ・ウエスタンだ。まさに名作。

 

 

Red Sun 1971 trailer 

 

 

 

Red Sun (1972) Clip 

 

 

 

 

こうして見るとマカロニ・ウエスタンに日本映画が与えた影響は大きい。が、日本人はマカロニをイタリア人が作る前に。1960年代初頭にスキヤキ・ウエスタンと言う、和製西部劇を撮って居るのだ。和田浩二がワイアップ・アープの日系の孫を演じた西川克己監督作「俺の故郷は大西部」などだ。クライマックスは富士山麓の「 OK牧場」ならぬ「大川牧場」と言う怪作。その後日活は1962年に此間亡くなった、宍戸 錠こと「エースのジョー」をメキシコの友人を助けるために海外へ派遣。蔵原椎繕監督作「メキシコ無宿」を撮った。メキシコなのになぜか悪役は藤村有弘だった。まあ、この頃のものは、パロディか、お遊びだった訳で。イタリア人の様に「偽物ウエスタン」と言われようとも。「残酷」「スタイリッシュ」「かっこいい音楽」と言った独自の血と汗を込める様な情熱は日本には無かった様だが、、しかし、マカロニと負けじに我が国も力を入れたスキヤキ・ウエスタンを1968年当時撮って居るのだ。それは佐藤純也が撮った、高倉 健主演でオーストラリアの俳優とロケで撮った「荒野の渡世人」だ。勝海舟率いる臨海丸でアメリカに渡ったサムライの子供が青年に成り、大西部でガンファイトと日本刀を駆使して、アメリカ人の知り合った母親と子供を助けると言った。どちらかと言うと、あの股旅ものの西部劇「シェーン」を彷彿とさせる、秀作だった。

 

 

 

 

荒野の渡世人(予告編) 

 

 

 

 

 

 

 

「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」予告編 

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【渡り鳥】小林旭と宍戸錠 AKIRA & JOE 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、スキヤキ・ウエスタンは作られず、1970年代に成ると「テレビ時代劇」にガトリング砲が出現し、マカロニ的な時代劇が大流行と成って行った。「必殺仕掛け人。」「必殺仕置人」が出て来て、時代劇もマカロニの影響を見せ始めた「唖侍・鬼一方眼」「子連れ狼」「木枯紋次郎」などが出来た。そしてそれらは、アメリカやヨーロッパで高い評価を受ける様に成って行った。その後、スキヤキ・ウエスタンは1992年頃に岡本喜八監督の「イースト・ミーツ・ウエスト」が出来た。私はこの作品を手に入れたかったのだが、何と当時、セル・ビデオは発売にならず。困った私は発売元の松竹映画事業部まで、電話を掛けたのだった。すると年配の男性が電話口に出て、私が「この作品を絶大に評価して居る」と言って、「低価格ビデオの発売を検討してくれ」とその人に頼んだら、何と電話に出たのは松竹映画の社長さんで、「分かりました。あなたは可也の映画通ですね、この「イースト・ミーツ・ウエスト」のビデオは差し上げますよ。ああ、ちょうど岡本喜八監督のメイキング・ビデオもあるから2本組でお送りしますよ」と言うでは無いか。私は驚いて、「いえ、タダでは貰えないから、お金は払います」と言ったら「ならばビデオ業者に渡すのでビール券をお気持ちでいいから送ってください」と言うので5千円分のビール券を松竹まで送ったら。ビデオが2本届いた。何でも、ものは言って見るものだと思いました。そのビデオは暫く私の宝物と成った。その後、10年程前に三池崇史監督が、あのマカロニの名作「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」をオマージュしてスキヤキ・ウエスタンとして「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」を撮ったのは記憶に新しい処だ。そして昨年の4月31日に「続・荒野の用心棒」が、4Kリストア・バージョンに成ってリバイバル公開された。そのバージョンのテレビ公開もあると言う。今から楽しみだ。。。

 

 

 

Samurai in The Wild West! 

 

 

 

 

 

Sukiyaki Western Django Best Fight (End) 

 

 

 

 

 

LONE WOLF AND CUB(子連れ狼) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紋次郎喰い 

 

 

 


 

浅川マキの世界 A 

 

 

ぼくたちの失敗/森田童子 

 

 

 

山崎ハコ-子守唄 (Yamazaki Hako-Komoriuta) 

 

 

 

山崎ハコさん「ざんげの値打ちもない(Live ver.)」

  

 

 

山崎ハコ~流れ酔い唄

 

 

 

山崎ハコさん「てっせん子守唄 (Live ver.)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がハーモニカで吹くブルースバラードです。皆さん聴いて下さいね。。。。


ブルースバラード SD 480p 

 

 

昨日、ヘルパーのおばさんが手術後初めて訪問した。私は「手術成功おめでとう御座います」と言ったら喜んで居た見たいだ。そして、今回は彼女に、洋服の整理を頼んだ。前に他のヘルパーの人に洋服を入れるラックを組み立てて貰ったから。その、ラックに服を入れて貰ったのです。だが押し入れから服を出して見ると「あれ?なかったと思ってシャツ購入したら、、4枚もあった!!」と言うことが続出した。そのヘルパーのおばさんからは、「あんたは服趣味で集めて居るから、大体が色々購入しても。一部の服をずぅーと来て居て他の服着ないじゃない?」と言われたので、「いや、何時も同じ種類の服だけども着替えて居るのですよ?」と言った。そうなのだ。私は同じシャツだとか複数枚持って居る。だから、取り替えても何時も同じ服着て居る様にしか見えないのですね。

 

ただ確かに、色々買い込んでも。今の所、そんなに他の服は着ない。大体が夏は暑い。最近では秋が無い。10月も半ばぐらいに成らないと気温も20度ぐらいには成らないのですよね。勝手、あの日本が誇る映画監督「小津安二郎」が何時も同じ服を着て居るので不思議がった女優が、彼の家に呼ばれて彼がトイレに立った隙に、彼の居間に行って大きな洋服ダンスのクローゼットを開けたら。なんと同じ上着と同じシャツと同じズボンが沢山掛かって居たそうで。吃驚したそうです。まあ、オシャレとは、そうしたモノだと私も思って居る。そして私は今は黒が好きなので。黒い色の服を着込んで居る。今は夏だが黒いYシャツと黒いパンツ。そして黒いロング・ベストだ。この黒いロング・ベストは、冬用のモノと、夏用のモノを持って居る。だから夏は夏用の薄いモノ。冬は冬用の厚いモノと分けて着こなして居ます。大体が私がオシャレになったのは此処3年ぐらいです。

 

60歳ぐらいの時に思ったんです。「俺も生きても後12年ぐらい。いい事なんざ、何があったんだろう...。此の儘。死ぬのは余りにも惨めだ」と。だから、「もう失った時間は取り戻せないけど。金も無いから贅沢も出来ないけど。せめてお洒落をしよう。私は若く見られる。だから若作りをすればジジイには見られない筈だな・・・・。」だから40代の頃に長髪にして居たのを思い出し。60歳から長髪にまた仕出した。有難い事に頭は禿げては居ない。よくこう言われる。「あなたは歳の割に髪が有るから長髪が出来るんだよ」まあ、素直に認め様。62歳ぐらいになると、禿げる男も居るのですから。だから中年の男から僻まれるし、やっかみを言われる。若者からは好意的に何時も見られて居ます。でも、もう70歳まで、禿げるまでは私は長髪です。禿げたらウイッグを被ります。勿論長髪のね・・・・。

 

処で知り合いの、或、おばさんに、青木志貴ちゃんの本を見せたら、「この子は顔が綺麗だから相手にされて居るだけだ。ブスだったらこんな子、誰も相手にしないよ!!」と言われた。私は呆れると同時に、こんな事を言われる志貴ちゃんを可哀想にと思った。彼女が何をした。彼女がどれだけの虐めに遭って迫害されて、自分でどうにかして、今の地位を得たのかも、知りもしないでよくも言えた。こう言う醜い心根を中年の女性は持って居る。男性だって同じだ。自分より少しでもカッコイイ男やら。カッコイイ服装をして居ると嫌味を言い出す。心根が腐って居る連中がどれだけ居るか。確かに女性は現実的で男の方がロマンチストだと言われるけど、、私はそう言う事を言われる事を嫌な気になって居る。彼女はフランス人との混血だ。そして美人だ。確かに変わって居るとは思う。何せ己の性自認が「男」なのだ。だから、怒ると口調が男言葉になる。だが私は彼女の本音を解って居るつもりだ。彼女は胸が小さい。そう言った身体的な面で大きな劣等感を持って居る。

 

 

 


 

彼女は、一時、性転換をしようと専門の医者の門を叩いた。そして、一口に性と言っても色々な種類の性が医学的に存在すると言う事を知ったそうだ。そして医者も闇雲に性転換はしない。色々とカウンセリングを受けたそうだ。其の結果。何処の性転換の専門の医師に会いに行っても。答えは同じだったそうだ、「君は性転換をしないほうがいい」と言われた。彼女は悩んだ。「僕は中途半端なだけなのか?」過去に色が白くて美人だからと、女の子たちから虐められた過去が蘇って来る。彼女はある意味開き直ったのだろう「ならば僕は女でも無く男でも無い其れを超える」と。最近でも、「何で顔面ピアスやらないの?」とか言われて嫌がらせをされて居る。しかしこの子は強い。「開けてもいいんだけどね。僕は舞台俳優だからさ」と軽くいなして居る。彼女のYouTubeでの声優同士の会話を聞いて居ても。彼女が美しいと話に吃る同じ声優の女の子が居ると、若い声優の女の子がその子を「お前、何照れてんだよ〜〜!!」と貶し付ける。しかし志貴ちゃんは動じない。何故なら彼女には夢があるからだ。「声優は歳を取ったらもう出来ない。だから私は裏方に廻ろう。そしてお酒が飲めるバーを経営しよう。」なんか私が見て居ると彼女は無理矢理男になりたいと思って居る節がある。

 

私は彼女に言いたい。君は立派な女性だよ。美しいし。可愛いし....。前にある人からこう言われた、「性自認が男ならさっさと性転換して男になればいいのにさ!!」人は彼女の苦労を知らない。ハーフで色が透き通るように白い。それだけで日本人の女の子は僻んで嫌がらせをして来る。そんな事で・・・・。そんな事で差別なのだ。彼女は恐らくはそんな事も手伝って自分を男だと言う様になって行ったのだろう。其れに彼女は頭がいい子だ。勉強も出来た。バカではない。私は今、暫し陰ながら彼女の事を応援しようと思う。私では彼女は嫌がるだろうけど。志貴ちゃん、おっと、通称は志貴くんだ。私の半分の歳の志貴くん。頑張れ!!

 

私は勝手、アラン・ドロンが好きだった。彼は絶世の美男子だった。この記事を読んで居る方で彼の事を知らない人も居るだろう。彼は若い頃は子供の頃に母親に死別されて、子供の施設に送られて居た。そしてその後里親に育てられ、彼は厳格な寄宿学校に幽閉された。彼はそこを飛び出して。それ以後イタリアのシシリー島のマフィアのボスに可愛がれて、使い走りをして大人になり。彼に寄ってくる女の子たちと懇意になり。ある女優が彼をカンヌ映画祭に連れて行った処。映画プロデューサーの目に留まり。そしてフランス映画界の巨匠。ルネ・クレマン監督の映画「太陽がいっぱい」で一躍有名になった。

 

私はブオトコだ。だから尚更、美男子でカッコイイ彼に憧れた。そして彼の着こなし。トレンチコートの襟を立てる仕草だとかを真似た。彼も、もう86歳になる。彼の経歴を書いて置きます。「仏パリ近郊の町ソーに生まれる。里親に育てられ寄宿学校を転々とする子ども時代を送り、17歳で仏空軍に入隊。除隊後、様々な職を経て、57年の「女が事件にからむ時」でスクリーンデビューする。「恋ひとすじに」(58)で初主演を務め、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(60)で一躍世界的なスターになる。以降、ルキノ・ビスコンティ監督の「若者のすべて」(60)や「山猫」(63)、クレマン監督の「生きる歓び」(61)、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」(62)で次々と主演を務め、「地下室のメロディー」(63)では仏スター俳優ジャン・ギャバンと共演。66年の「テキサス」でハリウッドデビューしたが、まもなくフランスに戻り、名作「サムライ」(67)に出演する。

 

69年にはボディガードが射殺され、殺人容疑をかけられる大スキャンダルが発生したが、後に容疑は晴れた。その後も「パリの灯は遠く」(76)などがヒットし、初監督作「危険なささやき」(81)では製作・主演も兼ねた。「真夜中のミラージュ」(84・日本劇場未公開)ではセザール賞主演男優賞を受賞。98年の「ハーフ・ア・チャンス」を最後に引退宣言をしたが、00年に復帰しTVドラマ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」(03~04)などに出演する。最初の妻ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)との間に生まれた息子アントニー・ドロン、2番目の妻との息子のアラン=ファビアン・ドロンも俳優になった。

 

私は男優は、勿論渋めの人も好きだ。イブ・モンタンだとか。リノ・バンチュラ。ジャン・ギャバンとかの渋めも好きだ。最近ではジャン・レノとかも。最近の男優で好きなのはヒュー・ジャックマン。ウイリアム・ニールセンとかだ。そして日本では福山雅治とか井浦新とか木村拓哉。亀梨達也そしてGACKTだ。古い処では仲代達也。三船敏郎。原田芳雄。石原裕次郎などですね。人は色々言うのですよ。私などでさえ、色々言われて居る。顔を見せて居るのも一つの要因だろうとは思うが。アラン・ドロンは私のフランスでの永遠の兄貴です。

 

 

 

 

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Alain Delon - tourner dans le vide | 

 

À Toi .. Joe Dassin " Alain Delon and Dalila" 

 

Alain Delon and Sonia Petrovna in “INDIAN SUMMER” 1972 | 

 

ALAIN DELON in D'URBAN/Part2 

 

 

 

今回は以上です。。。此処まで読んでくれてありがとう。。。。