私が吹くヘタくそなハーモニカ。
私の実家の職業。親父の職業は製菓材料の卸問屋だった。私の母親は弟の通って居た私立の学校で担任からこう言われた。「お父さんの職業はなんですか?」だから「食料品の会社の専務です」と言った。するとこう言われたと言う。「食料品と言うと飲食業かね?」「いえ、製菓材料の卸問屋です」「製花材料の卸問屋?」「いえ、製菓材料。お菓子の材料の問屋です」すると呆れた声でこう言われたそうだ。「お菓子の材料?。君は何を言って居るのかね?」続けて行った。「菓子に材料があるのかね?何だねそりゃ?」母は言ったそうだ「いえ先生。お言葉ですが。ケーキとか、パンや和菓子の材料です。」「ケーキやパンの材料?そんなものは小麦粉と卵があれば出来るだろう?」母は、言った。「いや先生。パンには薄力粉やら、イーストとかも居るんですよ。バターとかね。」するとその担任は顔を赤らめて怒って言ったそうだ。「そんなものはスーパーで買えるだろう!!何だそのふざけた職業は?」すると同級生のお母さんたちが、「先生。知ら無いんですか?そう言う職業ありますよ!!」と母を援護してくれたが。「そうかねぇ。私はそんなふざけた職業は知らん!!」。「君のお子さんは成績もいい。クラスでも一番だ。しかし親が、そんな乞食見たいなふざけた真似ではねぇ」母は驚いたそうだ。「この人は本当に先生なのか?教師なのか?」そうだよ。教師とはそんなモノだ。私は断言する。教育者?そう言えば聞こえはいい?でもね。本当の教育者は少ない、立派な教師?片腹痛いわ!!。そんな人は稀だ!!。話はその先生です。弟は卒業した。すると弟の処に、その先生から、毎年年賀状が届く様になった。その年賀状には「〇〇君。君の現状はどうでしょうか。私の現状を話そう。私は今、畑で野菜を栽培して居る。私が栽培して居るのだから日本一だ。当たり前だろう、、」そう書いてあった。私は弟に言った。「何?この自画自賛は?」すると弟が言った。「返事は書か無いよ」そしてその先生には目に入れても痛くない、自慢の息子が居た。その先生は息子を自慢して居た。処が息子は若くして癌で亡くなった。その先生は息子に死なれて堪らなくなり。私の弟に頼ろうとした。弟は冷酷だった。頼って来る先生を完全無視をした。仕舞いには先生の奥さんまでが連絡をして来た。それも無視をした。弟は怒って居たのだ。「自分は何様だ!!差別をするものが教師か!!」その後、その先生は奥さんにも先立たれて身寄りもなく最後は孤独死した。
GACKT:徹底解説! 人生が無敵になる方法!!
皆さん「レ・ミゼラブル」は知って居ますよね。でも皆さん。あの小説を最後まできちんと読みましたか?あらすじを紹介しますね。ジャン・バルジャンは貧しい生活をして居ました。彼は姉さんたちと住んで居て。木こりをして居ましたが。生活に追われて。ある日。子供に食べさせるモノもなくなった。家を飛び出たジャン・バルジャンは、パン屋の窓ガラスを割り一欠片のパンを盗みます。逃げたジャン・バルジャンでしたが。警官は彼を逃しません。彼は捕まりました。そしてパン一欠片盗んだ罪で懲役30年を言い渡されます。彼は言い訳をしましたが。裁判所は彼を許しはしません。彼は服役し。そして、重労働を課せられます。同じ囚人たちが彼に聞きました。「お前はどんな悪事をしたんだ」彼は言います「パンを一欠片盗んだ」すると仲間の囚人が言います。「パン一欠片で30年?酷え、、」ジャン・バルジャンは独房生活が耐えられなくなります。彼はある時、海沿いの監獄の外で作業中にロープの手を離して、海にわざと落ちて。うまく刑務所を脱出する事に成功します。彼は逃避行を繰り返しながら考えました。「オレが悪いのか、世間は何だ・・・。」そして彼はゆえあって道すがら知り会いになった牧師の処に世話に成りました。彼は食事を世話に成ります。その牧師は親切で彼の素性も聞かずに、世話をし、その晩。家に泊めましたが。彼はその牧師の家にあった銀の食器に目が行きます。彼は寝室に通されて毛布を当てがわれますが。遂にその銀の食器を盗んで夜の街へと消えて行きます。しかし警察官にすぐに捕まって仕舞います。
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彼を捕まえた警官は牧師の元に彼を差し出し言います「司祭様。こいつは銀の食器を持って居ましたが、これは司祭様のものではありませんか?」その言葉を聞いたジャン・バルジャンは驚きます_「司祭様だと。牧師ではないのか?」すると司祭は警官に「その男を離して下さい」と言います。そして警官にこう言ったのです。「その銀の食器は彼に挙げたものですよ。彼もそう言って居たでしょう?」警官はびっくりして言います。「では本当なのですね。司祭様」司祭は続けて言います「そうそう。あなたはこれも挙げたのに持って行かなかったのですね.....。」そして銀のローソク立ての燭台を彼に渡して。警官に立ち去る様に言います。警官は納得して立ち去り。そして司祭は彼にこう言います。「この食器は考えて見ればあなた方の様な不幸な者たちのものだったのです。」「これを持って立ち去りなさい」そして言います。「約束して下さい。真人間になる事を....。私は銀の燭台と食器であなたの悪心を買ったのです。」ジャン・バルジャンは泣き崩れました。それから月日はたち彼は、身分を隠してある街の市長になって居ました。
しかし彼をジャン・バルジャンと睨んだ敏腕警部。ジャベールがやって来ます。彼は執拗に市長の身の周りを調べ始めます。そんな折。ジャン・バルジャンは街の娼婦に悪態を突かれます。彼がよくその娼婦に話を聞いた処。彼の作った織物工場から、不当に解雇されて、身を持ち崩した事を知ります。彼は娼婦に謝り。職を与えようとしますが。やって来たジャベールはその娼婦を市長侮辱罪の名目で連行しようとします。ジャン・バルジャンは彼と喧嘩になりますが娼婦は持病が悪化して倒れて仕舞います。ベットに横になった娼婦から、彼女には娘が居る事。そして彼女を遠い町外れの居酒屋のテナルデイ夫妻の処に預けて居る事を聞きます。その娼婦は一心にジャン・バルジャンに話します。彼は彼女を介抱しますが、そこへ先程のジャベールがまたやって来て。彼女を市長侮辱罪で再び連行しようとしました。しかし病状が悪化した彼女は娘の名を呼んで絶命します。ジャン・バルジャンはジャベールに言います。「お前が殺したんだ。彼女を!!」ジャベールは言います。「貴様はジャン・バルジャンだ!!。脱獄犯で盗人のな!!」
ジャン・バルジャンはスキを付いて逃げます。そして娼婦が言った居酒屋に行きます。そして彼女の娘のコゼットを引き取ろうとします。しかし居酒屋のテナルディは悪党で、彼女を手放すには大金を貰いたいと言います。彼は逃げる時にかき集めて持って来たお金で、要求の金を全額彼に渡してコゼットを引き取り。二人で隠れて修道院で暮らさせて貰い。暫くは平穏な日々が続きますが。やがてフランス革命の波が押し寄せます。ある日。コゼットと街を散歩して居たジャン・バルジャンはコゼットを見つめる革命を説いて居る美しい青年を意識します。その後フランス革命が起き。その青年は革命の渦の中に飲み込まれて行きます。街にバリケードを作って、中で銃で武装した彼とその仲間は軍隊と激しい銃撃戦になりますが。その彼らの事を案ずるコゼットに、ジャン・バルジャンは居ても立って居られなくなり、何とその戦火の中。革命の闘士であるコゼットの恋人を守る為に駆け付けます。
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すると中には。何とジャベールが捕まって居ました。ジャン・バルジャンは激しく動揺します。しかし彼は司祭との約束を思い出します。彼は革命の同士から銃を貰うと、彼を人気の無い路地へと連れて行きます。手を後ろにゆわかれた彼はジャン・バルジャンに言います。「そうか、遂にオレを殺すんだな。さあ、早く撃ち殺せ!!」彼は言います。「後ろを向いて!!」そしてナイフを取り出します。ジャベールは言います、「そうか銃では無く。ナイフで殺すか?お前らしくていい!!」しかし彼はゆわかれた紐を切り、ジャベールに向かって言います。「あなたは自由だ、お逃げなさい」ジャベールは呆気に取られますが、言われてそこを離れます。すると政府軍の一斉砲撃が始まりバリゲートとアジトは破壊されて仕舞います。大怪我を負って傷付いて居るコゼットの恋人をジャン・バルジャンは担ぎ上げて地下の排水が流れるトンネルに逃げます。
しかしジャベールがその後を追います。ジャン・バルジャンは排水が流れるトンネルから出て、気絶して意識の無い革命の闘士を建物の影に横立わせると。ジャベールの名を大声で呼びます。「ジャベール!!」すると物陰から彼が出て来ます。手に手錠と銃を持った。そのジャベールに背を向けて彼は言います。「さあ、私を殺しなさい」、ジャベールは言います。「ついに年貢の納め時だな、姑息な犯罪者!!」そう言って後手に彼に手錠を掛けます。そして銃を頭に向けて狙い。「其の儘にしていろ....。」と言って。彼はこう言い出します「私の両親は犯罪者だった。いいか、私は牢獄で生まれたのだ。何人と言えども法は絶対の真理なのだ...。」そして何故か鍵を彼の足元に投げると、ジャベールは後ろ向きになって川に転落して絶命します。ジャン・バルジャンは暫く。その場を離れられませんでした。時は流れました。コゼットは何時も通り旦那と昼食を食べて居ます。しかしそこにジャン・バルジャンの姿は見えません。何と助けられたコゼットの恋人とコゼットは夫婦になった時に。ジャン・バルジャンから自分は犯罪者だと告げられて、彼を疎ましく思い。遠ざけて居たのでした。
その食事の最中にテナルディーがコゼットの旦那にいい話を聞かせると言ってやって来ました。テナルディーは旦那にこう言いました。「あの革命の時にあんたを担いで静かな処に連れて行き大金を貰って殺そうとしたのジャン・バルジャンなんだぜ。」と。彼はコゼットの旦那から大金が欲しくてそう作り話を教えたのですが。逆に彼は「自分を助けてくれた恩人はジャン・バルジャンだったのか!!」と要約解りました。彼はコゼットに言います。「俺たちは何て言う人で無しだったんだ。お父さんを早く迎えに行くんだ、コゼット!!」二人は馬車を飛ばして獣道を通り急いで迎えに、遠く離れた人里離れた処に、住んで居る彼の元に急ぎます。そしてジャン・バルジャンが住んで居る。ほったて小屋の様な家に着いた二人は、病気で瀕死の状態で誰にも介抱されずに、横たわって居る彼を、見つけます。コゼットは「お父さん!!」と泣きながら駆け寄って手を握りますが。彼は最後に一言。聞き取れないほど弱々しい声で「これで要約楽に成れる....。神様ありがとう。最後に私の望みを一つだけ叶えて下さって・・・。」と呟いて事切れました。

どうでしたか。知って居る方は私の文を読んでもしかしたら、ちゃんと説明をして居ないと、思われるかも知れませんが。簡単に短く纏めて話して見ました。これが世間です。これが世の中なんですよ。烙印を押されて居る者には永久に安心も平和な暮らしも巡っては来ないのです。私もそうです。はっきり言って。統合失調症になると言う事は、世の中から見捨てられると言う事です。私は死ねるのならそうした方がどれだけ楽かと思います。私が最近よく話す。GACKT君はその事を身に染みて知って居ました。だから、彼は死に物狂いで自分に課した困難を克服しました。彼は若い頃に精神病院の独房に入れられて居たのですよ。彼は何時まで経っても独房から解放されませんでした。彼は退院したい一心で医師の身振り手振り話し方、話の内容までも覚えました。そしてその要領で先生に接しました。すると医者は。ようやく退院を許可しました。また死ぬ様な目にも何度も会いました。喧嘩をして10人程から殴る蹴るの暴行を受けました。その為に彼の鼻の骨は砕けて仕舞ったそうです。彼は思いました。「僕が病弱で弱いから喧嘩を売られるんだ。だから体を鍛えよう。」だから彼の本を読んで見て下さい。
彼の真剣で真摯な生き様が語れて居ますよ。私はもう歳で、どうにもなりません。私は弟を亡くして居ます。生きて居れば彼ぐらいでした。だからこう言うと GACKTファンからは怒られると思いますが。彼を身近に感じて居るのですよ。私は彼の事を最近になって知りました。いや。正確には10数年前には知って居ましたが。本当の意味で彼を知りませんでした。そして2年前に彼の事を。特集した特番を見ました。彼の口調、そして彼の物腰から彼が如何に真剣に人生を生きて来たかを知りました。同時にテレビで見るGACKTのキャラクターは彼の演技である事に気づきました。そして困難を乗り切って真剣に生きて居る。彼の中年と言えどもまだ若々しい姿は。私に希望を当たえてくれました。私は死のうと思って居ました。今は、こう思い出せました。「GACKT君を見てみろ。彼はあんなに頑張って居るではないか。私ももう少し生きて見ようか....。生きてもいいのではないか?」と....。
今日の昼です。

お陰様で障害の病状も良くなり、一時は「入院しますか?」と主治医から言われた程だったけど。なんとか幻聴も幻覚も鬱状態も脱しました。しかし私は。思うに私が若い頃付き合って居た女の子は優しい子だったので、つい女性には優しさを求めて仕舞う見たいです。「あの子は特別だったんだなあ...。」としみじみ思いますよ。私は強気の女性は苦手なんですよね。ずけずけものを言う様な女の子は、、、まあ、高校の時に男の生徒から話をされると「そう思いますわ」とか敬語を話す子が居たけど。周りの女の子たちはその子の事を嫌って居ましたね。女心は気持ちが掴めませんよ。テレビドラマやらアイドルの女の子たちが可愛く優しく物事を言うのはあれは殆んどが演技ですからねぇ。此間テレビのドキュメンタリーを見て居たら、いやHDDに取り溜めて居たので見たのですが。「55歳の純情」?と言う番組を見たのですが。アイドルの女の子たちも今や地下アイドルと言うジャンルのアイドルの歌手たちが居まして。主にライブハウスを拠点にコスチュームを着てユニットグループで歌を歌って客を喜ばして居るのですが。その女の子らにはもう一つ昼の仕事があって。個室で自分のファンたちと一対一で会話したり膝枕をしてあげたりするのですが。私が驚いたのは若干20歳ぐらいの女の子にペンライトを振って大声で声援を送って居るのが50歳以上のオヤジたちなのですよね。まあ、はっきり言って呆れましたが....。
ザ・ノンフィクション その後の中年純情物語にて 主人公は地下アイドルに恋した55歳のきよちゃんのその後。 2017年4月2日
番組で純情男と言われて居たのは55歳の独身のサラリーマンです。彼は別におかしい人ではなく彼女を応援するのを生きがいにはして居ますが。他にゴルフの趣味もあります。ただライブに行って精一杯応援して手を振って「〇〇ちゃ〜ん。命!!。」と叫び。そして昼間の休日にその子に会いにその子が居る店に行って個室で会って、別に何をすると言う事では無く話をして膝枕をして貰い帰って来るのですよ。私は呆れはしましたが。別にキモイとは思わなかったし。大体が私も青木志貴ちゃんの大ファンですから彼女は今年で32歳になりますけどね。見て居てその応援して居る女の子とは親子程歳が離れて居るのに、恋人同士の様に触れ合って居るんですよ。そしてその子は店が潰れて、マネージャーも付かずに一人で地下アイドルを続けるのですが。その55歳のオヤジは一人でその子を応援して居るんですよ。私は見て居てこの二人は年の差結婚をするのだろうなと思いました。現に彼の洋服は彼女が全て選んであげて居るんですから。まあ、若作りですけどね。いいんじゃないかと思いましたよ。私も若作り出し。その男は私よりも7歳も年下なのだからね。今日は訪問看護師が来てくれて、「この間は〇〇さんの顔が引きつって居て別人だったけど。元に戻りましたね。良かった」と言って居ました。
私は「処で俺ってそんなに若く見えるの?」と聞いたら「とても62歳には見えませんよ」と言っては居たが.....。blogで知り合った女の人からも此間だ「プチ整形でもやったの?段々若返って居るから」と言われたけど。確かに自分で見ても前より若く見えるんですよね。何故だろうか?多分長髪のせいでしょうね。可也長く成りましたから。でも、もう少し伸ばすつもりですよ、そうしたらそれで固定ですね。。。。ところで此間だスーパーで買い物をして居たら。後ろから。「ほら、あいつだろ?」と年配の女性の声がしたらその連れの息子さんかな?「言うなよ!!」と言ったのが聞こえて来ましたよ。多分私のblog記事で私が統合失調症の障害者だと知って。大いにバカにしたのでしょうけど。はっきり言って私は最近の10代、20代、30代の若者に声援を送って居るんですよ。彼らはミレニアル世代と言います。彼らがこれから世の中を牽引して行く人たちなんですよね。それ以上の年の人は今の世の中を良くしなくてはと思いますよね。多分私ら60代が居なくなったら。世の中は様変わりする事でしょうね。最近は20代やら30代の若い評論家やら思想家が増えて来て居ますよ。皆長髪の今風の知識人ですよ。頼もしいでは無いですか。若いって良い事ですよね。可能性がありますからね。。。
今回の記事は、ネット閲覧で見つけた少女売春に付いての記事からです。女性の方も嫌たらしいと思わ無いで。心して今の女子高生が如何に危ない事をして居るのかを読んで見て下さい。今回の冒頭の記事はネットで拾った記事です。今の、女子高生が如何に危ない性的なビジネスをして居るのかと言う事を知って貰いたく、此処に抜粋引用して書きました。知ら無かった人も居るかと思います。今は女子高生と言う事がブランドになってしまって居ます。ちょっと前は女子大生がブランドでした。男とはバカな生き物です。若い女性は全て性的な対象と見做します。この記事を読んで居る方で若い人たちは知らないでしょうがポルノは今から60数年前からあるのですよ。それだけ人間は進歩して居ないと言う事ですね。男の性/相(さが)だと言えばそれまでですが。最近では女性までもが破廉恥な行為をして居ます。酷い女の子になるとそれを男に観せて喜んで居ます。実に嘆かわしい現状ですね。それから今回は日本のアメリカ統治時代の事。特に沖縄に付いて終点を当てました。皆さん。沖縄だって日本ですよ。昔は琉球と言いましたが。今は沖縄県ですから。差別は辞めましょうね。ちなみにあのGACKT 君は沖縄県人です。
今日の夜にまた、蕎麦処「笹陣」に行って蕎麦とミニ野菜天ぷら丼セットを食べました。あそこは美味しいですよ。。。

『女子高生ビジネス』
今回のテーマは「裏オプ」。この言葉は知らなかったのだが、著者によればそれは「裏オプション」の略語だ。リフレ店などのJKビジネス(女子高生が個室で簡易マッサージを行うサービス、「リフレ」はリフレクソロジーの略)にはメニュー表があり、添い寝やハグといったオプションが用意されて居るが、裏オプは文字どおり、メニュー表には無い「裏のプレイ」。多くの場合、本番などの性行為を意味するのだと言う。
その原点は、リフレ店のオプションサービスとして2012年ごろに登場した「JK散歩」と呼ばれる店外デートだ。私服でのデートに応じる店も多く、傍目には"仕事中"とは解らないため、警察や周囲の目を気にする事なくラブホテルに行く事が出来たと言う訳だ。ただし2014年にJKリフレから18歳未満が締め出されてからは、摘発逃れのために業態が細分化。ハグや添い寝など少女との接触行為が規制の網に掛かると、需要の高いアンダー(18歳未満の少女)を使って荒稼ぎを目論むオーナーが、散歩だけを独立させた店を次々と誕生させたのだ。
そうなれば、表向きは接触プレイがなかったとしても、裏側で本番などの性サービスが横行する様になるのは当然の成り行きだった。いつ摘発されてもおかしくない状況下、短期間で荒稼ぎしようと、客が払うプレイ代はまるまる店の取り分とし、女の子には「エンコーして稼げ」とするシステムを採用する店が増加したと言うのである。この場合、経営者に取っては「買春客を紹介してやって居る」という身勝手な理屈が通る事になる。勿論それも問題なのだが、さらに深刻なのは少女たちの感じ方かも知れない。彼女たちの中には、「うちらアンダーを雇ってくれる」と甘んじて受け入れた側面があったと言うのである。
「エンコー目的のコは基本、リフレじゃなくお散歩で働いていました。だって誰にもバレずに裏オプして稼げるから。私たちはもう、散歩店で働く=裏オプが当たり前の世代。裏オプばかりの店で、ひとりだけ拒んでいたら全くお客さんはつかないし、稼げないし。エンコーとお散歩って似てる。外で会って、コース料金以外の裏オプ代はすべて自分のものになるから。エンコー目的のウチらにとってお散歩は、客をマッチングしてくれる出会い系サイトみたいなものでした。歩合なので日によるけど、多い日で5〜6万円。週2〜3日しか出勤してなかったこともあったけど毎月、確実に20万以上にはなった。
最高は60万です。なかには100万以上稼いでいるコもいた。洋服代、カラオケ代、化粧品代、ネイル代......稼いだお金はぜんぶ使っちゃいました。稼ぎたい。でもキャバや風俗で働ける年齢じゃない。それで見つけたのがJKビジネスだった。ちょっとでも割のいいバイトとなると......リフレしかなく、特に何の抵抗もなく働き出して。裏オプを覚え、今度はお散歩で本番するようになって。やましいことしてるって感覚がなかったから、私も友達に紹介したりして。カラダを売ることには抵抗があったけど、まあ、ちょっと我慢すればお金が貰えたから」(散歩店で働いていた現役女子高生)(「プロローグ」より)
2016年3月、来日した国連の特別報告者がJKビジネスの禁止を勧告した。JKビジネスが女子中高生の間で「稀なことではない」とし、「一旦その仕事につけば、雇い主や顧客により、しばしば性的サービスを強要される」と指摘。JKビジネスや売春をした少女に面談した結果、「全員がJKビジネスが無くなる事を望んで居た」とも述べた。しかし、これまで多くのJKビジネス業者や女子高生を取材してきた著者は、これに異論を唱える。「稀なことではない」には同意するものの、それは18歳未満に加えて「18歳の高校生についても補導対象」になった2015年1月以前の話。JKビジネス全盛期には女子高生たちのアルバイト先の選択肢のひとつとして機能していたが、現在は客が減り、女の子も減ったと言うのだ。しかも、「性的サービスを強要」は明らかに間違いだとも断定する。
裏オプと言う名の性的サービスは、店のシステムにない行為だ。そこには客からの"交渉"はあっても、雇い主の"強要"はない。散歩嬢が「(性行為を)ちょっと我慢すればお金が貰える」と言うように、少女たちはカネのため、自らの意思でJKビジネスに手を染めて居る。
だから少女たちは"被害者"ではない。どころか、こうしたマスコミ報道で働き口がなくなるのを最も恐れて居た。(「プロローグ」より)著者が実際に話を聞いてきた少女たちの言葉を確認して見よう。家庭環境などにそれぞれ差があるとは言え、全員に共通して居るのは「無知」で「無自覚」であると言う事だ。
「両親は幼い頃に離婚しました。私が物心つく前に離婚して、お母さんとはそれから一切、会ってないです。以来、父子家庭で育ちました。アパート暮らしでしたが、貧乏ながらにフツーに幸せでした。お父さんは自営で内装関係の仕事をしてたので、ちゃんと定期収入もあったし。でも、そのお父さんも中2の時に病死しました。だから、それからはずっとひとり。兄弟もいないです。エンコーを始めた理由? お客さんにもよく聞かれるんですが、分かんないんですよ。何で始めちゃったんだろう......。でも、最初から、お金を稼ぐことがメチャクチャ楽しかったです。
元居た家がちょっと貧乏だったということもあると思うんですが、『お金ってサイコー!』みたいな。なんとなく暇つぶしで出会い系を始めたら、エンコーしてるコがいたのがきっかけでした。当時はツイッターも併用してたけど、ツイッターだとケータイ番号登録でアカウントが見つかっちゃう危険性がある。『知り合いかも?』と、検索ロボットでリア友に知らされちゃって、それで1回、自分のアカウントが同級生にバレたことがあったから。それに気づいてからは、必ず出会い系のアプリでやるようにしてる。値段はゴムありでイチゴー(1万5千円)で、半年間で1〇〇人くらいとやりました」(32~33ページより アコ17歳)
「別にお金に困ってたとか、家が借金まみれとかじゃない。遊び代だったり、洋服代だったり単純に遊ぶお金が欲しかったから始めたんです。家庭はフツーですよ。親とは......そんなに仲がいいわけじゃないけど、ちゃんと父も母もいるし、家にも帰ってるし。(中略)私の歳だと出会いカフェに入れないし、出会い系サイトも規制が厳しくなったって聞くし、客とやりとりするの面倒だし。もちろんヘルスやデリヘルの方が安心だとは思うけど、働けないから路上で立ちんぼするしかないじゃないですか。少なくても1日3万円は稼げるから、洋服買えるし髪も染めれるし、余ればネイルだってできる。親? 居酒屋でバイトしてることになってます。カラダという武器を使えば簡単でした。1日平均2~3人とセックスして、最高14万くらい稼げました。それでもう、すぐにお金に目がくらんじゃった感じです。だって、この歳で14万って、マジありえないことじゃないですか。(111~112ページより ユキ16歳)
16~17歳の女の子の口から「お客さん」とか「路上で立ちんぼするしかない」などと言う言葉が出てくる事のほうが「マジありえない」気もするが、これは現実の一端である様だ。別のページで著者は、12歳でグレて家出してから3年後、非合法の売春組織に流れ着いた少女について「立派な売春婦になって居た」と記して居る。言葉は直接的だが、それは至って正論でもある。逆から見れば、此処に出てくる少女たちには「裏オプ=売春」と言う感覚が欠如して居ると言う事である。
著者は取材した少女たち全員に、「裏オプなんかするのはやめなさいと助け船を出すNPOなんかの支援団体についてはどう思う?」と質問して来たのだそうだ。その結果、少女たちの主張は言葉のニュアンスこそ違えど、「ほっといてほしい」「いい迷惑」だと一貫していたのだと言う。理由は簡単。支援団体が動く事でJKビジネスが規制され、働き口を失ってきた過去が少女たちにはあるからだ。
彼女たちからすれば、自分たちに売春する場所を与えてくれる大人だけが正義であり、支援や問題解決を盾に近づいてくる大人は、摘発して場を荒らす警察と同じだと言う事。そのような視点は、自分の様な取材者にも向けられて居ると著者は感じたそうだ。
印象的なのは、著者が「裏オプ」の事を、麻疹(はしか)の様な感染症に似て居ると表現して居る事だ。
予防接種を家庭環境における親との関係に置き換えると解りやすい。親の愛情を予防接種とすれば、愛情はないよりもあったほうが感染は低くなる。人混みに近づかないなどの予防法も、夜な夜な繁華街で遊ばせないと言う親の監視に置き換えられる。だが、この予防法である家庭環境は、ふとした事で綻ぶ。
19歳のノゾミは寵愛を無関心と判断して親を見限り、裏オプに舵を切った。17歳のミワは寵愛をジャニタレに求めた。周囲に感染者が居ると、家庭環境に関わらず、貢ぐ相手を見つけて嘘をついてまで裏オプしてしまう。ひとたび感染すれば、熱が冷めるまで誰の意見を聞く事も無い。大人に抱かれるなか、カネの魔力に溺れ、何時しか目的がカネを得る事にすり変わるという合併症を引き起こしていく。そうして少女たちは麻疹のように裏オプを患って来たのである。
それは、時を経て大人になり、就職や性風俗業界への転身をするなど、いずれまた発症する可能性を秘めつつも治るものではある。だがこじらせた少女たちの行く末はどうなるのかと言えば、生涯この"病"と付き合っていく事になる訳だ。(252~253ページより)
そして著者は、いまや日本列島全体が"売春島"の様相を呈して居ると結論づけて居る。冒頭で触れた前著のタイトルが、こう言う所で応用出来てしまう現在の日本には恐ろしさ......。と言うよりも気味の悪さを感じずには居られない。
『裏オプ――JKビジネスを天国と呼ぶ"女子高生"12人の生告白』
高木瑞穂 著
大洋図書
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。新刊(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』 (日本実業出版社)など著作多数。
『私』の写真です。

写真は昨年の冬の写真です。





今日訪問看護師が来た。今日は、午前中に来ると言って居たが、何時もの9時半ではなく11時になると電話が掛かって来て、11時過ぎに来た。私は何時もの様に話をしたが、、今日は、大人しく聞いて居た。ただ足が腫れて居ると、此間からそればかり言って居る。腫れて居るのは解って居るのです。多分、体重増加の為に腫れて居るのだろう。防ぎ用が無いですよ、自分では....。医者も、体重が落ちれば高血圧は下がると言って居るが、、話が脱線したが、パン屋の帰りに書店に寄った。



何も買わないけどね・・・・。見るだけです。。。
Far Beyond The Sun - Kelly SIMONZ's 40th Birthday Concert
トッカータとフーガ&悲愴@島村楽器神戸三ノ宮店
Little Savage(Yngwie Malmsteen) - Kelly SIMONZ

今はネットの時代だ。皆んなインターネット・リテラシーを持たずに勝手に猥褻映像などを見て居る。しかし見て居ると目に余るものがありすぎる。誰でもそう言った映像を検索エンジンに掛けて手軽に見れてしまうのだ。ネット上には無修正のSEX動画なども今や平気で無料で見られる様になって居る。男なら少なくともどんな堅物でも、いや堅物だからこそ、そう言った動画を見て居るはずだ。しかし此れは女の子たちも同じなのですよ。最近の若い女の子たちには昔の女性見たいな羞恥心が余り無い子が多い 。そして男以上にSEXに興味を持ってしまう。正直言って、私は女性と関係を持った事は殆んど無い。出会いの切っ掛けはあったが。私は精神病だから恋人も訳があって、別れた彼女以外作らなかった。私では相手に対して失礼で迷惑だろう。そしてそんな私を大抵の男どもは嘲笑った。しかし私は女性は男のおもちゃでは無いと思う。あのエロだった昭和の時代に、こんなセリフのCMがあった。「僕のパパは女性はママしか知りません。そんなパパが大好きです」何故かいまだに覚えて居る。最近ではアメリカのポルノ・サイトの大手サイトが日本人をターゲットにした無料ポルノ・サイトなるものを立ち上げた。しかしあの肉欲的な外人女のセックスシーンは日本人の男性は嫌う。だから、彼らは18歳から19歳ぐらいの日本人の未成年の女の子を1作品について1千万の高額のギャラなどで雇うのだ。
アメリカは成る程自由な国だろう。しかし日本の男どもはその刺激的なSEX動画によって腑抜けにさせられて居る。下着の盗撮もなぜ最近はこんなに大掛かりにネットで流れて居るのかと言うと。皆、アメリカが教えた事なのだ。スカートの真下から靴に仕込んだ自動カメラで下着を撮影する。こんな破廉恥な写真がネットでググれば大量に出て来る。私は以前警察署で警官に聞いた事がある。「アダルト業者のモノは仕方が無いにしても、一般人のモノは処罰出来ないのですか?」と。そうしたら聞かれた警官はこう言った。「どの写真がやらせの写真で、どれが素人が撮った写真か、見分けがつかないんですよ。線引きが難しい。だから迷惑防止条例で対応するしか無い現状ですね」。
アメリカは大東亜戦争を太平洋戦争と言い。第二次世界大戦だと日本人に教えた。そして日本には原子爆弾を2発も落とした。日本は降伏する用意があったのにだ。もともと真珠湾攻撃だって、アメリカが日本を世界から経済封鎖に追い込んだから止むなく行った行為です。なぜなら日本は差別撤廃。特に白人による黄色人種と黒人差別撤廃を唱えた国だからです。確かにそれによって軍国主義へと変わって行って仕舞いましたが。そして戦争が終わって終戦。日本はGHQに占領されて、マッカーサー元帥がやって来た。当時の日本は住むに居なく。食べるに食なく。着るに衣なくだった。
当時の現状を憂いた昭和天皇はわざわざマッカーサ元帥がふんぞり帰って居るビルまで出向きに行って国民の現状を訴えた。そして「私が国民の代わりに犠牲になる。私の名に於いて戦争が行われた以上。日本にはただ一人の戦犯も降りません。戦争責任は全て私にあります。どんな厳罰な刑でも応じる用意があります。ただ元帥には国民の食べるもの。着るもの。家を提供して貰いたい、」と涙ながらに訴えた。この天皇の嘆願にはマッカーサですら驚き。彼は「自分を殺してくれ、そして国民を救ってくれと言った国王が此れ迄どこに居たのだ」と。反対に天皇の戦犯除名に動く事になった。そして昭和天皇が天皇家に伝わる巻物やら銅像のモノには世界的な価値があるモノもあると思うと言って。マッカーサー元帥に渡して、「此れで何とか国民の食料を調達して下さい」と言うと、マッカーサーは「とんでもありません陛下。食料は私の一存で必ずや日本に輸送させます。」と言って大量の食料をアメリカ本国に嘘を付いてまでして、取り寄せてくれたそうです。所でこの当時の沖縄はアメリカに占領されて居た。本土復帰は1972年(昭和47年)5月15日だ。
サンフランシスコ講和条約第3条により、アメリカが琉球諸島を信託統治下に置くことを国際連合に提案し、その提案が国際連合で可決されるまでの期間、アメリカが琉球諸島の行政、立法、司法のすべての権限を行使することが規定された。そこでアメリカは「行政主席」を行政の長とする琉球政府を置き、公選の議員で構成される立法機関「立法院」を設けるなどの一定の自治は認めた。しかし、最終的な意思決定権はアメリカ軍の統治機構である琉球列島米国民政府が握ったままだった。
〜佐藤栄作とリチャード・ニクソン〜
朝鮮戦争、台湾海峡危機と、連続して極東における軍事的緊張が高まると、合衆国の関心は次第に琉球自治拡大による施政権の固定化から前線基地としての沖縄の重要性に移って行った。そのため沖縄経済は未曾有の好景気に湧いた。その間にも各地に基地・施設を増設し、さらにアメリカ軍兵士による事故・事件が頻発し、住民の死亡者や犠牲者が相次いだため、住民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動を起こし、1960年(昭和35年)には沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なを、この頃のアメリカの大統領のドワイト・アイゼンハワーやジョン・F・ケネディには、沖縄を返還する気は全く無かった様である。
1969年後半のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地とされると、残留アメリカ軍は飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。一方、アメリカ軍による需要がある土木建築業や飲食業、娯楽業などに携わる勢力は、復帰反対やアメリカ軍駐留賛成の運動を展開し、彼等の支援する議員が復帰賛成派の議員と衝突した。1968年(昭和43年)11月には琉球政府の行政主席選挙が行われ、90パーセント近い投票率を記録した。この選挙によって復帰協の屋良朝苗が当選、「即時無条件全面返還」を訴えた。折しも東京では学生運動。全学連やらブント(主に全学連を牽引していた学生らが日本共産党から離れて結成し(一次ブント)、60年安保闘争の高揚を支えたが1960年解体。1966年に再建されたが(二次ブント)1970年に再び解体し、戦旗派、全国委員会は、ML派、赤軍派など多数の党派に分裂した。
学生組織は社会主義学生同盟(社学同)。「マルクス・レーニン主義の復権」や「プロレタリア国際主義」、「世界革命」などを掲げた。)などが日米安保阻止を巡る階級闘争を起こし、東京は彼らによって占拠されて居た。当時彼らのヘゲモニー概念を支えて居たのは、月刊漫画誌「ガロ」に連載されて居た、白土三平著作の劇画「カムイ伝」と市井の哲学者・吉本隆明著作の思想書「共同幻想論」だった。この当時、映画監督の若松孝二氏はパレスチナ解放戦線のゲリラ兵と接触し、ドキュメント映画を1本撮って居る。日本での公開は時期が時期だった為に弾圧を受けて細々とゲリラ上映されたらしい。この辺りの話は俳優の井浦新が若松孝二監督に扮した、若松監督の自伝映画の「止められるか俺たちを」の劇中で回想されて居る。
{ブントは1960年代後半の学生運動・全共闘と重なる部分が多い。またブントは複数の解体や分裂を経験したため、その組織実態や人員は時期により異なる} 事務局は、東京都文京区元町、後に千代田区神田神保町に置かれた。
なお上記のとおり、ベトナム戦争への軍事支援を拡大させたケネディ大統領や、ケネディを継いでベトナム戦争を拡大させたリンドン・B・ジョンソン大統領は、沖縄返還を殆ど考慮しなかったが、1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、ベトナム戦争の終結を公約にして大統領に当選したリチャード・ニクソンが、安保延長と引き換えに沖縄返還を約束し、これに基づき1971年(昭和46年)6月17日に沖縄返還協定が締結されたが、屋良や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、アメリカ軍基地を縮小せず維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の復帰が決定した。なお、アメリカ軍がベトナムから全面撤退したのは、沖縄返還の翌年の1973年(昭和48年)3月29日であった。
1970年、大阪で万博が華々しく開かれた年(昭和45年)12月20日未明、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、アメリカ軍兵士が連続して起こした二件の交通事故を契機にコザ騒動が発生した。常日頃からアメリカ軍兵士の犯罪行為が微罪として扱われる事に対する怒りが爆発したもので、これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置く事は適当で無いと内外に知らしめた。この前の1966年ぐらいからのアメリカ兵は平気で民家に押し入り、女性と見れば「へ〜い。恵子さん....。美子さん....。」と言って襲いかかり集団レイプを繰り返したそうだ。当時の沖縄県民の怒りは凄まじく。アメリカ人が運転する車を襲い火をつけて米国人を焼き殺そうとしたそうだ。寄ってゴザには売春宿が出来たそうです。当時のアメリカの軍指揮官は、「若い兵士たちは皆、明日死ぬかも知れない恐怖と戦っており。何とか止めたいが。それには沖縄の人たちの助けも居る」と沖縄県人に説いたそうですね。
- 敗戦後の日本の歴史を掻い摘んで書いて来ましたが。日本人は、今は、堕落しきって居る。勝手、国際会議の席で韓国代表が日本を名指し、「日本は悪い国だ、日本は全世界に謝罪せよ!」と言った事があったそうだ。その時に何も言わなかった日本代表に変わってインドの代表がこう言ったそうだ。「日本人が掲げて短命に終わった大東和共栄圏が勝手あった。日本が全アジアの為に戦ってくれたのだ。大体がアジアの国のどの国が当時の欧米列強と戦ったと言うのだ。私たちの今回のアジア・フォーラムでは、日本だけに戦争を押し付けて戦わした我々の恥を忍んで居るのです。中国にしてもアヘンでイギリスの植民地になって居たし。韓国などは戦争を放棄して居たでは無いか。日本が戦わなければ我々アジア諸国はどの国も独立出来なかった。インドも日本のお陰で独立が30年は早まったのです。この事は、あなた方韓国と中国を除くどの国も欧米の白人の人たちも知って居る事ですよ。」
私はアメリカ人は嫌いでは無いですよ。アメリカ人はおおらかな人が多いし。でも差別がある国なんですよ。日本人は過去に黒人差別が激しかった頃に経済でアメリカにやって来てアメリカ文化を凌駕し、名誉白人と言われた事もあります。今は経済戦争では無くて、日本の漫画やら小説。日本映画。または日本のアニメの影響でアメリカ人は日本人が好きですね。この文化はフランスやらイギリス、ドイツなどでも日本文化を素晴らしいと言って居る人たちが大勢い居ますよ。日本のお祭り「ジャパン・ディー」「ジャパン・エキスポ」なるものが欧米でもアジアでも開催されて居るのですよ。確かに日本は戦争では敗れた。しかし文化で世界を凌駕したのでは無いでしょうか。皆んなそんな日本が大好きな人たちで一杯です。しかし肝心の日本人はどうでしょうか。その上に胡座を描いては居ませんか。日本人は欧米人によく媚びを売るような真似をします。アジアの人たちの事は遅れて居ると思って居る。しかしシンガポールはどうでしょうか?タイは?台湾は?そして経済発展を遂げた中国は?
女子高生が性的なビジネスに走るのは需要があるからです。例えば彼女らが自分を買ってくれと来ても。怒りつけて買わない態度を持てる中年の男性はどれほど今の日本に居ますか。昨年のあるドキュメント番組でしたが。私はその番組で初めて知ったのですが。ライブハウスなどでしか歌わない。言ってみれば地下アイドルたちが居るのですよ。彼女らは皆、20歳前後の可愛い女の子たちで、歌わない時には。店で肩揉み嬢として働き。来たお客に膝枕をしてあげたり肩を揉んだりして過ごし。自分の歌が入って居るCDを売るのですが。この番組で彼女らを黄色い声で声援して居るのはイイオヤジたちなんです。ある人は55歳にもなってある贔屓の女の子が居て、何時かは添い遂げたいなどど。本気で言って居るのです。
相手は自分の娘の歳ですよ?そしてその歌手の女の子もあれだけ毎日来てくれるのだからと疎かには扱わないのです。驚いた事に。彼女ら地下アイドルを支えて黄色い声援を送って居るのは。独り者の50歳から68歳ぐらいの壮年なんですよね。それは歳が行った女性よりも若い方がいいでしょう、、でもね。常識で考えて見れば如何に非常識か解りそうなものでしょう?ネットで「スカートの中を盗撮した男の年齢」と入れてご覧なさい。捕まった男性の年齢と職業が全部出ていますよ。皆50代です。そして役所の職員。学校の先生などですね。しかし教師は最低だね何時の世も!!恥ずかしく無いですか?その年に成ればお子さんも居られる事でしょう。奥さんだって居るでしょうに。もし独り者なれば、アダルトDVDやらアダルトサイトを見れば欲求は収まるはずです。
私はしかし、この壮年の男性諸氏の心が分からなくは無いです。可愛い女性と過ごしたい気持ちは男性ならば誰でもあります。しかし自分の歳を考えて見て下さい。あなたはもう老人なのですよ。無論私も老人です。若くは無いのです。私は此処の所。50歳ぐらいのアニメ好きな主婦の掲示板に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の事とか素敵な曲を貼り付けて情報を教えました。その女性は喜んでくれて、私が教えた原作の小説本を購入したそうです。今日来ましたが。私の所に来る、訪問看護師にも映像を見せて動画やら歌を教えました。ある48歳ぐらいの看護師さんは泣き出しましたよ。感動したと言って。私は彼女らが嬉がって居るのを見て居るのが好きなのですよ。前は色々有ったけど。今は一部の人とはですが。要約いい関係が結べて居ますよ。最後にキリストは女性を邪な眼で見てはいけないと聖書の中で言って居ます。そしてブッタも女性を性的に見る事は姦淫に当たるとして居ます。そうは言っても男は皆スケべです。最近ではそんな男のスケベ心を惑わす様な格好をした女子高生やら若い女性が居ますが。それは彼女らが幼稚なせいですね。
美輪さんが勝手言って居ましたが.....。色気とは肌を露出する事では無いのですよ。“色気”を誤解して居る人が多い様です。 色気とはセクシーな肉体や動作がエロいとは無関係。色気とはズバリ、思いやりに溢れた上品な優しさです。 色気は持って生まれたものもありますが、訓練でもやがて滲み出ると言う事もあるのです。 矢張り、多くの男性は、女性のさり気ない優しさ、何事にも誰にでも思いやる何気ない暖かい仕草に、色気を感じます。 なので、色気のある女になりたいと思うなら、日頃から自分を美しく立派な人格にしようと言う意識、些細な行動にもいたわりと優しさと思いやりを込める心がけの生活習慣を忘れない事です。私は最近ではアニメ映画ですが「ヴァイオレット・エヴァーガーデンの」ヴァイオレットに崇高な色気を感じました。エロいと言う事では勿論無いですよ。彼女の少佐を思い続ける心に崇高な色気を感じたのですよ。
彼女はひたすら少佐を案じて少佐の言葉を糧にして生きて行きました。その生き様は時に激しく時に穏やかに見る者の心を締め付けてその崇高な愛には世界中の人たちが男女問わず泣しました。あるアニメオタクが言って居たけどアニメの彼女を見て「嫁だ!!」と叫んで居ましたっけね。そして美人で可愛い青木志貴ちゃんです。彼女にはエロくは無い崇高な色気があります。だから彼女のファンたちは皆んなで彼女を慕い。守って居ます。彼女よりも可愛い女の子なら幾らでも居ますよ。でも人間的な部分で彼女見たく苦労はして居無い。だから、彼女は大人のエロくは無い上品な色気を持って居るのですよね。さてと話は此処までです。今回も此処まで読んでくれて有難う御座いました。また更新出来たら逢ましょう。ああ、まだまだ、記事は続きますが......。
【現地ルポ】フランス・パリ・ジャパン・エキスポ!日本大人気!
SUB)【ドイツ日本デー】Japan-Tagに潜入❣️花火、和太鼓、コスプレ、ヨーロッパ最大の日本のお祭り/Japan Day Düsseldorf 2019
イギリスで日本のお祭りに行ったら凄かったww【HYPER JAPAN】
200202 AKB48 @ ジャパン・エキスポ・タイランド 2020 (Japan Expo Thailand 2020), STAGE A [Full Fancam 4k 60p]
ポーランド見本祭り。
現代のカリスマ美容師・高木琢也
現代のカリスマ美容師、高木琢也「オーシャントーキョー(OCEAN TOKYO)」代表は、2度のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(以下、「プロフェッショナル」)に出演や、昨年の5月22日発刊の自身初の著書「道あけてもらっていーすか?」(宝島社)は出版前に重版が決まるなど、その勢いは増すばかりだ。美容業界を超えて注目される高木代表の次なる野望とは?
WWD:NHK「プロフェッショナル」に2度出演した反応は?
高木琢也(以下、高木):大きな反響を感じていますね。これまでは声を掛けてくるのは10代の人ばかりだったけど、今は主婦やサラリーマンの方まで声を掛けてくれるようになりました。あと、買い物に行った時の対応がよくなりましたね(笑)。
WWD:高木さんの自信はどこから来るのか?
高木:これまでにたくさんの失敗をしてきたからこそ、やっと今の成功があると思っていて、同じ失敗をしなければいいだけっていう自信はありますね。でも、そうは言いつつも実際のところ自信はないですよ(笑)。だけど今は社員を130人抱える身になって、社員も自信のない社長になんて雇われたくない。背負ってるものが大きくなった今、自信がないなんて、言ってられなくなりましたね。これまでも必ず結果は出してきたし、「自信ないな」ってマイナスに感じる時間が無駄だなって思っています。どんなに難しいことでもノーとは言わず、まずは簡単にかみ砕いて、できることから始めています。
WWD:高木さんでも失敗はあった?
高木:アシスタント時代はめっちゃありましたよ。美容師としてこれやったらアウトだろっていうミスをほぼほぼ経験しました(笑)。でも多くの失敗から学んだことは、今となっては自分にとって大きな財産になっていますね。
WWD:「プロフェッショナル」を見て両親への恩返しの気持ちが根底にあると感じた。
高木:親もそうだし、これまで関わった人全員に恩返していきたいという思いはあります。雑誌とかでも自分が表紙になった号が売れないとかイヤだし、必ず結果を残すと、責任を持ってやっています。何よりもお店に来てくれて、「オーシャントーキョー」をここまで伸ばしてくれたのはお客さまなので、お客さまにはすごく感謝しています。
WWD:プレーヤーとしてはトップに立ったが、次は何を目指すのか?
高木:美容業界という枠を超えていきたいと思っています。今は美容業界の中での社長にすぎなくて、それはすごく限られた狭い世界でのこと。今後は自分たちの事業が、美容業界に止まらず“人の人生を変えるような”ライフスタイルカンパニーに展開していけたらいいなと考えています。美容師同士が仲良くヘアデザインについていろいろと語っているのを聞いていると、「まだ髪の毛のデザインについて議論している。だったら僕たちは人生のデザインについて考えていきたい」って、常に先を描いていこうと思っています。
WWD:今後やってみたいことは?
高木:スポーツ選手のヘアをまるまるプロデュースしたいですね。サッカー選手とか晴れ舞台の中で、髪色を変えていたらさらに注目を集めていたかもしれない、と思ったりすることがあります。スポーツ選手のヘアをプロデュースさせてくれたら、その選手が現役を引退した後も印象に残るはず。絶対にかっこよくできるので、ぜひ任せてほしいですね。
WWD:最後に赤い髪で第一印象が軽く思われることについては?
高木:狙い通りです。上げて落とすよりは下がったのを上げる方がいいですから(笑)。見た目がきちんとしていても、やっていることが詐欺師だったら最低だと思いますね。そんなフェイク野郎もいるじゃないですか(笑)。あと、親近感と憧れを持ってもらいながらも、突っ込みどころがある外見っていうのが大事。でも、自分が前に出る必要なくなったなってときには黒髪に戻そうと思っています。
〜〜今、日本で一番人気がある美容師「高木琢也」〜〜
「月間200万円売り上げれば、人気美容師の仲間入り」と言われる中で、たった一人で月1200万円を売り上げる男。月500ある予約枠は3分で埋まり、今「日本一予約が取れない美容師」と話題なのが、人気美容室『OCEAN TOKYO』代表の高木琢也さんだ。現在37歳になった高木さんの若手時代を聞いてみると、「俺はカット技術がズバ抜けていたわけじゃなかった。それでも20代の頃は『日本一の美容師になるにはどうすればいいのか』をずっと考え続けていました」と笑って振り返る。自らを「天才じゃない」と語る高木さんは、いかにして誰もが認める‟カリスマ”の地位を手に入れたのか。20代の頃の試行錯誤を聞いた。
1985年生まれ。早稲田美容専門学校卒業後、都内のサロンにて勤務。2013年9月に『OCEAN TOKYO』を立ち上げ。「月間技術売上1200万円」の偉業を成し遂げ、『ホットペッパービューティーアワード』の全国メンズヘアスタイル部門で、2万超の作品の中から3年連続日本一に。18年10月にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に美容師として初出演した。19年6月には初の著書『這いつくばった奴が生き残る時代 道 あけてもらっていーすか?』を上梓、‟発売前重版”という驚異的なスピードで売上を伸ばしている
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「日本一の美容師になりたい」
先輩に嫌われてもカットの質・量を爆上げする工夫を続けた
俺は20歳で美容室に就職して、シャンプーしかできない時から「日本一の美容師になる」って宣言するような生意気な新人でした。だってどうせやるなら、日本一を目指さないとカッコ悪いじゃないですか。日本一の美容師になるなら、売上も指名数もダントツのトップにならなければいけないと思ったので、「より満足してもらえるように質を上げて、よりスピーディーに髪をカットしてお客さまの数を増やす」戦術でいこうと考えていました。
でも、その考えは先輩や上司たちからはなかなか認めてもらえなかったんです。「ゆっくり切って、お客さまに“丁寧感を演出”しろ」とか、「どんなに素早くカットしても、1カ月で300人以上を対応するなんて不可能だ」って散々注意されて。「いや、あなたたちはそうかもしれないけど、俺は違うから」。ずっとそう思っていましたね。たった10分でも顧客満足度の高いカットはできるはずだし、無駄を削って浮いた時間を使って月500人は切れる。俺にたくさんのお客さまがつけば、他の美容師にも還元できるし店の売上も上がるから、良いことだらけだと思ってたんですけどね。全然認めてもらえなかったんですよ。
それが正しいって、証明するためには結果が必要でした。皆が「高木には勝てない」って状況をつくるしかなかったんです。だから、死に物狂いで「速くてうまい」技術を身に付けました。俺はもともと器用な方ではなかったので「人の100倍やらなきゃいけない」と思って、閉店後は夜明けまで練習に打ち込んだし、流行の髪型を知るためにファッション誌を読み漁った。先輩に頭を下げて、自分の髪を切ってもらって、技術を盗んだりもしました。遊んでる暇なんて全くなくて、とにかく自分の考えを証明したい気持ちでいっぱいでしたね。
その結果、23歳でスタイリストデビューして、25歳の時には売上も指名数も店のトップになりました。でも、結局何も変わらなかったんですよ。むしろ状況はもっと悪くなった。上の人たちは、今までと違うやり方で俺がトップを取ったから、自分のやり方を否定された気分になったんだと思います。やたら否定されたり、妬まれて、妨害もされて……散々戦ってはいたんですけど、全てダメでした。「それなら、俺のやり方が正しいって証明してやるよ」と独立を決意。27歳の時に『OCEAN TOKYO』を立ち上げて、今は渋谷・原宿・大阪に6店舗展開しています。
目の前のお客さんのNo.1になれば、日本一になれる
25歳で店のトップになってからは、右肩上がりに売上を伸ばしています。数字が落ちたことは一度もありません。でもそれって、俺が特別「カット技術が優れてる」とかそういうことじゃないんですよ。正直スキルだけでいったら、俺はそこまで上手くないんじゃないかとすら思う。カラーもパーマも、俺より上手い人はたくさんいました。それでもなぜ今ここまでこれたのかっていうと、月並みな表現になってしまうけど「目の前のお客さまを大切にしたから」の一言に尽きると思うんですよね。
もちろん、俺も始めからちゃんとできていたわけではありません。美容室に就職した時は、出勤初日から「とりあえずカラーぐらいまで覚えたら、辞めようと思ってます」って言い切ってたんですよ(笑)。かなり生意気ですけど、「日本一の美容師になるためには、日本一の美容室に入らなきゃいけない」と思ってたので、早く人気美容室に移りたかったんです。
だけど、そんな下っ端の俺にも「高木にシャンプーしてもらいたい」とか「高木のブローが好き」ってお客さまがつきました。いつか辞めようと思っているのに、1週間後には俺のシャンプーを指名してくれる人がいる。その人に黙っていなくなるなんて、裏切りだし筋が通らないなって思っていたら、辞められなくなりました(笑)
そのうち「俺に会いに来てくれるお客さまは、どうしたらもっと満足してくれるんだろう?」と考えるようになりました。それでよくよく周りを観察してみると、美容師のどうでもいい世間話とか、無難な提案、余計な気遣いが多いんじゃないかってことに気付いて。
小手先のテクニックはいらない。
とにかく周りの人を大事にしろ
さらに、できれば自分が好きな友だちだけじゃなくて、「こいつ気が合わないなぁ」とか「俺には分かんないなぁ」みたいな人にこそ、あえて近づいてみてみた方がいいと話しています。
例えば普段は接点がほとんどないアイドル好きな人と話してみると「そんなに1人の人に入り込めるくらい、熱い奴なんだな」って気付けるし、そういう人の考えってベクトルは違ってもすごく参考になるはず。いつも同じ居酒屋で同じ仲間と話してるだけじゃ気付けなかったことが分かって、絶対に自分を成長させてくれると思うんですよね。
俺の場合は、その存在がお客さまでした。たくさんの方に出会って、いろんな話を聞けたから、どんな人にも対応することができたし、自分の視野も広がったと思っているんです。とはいえ、20代のうちにもっと遊んどけば良かったなと思うこともあります。俺は未だにUSJも行ったことないし、クラブも合コンもほとんど行ったことがない。LINEスタンプの買い方も、Uber Eatsの使い方も分かんないんですよ(笑)
20代の頃にいろんなところに遊びに行けていたら、もっとたくさんの出会いや発見があったのかなって思います。多くのお客さまと話をして学ぶことはたくさんあったから、結果的には良かったんですけどね。もしそうやって人と出会わないような仕事をしている人なら、20代のうちにできるだけ多くの人と関わった方がいいと思います。成長、成功、というとどうしても自分のテクニックを磨きたくなりますけど、一番大事なのは目の前の人を大事にするっていう、超基本的なこと。俺は20代で早いうちにそのことに気付けてよかったって、今改めて思っているんです。
Information:高木琢也さんの初書籍!

『這いつくばった奴が生き残る時代 道あけてもらっていーすか?』(宝島社)
赤髪、35歳、美容師、社長、日本一。
美容界の異端児 待望の初書籍!
【高木琢也】プロフェッショナルに出演の先に…
カリスマ美容師の高木琢也さん、10代の時に見つけた「人生の猶予」
今顔も此処まで読んでくれて有難う御座いました。また、更新出来たらお逢いしましょう。それではまた.....。






















