「続・荒野の用心棒」のリメイクドラマが本格始動!! | blues harmonicaのブログ

blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 


 
 
 
 

『続・荒野の用心棒』リメイク版ドラマが本格始動 ─ ジャンゴ役は『オールド・ガード』マティアス・スーナールツ

続・荒野の用心棒
© 1966 – B.R.C. Produzione Film (Roma-Italia) Surf Film All Rights Reserved.

 

マカロニ・ウェスタン映画の傑作、セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』(1966)がテレビドラマでリメイクされることがわかった。

The Hollywood Reporterなどによると、タイトルは映画の原題そのままに「ジャンゴ(原題:Django)」。シリーズは全10話構成で、主人公のジャンゴ役は『オールド・ガード』(2020)や『名もなき生涯』(2019)などのマティアス・スーナールツが演じる。

 

 

マティアス・スーナールツ

 

1860~70年代、アメリカ西部。恋人同士のサラとジョンは、流れ者が集まる町・ニューバビロンにたどり着いた。そこはあらゆる人種の人々、あらゆる信条や過去を持つ男女が、お互いを温かく迎え入れる土地。そんな中、8年前に家族を殺されたのち、娘の生存を信じて消息を追う男・ジャンゴがニューバビロンを訪れる。そこでジャンゴは発見した“娘”こそがサラだった。ジョンとの結婚を控えるサラは、ジャンゴが町にとどまる限りニューバビロンが危機にさらされると恐れた。しかし一方のジャンゴは、すでに町は危険な状況にあり、娘を再び失うまいと自分の意志を貫こうとする……。

 

あらすじを一読すれば明らかなように、本作は『続・荒野の用心棒』を原案とするオリジナルストーリーで、リメイク企画ながら“再創造”がコンセプト。イタリアの製作会社Cattleya、「ジ・エディ」(2019-)のAtlantique Productionsが制作を務め、シリーズのアーティスティック・ディレクター&第1話監督をイタリアの人気ドラマ「Gomorrah(原題)」(2014-)のフランチェスカ・コメンチーニが担当。脚本は同作のレオナルド・ファソリ、マッダレーナ・ラヴァッリらが執筆する。

ドラマ「ジャンゴ(原題:Django)」はフランスなどでCanal+局にて、イタリア・イギリスなどでSky局にて放送予定。世界配給権はスタジオカナルが保持している。なお、撮影は2021年5月から開始されて居る。

 

映画監督クエンティン・タランティーノが絶大なる愛情と敬意を注ぐ、マカロニ・ウェスタンの最高傑作とも名高い一作『続・荒野の用心棒』(1966)が、初公開から半世紀を経てデジタル・リマスター版として復活。『続・荒野の用心棒〈デジタル・リマスター版〉』として、昨年の1月31日(金)にシネマート新宿ほか全国の映画館にて公開された。昨年公開時に、劇場で公開当時のイタリア版ポスターを購入して来て今アパートのベランダのガラス戸に貼り付けてある。

 

「続・荒野の用心棒」予告編 

セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』特報 

Django – Il Maggiore Jackson 

Django – La sorpresa dentro la bara 

「Django 」ラストシーン

 

 

メキシコとの国境沿いにある寂れた村に、棺桶を引きずる一人の男がやってきた。謎に満ちた男の名はジャンゴ。亡霊のように沼地を彷徨う男の棺が開くとき、死闘の火蓋が切って落とされる。セルジオ・レオーネとともにマカロニ・ウェスタンを牽引した映画監督、セルジオ・コルブッチによる言わずと知れた不朽の名作が、2018年にチネテカ・ディ・ボローニャにてオリジナルネガから4Kスキャン・レストアされたバージョンで昨年に上映された。

 

大の映画マニアとして知られるタランティーノは、マカロニ・ウェスタンをこよなく愛する人物であり、本作の原題『DJANGO』を『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)にそのまま引用。このたび公開された『続・荒野の用心棒』特報映像でも流れているテーマ曲の英語版を冒頭から流すなど、本作に対するオマージュを貫いた。また、本作を手がけたセルジオ・コルブッチ監督の名前は『ワンス・アポン・ア・ハリウッド』(2019)にも登場。タランティーノ作品をきっかけに、その元ネタとなった作品に触れるには、昨年の劇場公開はまさにうってつけの機会だったろう。

 

死の影を背負った流れ者のガンマン・ジャンゴ役を演じたのは、本作を機に、百本以上の映画に出演することになったフランコ・ネロ。陰鬱さと神秘的な雰囲気をまとうジャンゴの姿は強烈な印象を残し、マカロニ・ウェスタンの伝説的ヒーローとして一躍有名となった(ちなみに『ジャンゴ 繋がれざる者』にも出演している)。なお本作の大ヒットにより、ジャンゴのキャラクターはその後も多くの作品に流用されている。

 

画像1: 『続・荒野の用心棒』日本オリジナルのポスタービジュアルが完成

画像2: 『続・荒野の用心棒』日本オリジナルのポスタービジュアルが完成

画像3: 『続・荒野の用心棒』日本オリジナルのポスタービジュアルが完成

 

タランティーノがこよなく愛した傑作マカロニ・ウェスタン

本作は、セルジオ・レオーネと共にマカロニ・ウェスタンを牽引したセルジオ・コルブッチが1966年に製作した、いわずと知れた不朽の名作。荒唐無稽なまでに強烈で残酷な描写と、娯楽優先主義で大ヒットした伝説の作品だ。

 

今回上映となったのは2018 年にチネテカ・ディ・ボローニャにてオリジナルネガから 4K スキャン・レストアされた必見のバージョンとなる。

 

死の影を背負った流れ者のガンマン“ジャンゴ”を演じたのは、本作を機に百本以上の映画に出演することになったフランコ・ネロ。 反骨心と虚無感、粘り強さと体制に立ち向かうジャンゴの姿に世界中の若者が憧れ、今も語り継がれる究極のヒーローとなった。

 

本作のヒットによりその後も 50 本以上の作品に流用されたジャンゴのキャラクターだが、なかでもこよなく愛したのはクエンティン・タランティーノ。『レザボア・ドッグス』の耳切断シーンでも既にわかる通り、筋金入りのリスペクト。『ジャンゴ 繋がれざる者』では、その愛が高じて本作のオープニング・クレジットをそのまま再現してみせ、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではコルブッチの名前を引用してみせた。

 

このたび公開された日本オリジナルのポスタービジュアルは必殺のガトリング砲を構えたジャンゴの姿を捉えたもの。『ジャンゴ お前が愛した女はもういない』と言うキャッチコピーもインパクトを残す印象的なビジュアルになって居る。

 

続・荒野の用心棒
2020年1月31日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開済み。
配給:コピアポア・フィルム
© 1966 世界公開作品

 

以下、昨年の冬の話から抜粋です。。。

 

今日は新宿に行って来た。久々です。用事があったのかと言えば、あったのですよ。映画を観に行ったのです。それも1966年製作のマカロニ・ウエスタンの「続・荒野の用心棒」4kリマスター・バージョンのリバイバル・ロードショー映画なのです。15時50分からの廽です。本当は18時30分からの、上映後に今回の上映の字幕翻訳を担当した。「マカロニ・ウエスタン研究家」の二階堂卓也さんなどが行うトークショーのある廽を観に行こうかと思ったのですが、、時間が遅いのと、最近調子が余り優れないので、余裕を見て、15時50分からの廽にしたのです。いや、、矢張り身体が、、調子が悪いと言うか、足が歩いて居て、痛く成って来るのですよ。それと寒いせいか、トイレが近い。だから伊勢丹のトイレで用を足して、伊勢丹の脇にあると言う。「シネマート新宿」を探すも、前に見た時には判ったのに、今回探しても良く判ら無い。試しにスマホで案内して貰うも、もう映画館に来て居ると言う。「おかしいな...。」と思いながら先に行くと。雑居ビルの6階と7階と成って居る。判りづらいなと思い、エレベーターに乗って6階まで行くと、映画館の中がジャンゴ(続・荒野の用心棒)祭りだ。人はまだ公開初日なのでか、それとも矢張り、過去のマカロニ映画と言う事だろうか、余り多くは居ない。

 

私は映画館で映画を観るのは10数年振りなので、鑑賞券はネットで購入した。購入と言っても鑑賞券が送られて来る訳では無くて、デジタル・データの数字とネットで購入時に考えた暗証番号がメールで送られて来るのだけども、何だか最近は本当にデータ化されて居ますね、何もかも・・・。しかし、カウンターにパンフレットやら置いて居ないし。あれ程、宣伝して居たポスターは売り場の壁に貼ってあるだけで、良く判らないので店員に聞いて見ると、両方とも売って居ると言う。だから「パンフレッド1冊とポスター1枚下さい」と言って購入した。するとその店員が「「ジャンゴ・ウイスキー」ありますよ。」と勧めてくれたが、私はアルコールに弱いから遠慮した。フロワーは余り広くは無く。暖房が入って居て少し暑いのだ。何しろ私は今日は寒いので、ブレザーにロング・コートを羽織って居る。これでは映画の上映中に暑いかなと思って居たが、、映画が始まると何だか寒くて、コートを着たままでも寒かったのでちょうど良かった。暑いのはフロワーだけだった。しかし鑑賞券を貰う為に、タブレットが置いてあるので。それで、メールで送られて来たデジタル・データと暗号番号を入れると、端末から鑑賞券が出て来るのだが、私は指でやるのだろうと思ってタブレットを見ながらキーボードの番号を押すも数字が入力されず、、焦って居たら店員の若い女の子が来て、付属のペンで数字を押したら入力されるので、私が数字番号を言って、やって貰った。端末から出て来た鑑賞券を渡されて、暫く館内の「ジャンゴ」に関する写真などを見て居て、時間に成るから、1階上のシネマ2に行くと鑑賞券のもぎりが居たので渡すと。お客はと言っても年配が多かったが、何も言われないのに私が鑑賞券を渡すと、半権をもぎって寄越して「ゆっくりとご鑑賞下さいね」と言われて少し良い気分に成りながら自分の予約の席へと・・・・。ちなみに私は障害者枠だから1,000円で見られる事に成った。行政に感謝です。。。

 

 

 

 

 

壁には、延々と「ジャンゴ」のポートレート写真やらポスターが並んで貼り付けてある。「シネマート新宿」のこの映画を再び、今の時代に上映する意気込みを感じた。私はこの映画館は、普段はどちらかと言うと、ディープな韓国映画を、上映して居る事で有名なので。名前は知っては居たが、韓国映画は余り好きでは無いので、来た事がなかったが。映画館は狭くこじんまりと纏まって居た。写真には撮らなかったが、韓国映画のDVDが何と100円で売って居たのには吃驚した。また、邦画も上映して居る。ミニシアターなので、可也マイナーな作品を上映して居る様だった。それから映画書籍も売って居た。良い映画館だと思った。。。私は良く行く「テアトル新宿」に次いで良いなと思った。

 

 

 

 

 

映画の内容は、もう知って居るけど、、この映画は1年間ぐらい見て居なかったから、新鮮だった。しかし、「4kリストアの割にはこんなものかぁ・・・」とは思ったが。多分、8kで撮影された映画を4kにダウン・コンバートしたものをアパートの4kテレビの55インチで見て居るからだろう。少し物足りなく感じたのだ。しかし映画館の大型スクリーンとデジタルに加工し直した音響が凄くて、音に関しては昔の映画なのでモノラルだが、台詞と映像の音楽は別に成って居るので。ドルビーに成って居て臨場感が凄い。矢張り自分のアパートでテレビ画面で見るのとは迫力があって段違いだ。あそこまで臨場感のある音声と効果音そして音楽を大音響では聴けない。満足して帰って来た。

 

 

Django 1966 tribute 

 

アパートに帰って来てから。購入したポスターとパンフレットを見てみた。私は1966年公開当時のパンフレットを持って居るのだが。今回のものは今風に新しく書き下ろしたパンフレットだった。

 

 

 

 

 

 
巷ではスターウォーズが人気だったのですが、、私はあえて、マイナーな映画を観に行きました。スターウォーズがSFのバイブルならば、こっちは西部劇のバイブルです。マカロニだけども。昨今は昔の映画が再び脚光を浴びて居るのです。私は最近のハリウッド映画が嫌いです。勿論、今時の良さは解りますが、、人間が古いせいか、如何しても観るのは昔の映画ですよ。私はマーベルヒーロー映画とか、嫌いなのです。CGを駆使して見せる映画の良さは解りますが、最近はそればっかりです。ストイックな男性映画が好きなのですよ。要するにハードボイルドです。ハードボイルドと言っても今時は死語ですね。ですので説明します。

「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。推理小説のジャンルであるが、サスペンスや文学など他のジャンルの主人公をハードボイルド風の文体で描く作品もある。アーネストヘミングウェイの作品は主に文学に分類されている。行動的な探偵が主人公であるが、ハードボイルドとは対照的に非情さを前面に出さず、穏健で道徳的な作品は「ソフトボイルド(Soft Boiled)」と呼ばれる。

 

ハードボイルド小説の歴史

ミステリのハードボイルド派は1920年代のアメリカで始まる。パルプマガジン『ブラックマスク』誌(1920創刊)に掲載されたタフで非情な主人公たちの物語がその原型で、同誌にはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、E・Sガードナーらが寄稿した。特にハメットは『血の収穫』(1929年)や『マルタの鷹』(1930年)などにおいて、簡潔な客観的行動描写で主人公の内面を表現し、ハードボイルド・スタイルを確立した。『大いなる眠り』(1939年)で長篇デビューしたチャンドラーは、ハメットのスタイルに会話や比喩の妙味を加え、独特の感傷的味わいを持つ『さらば愛しき人よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)などのフィリップ・マーロウ、シリーズを発表した。

 

ハリウッド映画でも多くのハードボイルド・スタイルの作品が作られ、『カサブランカ』(1942年)はアカデミー作品賞を受賞した。ハメットやチャンドラーの作品には、「西部開拓精神を内に宿した主人公がアメリカ社会の諸問題に対処していく物語」という面があり、『動く標的』(1949年)で私立探偵リュウ・アーチャーを登場させたロス・マクドナルドはその後継者とされる。一方、『差額のは俺だ』(1947年)でデビューしたミッキースピーレーンは暴力とセックスを扇情的な文体で描き、本作で「暴力的ハードボイルド」の代名詞となったマイク・ハマー・シリーズはベストセラーとなった。

 

1940年代終わりから1950年代にかけて、銃と軽口と女の扱いに長けた私立探偵が、おもにペーパーバック・オリジナルで大量に現れる。『マーチィと殺人と』(1947年)でピーター・チェンバーズを登場させたヘンリー・ケイン、『消された女』(1950年)でシェル・スコットを登場させたリチャード・S・プラザー、『のっぽのドロレス』(1953年)でエド・ヌーンを登場させたマイクル・アヴァロン、The Second Longest Night(1955年)でチェスター・ドラムを登場させたスティーブン・マーロウなどが主な作家である。極め付きはオーストラリア作家のカーターブラウンで、1958年からアメリカのペーパーバックに登場し、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月1冊というペースで発表した。また、G・G・フィックリングの『ハニー貸します』(1957年)で登場したハニー・ウエストはセクシーな女性私立探偵として人気を博し、テレビ・シリーズにもなった。

 

1960年代になるとアメリカ社会の問題は、個人の行動だけでは対処できなくなる。ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーは事件を見つめるだけで行動しなくなり、次第に内省的になっていく。これを受けて1960年代末から1970年代にかけて、社会的問題を正面から扱うよりも、探偵の個人的問題を通して社会を描くような作品が多くなる。主な作家には、マイクル・コリンズ、ジョセフ・ハンセン、ビル・プロンジーニ、マイクル・Z・リューイン、ロジャー・L・サイモン、ロバート・B・パーカー、ローレンスブロックなどがいる。日本においては、これらの作家の作品は当時、評論家小鷹信光が「ネオ・ハードボイルド」と名づけたが、実際にはハードボイルドの枠組みを超えた要素が多く、近年はこの表現はあまり使われない。

 

また、1960年代後半からはじまったフェミニズム運動と女性の社会進出により、1980年代には女性作家が女性の私立探偵を主人公にした作品を書くようになる。まずマーシャー・マラーのシャロン・スコーンが『人形の夜』(1977年)で登場し、続いてサラ・パレツキーのV・I・ウオーショースキーが『サマータイム・ブルース』(1982年)で、スー・グラフトンのキンギー・ミルフォーンが『アリバイのA』(1982年)で登場した。以後、リアリスティックな女性私立探偵小説は一大潮流となる。

 

1970年代以降の作品の多くは、文体も主人公たちの性格もハードボイルドではないため、私立探偵を探偵役にしたミステリは私立探偵小説(PIノベル、Private Eye Novel)という名称で呼ぶのが一般的になった。

 

こうした私立探偵小説の流れとは別に、ハードボイルド文体で描かれた犯罪小説がある。ハメットと同時期の作家で、ハードボイルド文体の創始者として挙げられるのが『リトル・シーザー』(1929年、映画『犯罪王リコ』の原作)のW・R・バーネットと、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1934年)のジェームスM・ケインである。『ブラック・マスク』誌の出身であるが独自の道を歩んだホレス・マッコイは、『彼らは廃馬を撃つ』(1935年)で大恐慌時代の明日なき青春を冷徹な筆致で描く。また『ミス・ブランディッシュの蘭』(1939年)で登場したゼイムス・ハドリーチェイスは、イギリス人ではあるがアメリカ英語で作品を発表した。『殺人のためのバッジ』(1951年)など警察官を主人公としてアメリカの社会問題を描こうとしたウイリアム・P・マックバーン、ハメット・スタイルで書かれた『やとわれれた男』(1960年)でデビューしたドナルドー・E・ウィドレイクもハードボイルド小説に新風をもたらした。これらの作品の手法・文体は映画の影響を受けた部分もあり、また多くの作品が映画化されることによる相互作用で、ハードボイルド・タッチは熟成していった。

 

ゲッタウェイ~The Getaway~スティーブ・マックイーン Shotgunアクション ペキンパー監督 

ダーティハリー Dirty Harry 1971 

HARPER (1966) Trailer 

The Long Goodbye Official Trailer #1 - Elliott Gould Movie (1973) HD 

 

マカロニウエスタンとは、、(マカロニを知らない人へ)。

 

マカロニ・ウエスタンとは、1960年代前半からイタリアの映画製作者が主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称です。ただし、これは日本だけでの呼び方で、イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタン、あるいはヨーロッパ製ウエスタン、イタリア本国では単純に「ウエスタン・アル・イタリアーナ」(=イタリア製西部劇)などと呼ばれています。

 

実は『荒野の用心棒』が大ヒットして世界中にマカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、数は多くないもののドイツやイギリス製の西部劇が作られていました。さらにブームのさなかにはフランスやアメリカ製西部劇もマカロニの聖地であるスペイン・アルメニアの荒野で製作されました。もちろん、本場スペインも独自の西部劇を作るようになりました。こうした「ヨーロッパで作られた西部劇」を総称して「ヨーロッパ製ウエスタン」と呼ぶようです。

 

 

荒野の用心棒

 

 

まあ、これが本質的には一番正しい呼び名だしょう。スパゲッティ・ウエスタンとは、基本的にアメリカ人が本場ハリウッド西部劇に対してチープなニセモノ西部劇をさして呼ぶジャンル名とされています。そして、わが日本でも少々バカにした気分で、映画評論家の淀川長治と深沢哲也両氏が最初にマカロニ・ウエスタンと命名したとされています。いまでこそ「マカロニ」といわれても定食屋で出てくるマカロニ・サラダくらいしかなじみはありませんが、当時の日本ではイタリアの食べ物の代表といえばマカロニだったのでしょう。スパゲッティはともかく、パスタなどという呼び方は誰も知らなかった時代です。その証拠に、日本のパスタ・メーカーの組合は今も「全日本マカロニ協会」というのです(!)
 

歴史観、正義感、道徳、整合性、リアリティ……。そんな、映画評論家が大事に胸に抱きしめているような教科書的ルールのおとがめ一切なし、面白ければそれでいいじゃないか、の精神で作られた娯楽アクション映画の元祖。それがマカロニ・ウエスタンです。

 

娯楽至上主義のマカロニ精神は、のちにカンフー映画やブラック・プロイテーション・ムービー、さらにはスター・ウォーズなどのSF映画にも確実に伝えられました。悪人しか住まない町、何発でも発射される主人公のコルト、こんなもん存在したの!? と観客が呆れる暇もなく銃弾を撒き散らすガトリング機関砲、次々と倒れる数百人の悪人、どんな酷い目にあっても最後には必ず勝つヒーロー(例外もあるけど)、よく考えてみるとひどい奴にしか思えない主人公なのに、エンディングに流れるクールな主題歌にのせられて「カッコイイぜ」と思いこんだ観客たちはガンマン気取りで町へ繰り出した……。

 

時は1960年代、世界中が変わろうとしていました。イギリスからはビートルズが、フランスにはヌーベル・ヴァーグが、アメリカでは人種差別撤廃・ベトナム戦争反対のムーブメントが巻き起こっていました。そんな時に、純粋な娯楽として作り出されたイタリア製ウエスタン映画が世界中で熱狂的に受け入れられたのです。それは、ハリウッドが作りつづけてきた正統派ウエスタンへのアンチテーゼ、伝統に対する異端、安定に対する行動、クラシックに対するロック!だったのです。

 

セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64年)は黒澤明の時代劇『用心棒』の盗作とされ訴訟騒ぎになり(結局レオーネは謝罪し黒澤はアジアでの配給権を得た)、所詮「マカロニ」とさげすまれ馬鹿にされました。しかし、ダイナマイトの大爆発、その硝煙爆風をバックにポンチョに身を包んだイーストウッドが姿を現すクライマックスの決闘シーンは、明らかに本家よりもスタイリッシュでカッコよかった。たとえ、イーストウッドの銃が、その先にいない敵を撃ち倒そうとも、続編『夕陽のガンマン』(65年)が実は共演者であるリー・ヴァン・クリーフの物語であろうとも、イーストウッドはマカロニ・ヒーロー第1号となり、その後ハリウッドへ戻るとまるでマカロニ的としか言いようのないワイルド刑事『ダーティ・ハリー』(71年)として再生したのです。かつてジョン・ウエインらが演じていた往年のハリウッドのヒーロー像とはまったく違う、「悪」の一面を持つ人間的なヒーローのスタイルはその後もシュワルツェネッガー、スタローン、メル・ギブソンらによって華やかにスクリーンを飾り続けているといえるでしょう。
 

『続 荒野の用心棒/DJANGO』(66年)に登場する西部の町は泥だらけで、底無し沼があり、女たちは泥レスに興じ男たちは殺しあうばかり……真面目なアメリカ人なら「そんな酷い町はわが国に存在しなかった」と異議を唱えるのでしょうが、そうは問屋がおろさない。19世紀のアメリカは、大都会のニューヨークでさえ、公共の場所には痰ツボが置かれ(そのまわりにはドジな男のはずした痰が……)、馬車が主要な交通機関なために道路には馬糞がいっぱい転がっていたといいます。それが、文明から遠く離れた西部の町なら……誰でも想像できるはず。『続荒野の用心棒』の監督セルジオ・コルブッチはただ「面白くするために」そんな町を創造し、めったやたらに殺戮シーンを撮りまくっただけなのでしょうが(そのために役者が足りなくなり悪党一味の部下に顔を隠す赤いマスクをかぶらせたほど)。異端は正統になり、ハリウッドから出稼ぎに来ていたイーストウッドとは違う、純粋イタリア産ヒーローとしてジャンゴ=フランコ・ネロをも産みだしたのです。

 

マカロニ・ウエスタンは一説では10年足らずの間に500本は作られたと言われています。
『続 荒野の用心棒』とは全然関係ない「ジャンゴ」シリーズも50本はあると言う。もちろん、イーストウッド、ネロのほかにも、アクロバチックなアクションと甘いマスクで女性に人気の高かったジュリアーノ・ジェンマ、ネロの贋者的にデビューしたが後期のコメディ路線でバカ売れしアメリカにも進出したテレンス・ヒル、人気があったかどうかは怪しいが何本も主演したアンソニー・ステファン、ジャンニ・ガルコ、ジョージ・ヒルトン、ハリウッドから出稼ぎに来たトーマス・ミリアン、トニー・アンソニー、マーク・ダモンといったマカロニ・スターを輩出しましたが、その作品のほとんどは映画史的あるいは映画批評的にまったくもって無視されてきました。

 

21世紀の今、60年代、70年代に量産されたマカロニ・ウエスタンを改めて見ると、意外にもしっかりした作りの作品が多いことに気づきます。史劇やコメディを作っていたベテラン監督が手がけた作品は構成がしっかりしているし、スタントマン(後にスターになった者も多い)は体を張ってアクションしている。セットは使いまわしが多いにせよ、本職が作りあげたリアリティあふれる背景だ。衣装にせよ、小道具にせよファッション大国イタリアの実力が発揮されているのです。素人がいきなり映画を撮ることが多くなり、なんでもCGで「絵」にしてしまう現代の映画作りとはまったく違う次元にマカロニ・ウエスタンは存在する。まさに、映画の中に肉体が躍動しているのです。
 

何故今もマカロニ・ウエスタンは世界中で熱く語られるのか。もうひとつの秘密は音楽の素晴らしさでしょう。朗々と歌い上げるバラードに乾いたギターやホーンが絡み、スクリーンに映し出されるスペインの荒野(=アメリカじゃないニセモノ)を、本当の大西部以上に雄大に感じさせ、主人公(たいていは流れ者)の孤独感を盛り上げる。オペラやカンツォーネの国イタリアの特色が最も顕著に出た特徴でしょう。決闘シーンにはここぞとばかりにドラマチックな演奏が轟き、トランペット、ハーモニカ、鞭や鐘の音や銃声といったSE……。ドラマチックなオ-ケストレイションに絡むエレキ・サウンドはGSブームに乗って日本中で大ヒット。66年〜67年にかけての洋楽ベスト10は常に半分以上がマカロニ主題歌、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもその後塵を拝したほどでした。

 

イギリスの大学教授でスパゲティ・ウエスタンの研究家クリストファー・フレイリング氏はこう語っています。「アメリカの西部劇に日本の黒澤明の時代劇をうまく混ぜこんで生れ、世界中で好まれたたスパゲッティ・ウエスタンは、中国の麺がイタリアへ伝わりパスタとして農民たちの主食になったのに似ている」

 


殺しが静かにやって来る4

 

 

ところで、東洋と西洋が交じり合い、世界的に通用する「味」となる傾向は近年特に強い気がします。ハリウッドへの香港映画人の進出、日本のアニメの世界的人気……こうした娯楽商品の国際化のさきがけとなったのがマカロニ・ウエスタンとも言えるのです。マカロニ・ウエスタン自体は、先に述べた60年代後半の世情に乗せられてか、コルブッチの『ガンマン大連合』(68年)、レオーネの『夕陽のギャングたち』(71年)など、次第にその背景をアメリカの西部からメキシコの革命へと移していき、その後、衰退していきました。最後の作品はアンソニー・ドーソン監督の『ワイルドトレイル』(75年)と言われています。が、それは、すっかり「マカロニ」本来の濃厚な味付けとは程遠い、気の抜けた似非コカコーラのような西部劇でした。その後、『続 荒野の用心棒』の正統派続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(87)が作られたりもしましたが、マカロニ・ウエスタンはほとんど息絶えました。が、そのスタイル、演出、音楽などは今も世界中の西部劇、アクション映画に受け継がれています。

 

マカロニは消滅しようとも、その存在が世界中に与えた影響は甚大でした。香港では『燃えよドラゴン』(73年)による爆発的なカン・フー映画ブームを、マカロニ的やっつけ仕事で盛り上げました。どこかで見たような話に残虐味をふりかけ英語版を作って世界中に売り出したのです。ブルース・リーならぬ、ブルース・リ、ブルース・リャンなどが主役になったのは、かつて、二流三流のマカロニ西部劇の主役がみんな「ジャンゴ」だったことの倣いでしょうか。ジョン・ウーの『カラテ愚連隊』(73年)の国際版予告編には『復讐のガンマン』のテーマが使われていたほど。みな、マカロニを食べて大きくなったのだ。

 

その頃、日本ではテレビでの映画放映が大ブームになっており、なかでもマカロニは得意メニューで、日曜洋画劇場で放映された『荒野の用心棒』は視聴率24%を超え、かつてマカロニをバカにした淀川さんも、マカロニのおかげで面目を保っていたのです。レオーネ三部作、『続荒野の用心棒』『ミスター・ノーボディ』など、彼のおかげでマカロニ・ファンになった男たちが日本中に無数に歩き回っていました。さらには、作品が足りなくなり未公開のマカロニ西部劇が次々とブラウン管で日本デビューを飾りました。そして、テレビ時代劇にマカロニ調の主題曲やガトリング銃が登場するようになり、マンガの世界でも「マカロニほうれん荘」やら「浦安鉄筋家族」といったマカロニの影響大(?)と思わせる作品が生み出されていったのです。

 

世界的にもマカロニ再評価は進んでいます。レゲエ映画の名作『ハーダー・ゼイ・カム』(72年)では、映画館で『続荒野の用心棒』を見る観客が喝采する。悪徳の横行するジャマイカの首都キングストンで歌手を目指す主人公ジミー・クリフは「ジャンゴ」のようにマカロニ機関砲で悪い奴らをなぎ倒したい気分なのだ。『シド・アンド・ナンシー』のアレックス・コックスは当時のアイランド・レーベルのミュージシャンたちを集めてスペイン・アルメリアのマカロニ・ロケ地を使い『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)を作りました。主題歌はポーグスによる『続・夕陽のガンマン』のカバーです。映画界でもマカロニの影響力は顕著です。黒人監督のマリオ・ヴァン・ピーブルズは『荒野の1ドル銀貨』(65年)のアイディアをいただいた『黒豹のバラード』(93年)を撮り、さらにはもうひとりのマカロニ・マニア、クリストファー・ランバートと組み『続・夕陽のガンマン』そっくりのストーリー展開の『ガンメン』(93年)も放ちました。クエンティン・タランティーノは「レオーネの『ウエスタン』は俺にとっての『市民ケーン』だ」とうそぶき、香港の名監督ジョン・ウーはハリウッド進出第1作『ハード・ターゲット』(93年)で『続 荒野の用心棒』さながらの“耳裂き”シーンを撮りました(アメリカではカット。またイギリスでは“耳裂き”のおかげで『続荒野の用心棒』自体が30年間上映禁止だった)。トリニティという女主人公が登場した『マトリックス』のウォチャウスキー兄弟は、『暗殺者』(95年)の脚本を担当し『ミスター・ノーボディ』 (73)の中で語られた小話を引用しちゃいました。

 

ミュージック・シーンにもマカロニ・ファンは多いのです。モリコーネの曲を必ずレパートリーに入れていた70年代のイギリスのバンドがベーブ・ルース、最近ではヘヴィ・メタルの代表的バンド・メタリカはライブのオープニングで鳴り響く『続・夕陽のガンマン』の「ガンマンの祈り」とともに登場しました。2007年にアカデミー名誉賞を受賞したエンニオ・モリコーネのために捧げられたトリビュート・アルバムでは、ブルース・スプリングスティーンが『ウエスタン』のテーマを奏でました。

 

こうして、マカロニ・ウエスタンは世界中の、映画、テレビ、音楽、マンガ、ファッションといった世界で確実に生き続けています。いわば、評論家の野心には響かなかった(そんなもの褒めても評論界じゃ偉くなれない)が、純粋な映画ファンや、アーティストたちの心には確実に根をおろしたのです。純粋に娯楽を目指す作り手たちには、マカロニはポップ・アートとして映るのかもしれません。または、徹底的に無責任に無秩序に作られた娯楽作品は、時として見るものによっては哲学的に捉えられることもあるかも知れない。

 

 

マカロニ・DVDコレクション、絶賛発売中です。これを買って集めれば、マカロニはパーフェクトですよ。。

 

 

 

また喫茶店に行きました。これで此処のホットケーキを食べるのは6回目です。今日もまた、モカ・ホットケーキとカフェオレを注文しました。値段は合わせて1,400円です。ホットケーキは860円です。カフェオレが540円です。高いですが...。

 

味は抜群に美味しいです・・・・。

 

 

 

 

〜〜懐かし映画館〜〜

 

「暁の用心棒」イタリア映画。1966年制作。

              ーマカロニウエスタンー

 

 

 

1966年にイタリア・アメリカ合作で製作されたマカロニ・ウェスタン。メキシコ国境に近い寂れた村を舞台に、流れ者のガンマンと悪党一味の激闘を描いていく。

 

Un Dollaro tra i Denti Trailer Italiano 

 

✳︎ストーリー

舞台は西部開拓時代のアメリカ、メキシコ国境近くのとある町。この寂れた町に、よそ者のガンマンが現れることから物語は始まります。この町はアギラという悪党一味によって牛耳られており、暴力によって支配されて居ました。

ガンマンがこの町を訪れたちょうどそのとき、アギラたちはメキシコ軍の一団を騙し討ちにして居ました。アギラは口癖の様に自分を「正しき人」と呼んで居ましたが、実際にはメキシコ軍の兵士を機関銃で皆殺しにする様「な非常に残酷な人物でした。

その様子を陰で見て居たガンマンは、アギラたちの力を利用する方法を思いつきました。それは、メキシコに金貨を輸送するアメリカ兵の一団から金貨を奪う、と言うものでした。早速、ガンマンはアギラたちに接触すると、アギラは警戒しつつもガンマンの話に興味を示して来ました。ガンマンは、先ほどアギラたちが殺したのはアメリカから金貨を受け取る為に集結したメキシコ軍だった事を明かしました。ガンマンはレンジャー部隊の隊長で、この金貨引き渡しでメキシコ軍側の本人確認を行う任務を命じられて居た事を明かしました。しかし、メキシコ軍が全滅した今、この状況を最大限に利用して金貨を横取りしようと考えたのです。自分がアギラをメキシコ軍将校と言えば、必ずアメリカ軍は信用して金貨を引き渡すだろう…。ガンマンのこの話に、アギラは飛びつきました。

 

それから間もなく、アメリカ軍が金貨を持って到着しました。ガンマンはアメリカ軍の将校に近づくやいなや銃を突きつけ、周囲がアギラ一味のガンマンに囲まれて居る事を告げました。アメリカ軍将校はガンマンの要求を聞き、金貨を引き渡しますが、いずれ金貨を取り戻す意志がある事を告げて去って行きました。

その後、ガンマンとアギラ一味は金貨の取り分について話し合い、ガンマンは半分欲しいと主張しました。ガンマンは高飛びを計画しており、それだけの金貨が必要だと言うのです。両者の交渉は決裂し、すぐに銃撃戦が始まりました。ガンマンは金貨と共に逃亡を図ろうとしますが、この侭では町の人々まで犠牲になる事を恐れ、金貨を捨てる事を決意。馬に乗って町から出て行ったガンマンでしたが、すぐにアギラ一味が追って来ました。

そんな中、アギラの使者がガンマンの元を訪れ、金貨の取り分について話し合いたいとアギラの言葉を伝えて来ました。しかし、これはガンマンを油断させようとしたもので、物陰には大勢の手下が潜んで居ました。ガンマンはすぐにその気配に気づき、手下たちを返り討ちにしました。

 

その夜、ガンマンはアギラのアジトに忍び込みました。アジトの中には、町の若い女が人質として捕らえられて居ました。ガンマンはアギラたちが酒を飲んで居るタイミングを見計らって地下室に侵入、金貨を探し回りました。処が、地下室にはすでにアギラ一味が待ち構えており、ガンマンは捕らえられ、ひどいリンチを加えられて仕舞います。


リンチは途中からアギラの恋人マリカに交代し、アギラたちはその場を去って行きました。マリカはガンマンを痛めつけようとしますが、ガンマンはマリカの油断を見逃さず、反撃に出ました。ガンマンはマリカを倒すと、地下室に爆薬を仕掛け爆発させました。アギラたちがこの爆発に驚いている間に、ガンマンは人質の女と金貨とともにアジトを脱出しました。

重傷を負っていたガンマンは若い女の看病を受けながらなんとか町に戻りましたが、アギラたちがすぐに追って来るのは間違いありませんでした。ガンマンは女からショットガンを譲り受け、来たるアギラたちの戦闘に備え避難する様指示しますが、その矢先にアギラたちは町に到着して仕舞います。

 

アギラは若い女の赤子を人質にとってガンマンの場所を吐くよう女に迫って来ました。そして、アギラの手下が赤子にナイフを突きつけた時でした。ガンマンは物陰から銃撃を開始し、アギラたちはたちまち混乱に陥りました。その後もガンマンは建物の陰を上手く利用しながら一人一人アギラの手下を撃ち、残すはアギラのみとなりました。

アギラは機関銃を準備し、ガンマンに激しい攻撃を加えて来ました。しかし、攻撃して居るうちに大量の煙が立ちこめ、アギラはガンマンの姿を見失って仕舞いました。ガンマンはその一瞬の隙をつき、アギラの利き腕に銃撃を加えました。ガンマンはゆっくり近づき、ショットガンでアギラを数発殴ると、真剣勝負を申し込みました。ガンマンはショットガン、アギラは機関銃という異色の早撃ち勝負となりましたが、ガンマンは見事この戦いに勝利を収めました。ガンマンは死んだアギラの口に一枚の金貨を入れ、「俺は"正しき人"さ」と語りかけました。

それからすぐ、金貨を取り戻しにアメリカ軍の一団が到着しました。ガンマンは金貨を素直に引き渡しますが、賞金首のアギラ一味を倒した賞金をアメリカ軍将校に求めました。将校はガンマンの言い分を飲み、金貨の一部を引き渡しました。去り際、ガンマンは金貨が一枚足りないことを伝え、「経費だよ」とアメリカ軍将校にニヤリと笑いかけました。ガンマンは「また会おうぜ」と言って町を去り、命を助けられた若い女はその姿を陰ながら何時迄も見送って居ました。

 

 本編映画ノーカット版です。日本語字幕付きです。ご堪能あれ。。。

暁の用心棒 スペシャル・エディション Un Dollaro tra i Denti - Film Completo by Film&Clips 

 

東宝東和が“用心棒”シリーズ第五弾として1966年に公開したのが、『暁の用心棒』です。トニー・アンソニー主演“ストレンジャー”シリーズの1作目であり、『盲目ガンマン』『Get Mean』『荒野の復讐』などのアーキタイプとなった傑作でもあります。元型とは言え、後に展開されるトニー・アンソニー作品の魅力が全て詰まって居るんですよ。2作目、3作目ともなると演技に余裕が出て来たのか、ニヤニヤ笑いに拍車が掛かってハードボイルドな雰囲気を台無しにしてくれますが、この作品では初出演で緊張気味だったのか、トニー・アンソニーは大いに格好良い姿を披露して居ます。

 

国境に近い町に流れ着いた一匹狼のガンマン、対立する二つの勢力、機関銃による皆殺し、それぞれが得意とする得物を使ったクライマックスの果たし合い…『荒野の用心棒』の設定を上手に真似ながら、ドキュメンタリー出身のヴァンス・ルイス監督は独特のタッチでオリジナリティを発揮してます。それは、ポンチョならぬサラッペを身に巻き付け、一撃必殺のスラッグ弾を込めた散弾銃で山賊の機関銃に対抗する“よそ者”のバイタリティ溢れるキャラの活写であり、殆ど台詞を排し、無言で進行するストーリーであったりしますが、全篇に満ち溢れているマカロニの魅力とも言うべき、無数の“格好良さ”が、本作を際だたせて居ます。
 

アギラの手下を一人倒すごとに流れる、「“よそ者”のテーマ」。暗闇の中でのマズル・フラッシュしか見えない銃撃戦。山賊の手下どもをやっつける数々の殺しのテクニック。少しずつゴーストタウンの夜が明け、明るくなった時に残される首領との一騎打ち。決闘の際の散弾銃を操る鮮やかな手際と、振り向きざま発砲するスタイリッシュなアクション……シチュエーションやストーリーが『荒野の用心棒』に似ながら同じ印象にならないのは、演出に工夫があり、スタッフやキャストに熱意が感じられるからです。低予算、限られたスケジュールの中で、最大限の工夫と努力をそそぎ込んだ、イタリア人スタッフ&キャストの意地が伝わって来るからなんです。

 

『暁の用心棒』最大の見せ場は、最後の決闘で使われる、“よそ者”の散弾銃 対 アギラの機関銃対決です。“よそ者”は、古めかしいアンダー・レバー・アクションの有鶏頭サイド・バイ・サイド・ショットガンに、バカでかい鉛の弾頭の付いた単発弾を装填して、山賊の機関銃に立ち向かいます。それぞれ弾の尽きた仇同士は、“よそ者”の合図と共に得物に弾丸を装填、一瞬の間に勝負が決まる一騎打ちとなります。通常の散弾銃ですと装填のプロセスが短いため、シュワルツローゼの装填時間に合わせて、監督はアンダー・レバーの散弾銃を持たせたのかも知れません。トリガー・ガードに被さる様に付けられたアンダー・レバーの動きが、映像的に目立つと言う利点もあります。

 

見事にアギラと山賊一味を仕留めた“よそ者”でしたが、高らかに鳴り響く“よそ者”のテーマと共に、彼はショットガンを投げ捨て、颯爽と町を去って行きました。甘いマスクにクールなガンアクションと、主人公を演じたトニー・アンソニーのかっこよさが際立つ作品でした。アメリカ軍将校にジョークを言う場面も含めて、主人公のクールさにうっとりさせられました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回は以上、過去からと新しい情報を合わせた記事でした。また更新できたらお逢いしましょう。。。