今日の昼食です、、レンガ亭の「冷やし中華と餃子セット」此れで八百五十円かな?


私が吹いた短い、ヘタクソなハーモニカ・ソロ 五つ.....。本当我ながらヘタで嫌になりますよ、、
ジューク SD 480p
ブルースバラード SD 480p
「ブルース・ハーモニカの歴史」
1896年にホーナー社から発売された同社のマリンバンドという単音十穴ハーモニカはブルース奏者の愛用するところとなり、独特の奏法も生まれた。 ... 本体を横から見た姿がハープに似ているということから当時のハーモニカは米国でも「マウス・ハープ」と呼ばれたため、ホーナー社はブルースハープというモデルを発売した。
世界最古のハーモニカ・メーカー、サイドル・ゾーン社の生き残りと復活
一般的には、1827年が、ハーモニカの誕生年になっている。現存する世界最古のハーモニカ・メーカーは、チェコ国境に近いドイツ東部の町・クリゲンタール (Klingenthal) でクリスチャン・アウグスト・サイドル(Christian August Seydel) が興したハーモニカ専門メーカーのサイドル・ゾーン社 (C.A.Seidel Söhne) である。1847年の創業だが、第二次世界大戦後、企業等の国有化を推進してきた東ドイツ政府から工場は接収され、また“SAYDEL”の名前を使うことを禁じられてしまう。その結果、50〜60年代のブルースやロックの時代の流れに取り残されてしまった。1989年にドイツの東西の壁が取り壊されてから、工場はサイドル一族の元に返還されたが、2004年に一度倒産し、その後立て直しをして3度目の創業として現在に至る。
ホーナー社の登場
1827年のハーモニカの誕生年から時が経て、その後改良が加えられ、中でもクリスチャン・メスナーなどが企業秘密にしていたハーモニカの製造法を密かにマスターして、自分の会社を設立したマティアス・ホーナー (Matthias Hohner、1833年 – 1902年) が、Hohner Musikinstrumente GmbH & Co. KG の創業者として、サイドル社から遅れること10年後の1857年、ホーナー社 (Hohner) を誕生させ、商業生産を始めた。当時は南ドイツのトロッシンゲン (Trossingen) にいくつもの小さなハーモニカ工房があり、ホーナーはそれらを吸収合併していき、企業力を高めていった。それと同時に、部品の製作の分業化を行い、技術の流出を防いだと言われている。ホーナー社がある地域では人口のおよそ1/3がホーナー社に就職していた記載が残されている。1862年-マティアス・ホーナーは、既にアメリカ大陸に移住していた親戚の勧めで、ホーナー社のハーモニカを初めてアメリカに輸出した。カナダに住んでいた従兄に自分の作ったハーモニカを6本送り、6ドルを手にしたのが、初のアメリカ大陸輸出と言われる。
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ホーナー社のハーモニカ「マリンバンド」の米国での広告。価格は50セントだった。
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ホーナー社のミニ・ハーモニカ「リトル・レディ」。人類が宇宙空間で演奏した最初の楽器となった(宇宙船ジェミニ6-A号)。
ホーナー社は世界的なハーモニカメーカーとなった。1896年にホーナー社から発売された同社のマリンバンドという単音十穴ハーモニカはブルース奏者の愛用するところとなり、独特の奏法も生まれた。マリンバンドとは当時憧れの的であったアメリカ海軍軍楽隊の名前で、価格は、当時 US 50セントだったと言う。この価格設定は、実に巧妙で、ピアノやサキソフォーンは無理でも、何ヶ月か貯金をすると貧しい黒人社会の人間でも購入できる楽器であった。本体を横から見た姿がハープに似ていると言う事から当時のハーモニカは米国でも「マウス・ハープ」と呼ばれたため、ホーナー社はブルースハープと言うモデルを発売した。この名称は現在ではメーカーを問わず、単音十穴ハーモニカを指して呼ぶほどの知名度を獲得した。
ヘリング・ハーモニカの登場と没落とその復活
1923年、ドイツ移民のアルフレッド・ヘリング(Alfred Hering) によってブラジル南部のプルメナウ市(Blumenau)に設立されたヘリング社 (HERING Harmônicas)は、長年にわたり、良質なハーモニカの生産において一定の評判を得てきた。その後、アルフレッド・ヘリングの死後、1966年にヘリング一族はドイツのトロッシンゲンにある、ドイツ・ホーナー社(M. Hohner)に株式を全て売却した。16年後の1996年、アルベルト・ベルトラッツィ (Alberto Bertolazzi) をリーダーとする投資家グループがヘリング社を買収し、ホーナー社は撤退した。最高品質の製品を製作すると言う構想により、ベルトラッツィとその経営チームは、ヘリング社をその原点であるハーモニカ専門メーカーへと戻した。ただし1979年までドイツ・ホーナー社の傘下にあり、ホーナー社の技術力を吸収し、スキルを高めてきた。日本への国内代理店はヤマハが担当していたが、2021年現在は扱い停止中である。
Harmonicon White Mountain Boogie and Blues Festival 2015
現代最高のブルース・ハーモニカ・プレイヤーのひとり、ビリー・ブランチが自身のバンド、ザ・サンズ・オブ・ブルースを率い、アリゲーターからは初のリーダー作となるニュー・アルバム『ルーツ・アンド・ブランチズ~ソングズ・オブ・リトル・ウォルター』を2019年7月17日に発売。ビリー・ブランチ&ザ・サンズ・オブ・ブルース
『ルーツ・アンド・ブランチズ~ソングズ・オブ・リトル・ウォルター』(CD)
ブルース・ハープの鬼才、リトル・ウォルターの時代を超越した音楽が、ブランチと彼のバンドの手により新たな輝きを放つ!
三度のグラミー賞ノミネート歴を持つシカゴ・ブルース・ハーモニカ・マスター、ビリー・ブランチ。彼が40年以上率いてきた世界一のブルース・バンドのひとつ、サンズ・オブ・ブルースとともにリリースするニュー・アルバム。ブランチと彼のバンドは、シカゴ・ブルース・サウンドを作り上げた主要人物のひとりであり、史上最高に影響力のあるブルース・ハーモニカ奏者のひとり、リトル・ウォルター・ジェイコブズの有名な楽曲に、ソウルやファンク、ゴスペルの要素をブレンドし、新たな息吹を吹き込む。シカゴ・ブルース・ハーモニカ王座の後継者として、ビリー・ブランチこそ、リトル・ウォルターの音楽に新しい輝きを与える最適任者であることは間違いない。クロージング・ナンバーでは、リトル・ウォルターの娘のマリオン・ディアズが伝説的な父親との生活に関する逸話を2、3、披露している。プロデュースはビリー&ローザ・ブランチと、長くバンドのピアニストを務めている有吉“アリヨ”須美人。単なるトリビュート・アルバムではない、全ブルース・ファン必聴の一枚!
〜〜懐かし映画館〜〜「さらば友よ」
1968年。フランス映画。「シンデレラの罠」の原作者として知られるセバスチャン・ジャプリゾとジャン・エルマンの脚本を、日本ではこれが初登場の新鋭ジャン・エルマンが監督したアクションもの。撮影はジャン・ジャック・タルベス、音楽は、「サムライ」のフランソワ・ド・ルーペ。出演は「サムライ」のアラン・ドロン、「特攻大作戦」のチャールス・ブロンソン、オルガ・ジョルジュ・ピコ、「禁じられた遊び」の名子役ブリジット・フォッセーが十六年ぶりにスクリーンに登場。製作はセルジュ・シルベルマン。
*ストーリー戦争も末期のある寒い朝アルジェリア帰りの兵士たちを乗せた船が、マイセイユについた。その中に、軍医のディノ・バラン(A・ドロン)もいた。そのバランに「モーツアルトの友人のバランさんでしょ?」といきなり若い女が話しかけてきた。バランは表情もかえず無視して歩き続けた。同じ船からアメリカ人軍曹で、戦争を商売にしてきたフランツ・プロップ(C・ブロンソン)も降りた。彼は部下を掻き集め、次はコンゴに出かけ一稼ぎしようと企んでおり、それには軍医が必要と、バランを口説いていた。そのプロップを殴り倒し、バランは彼を追ってきた若い女の車に乗った。女はイザベルといい、彼女はモーツアルトに頼んでおいた約束を、バランに代行して欲しいと頼んだ。その仕事というのは、イサベルはパリの広告会社に働いているが、会社の債券を密かに持ちだし利用していた。年末の決算も近づいたので、それを金庫に返さなければならない。地下室のもとモーツアルトのいた医務室の隣りに金庫がありクリスマスの連休の間に、それを返してほしいというのだ。
バランはその仕事を引き受け、医務室にハイスピード分解写真装置のついたカメラを持ち込み、金庫室の見通せる小窓にそれをセットした。金庫の七つのダイヤルの組合せ番号を盗み出そうと言うのである。金曜日は会計簿を仕舞うために金庫が開けられることになっていたがその日は社員のボーナス、月給を含めて二億フランの現金が仕舞われるのを知って、バランの目的は変わった。債券を返して同時に、中身を頂こう。だが、カメラは七つのダイヤルのうち、三つしか写してなかった。組合せは無数にあり、時間は三日三晩しかない。バランが作業を開始したとき、ふらりとプロップがあらわれた。いまさら彼を追い帰すわけにもいかず二人は一緒に、仕事をはじめた。が、ふとしたことから金庫室の中に二人は閉じ込められて仕舞った。男二人の間に奇妙な友情が生じた。そこでディノはかつてアルジェリアで、親友モーツアルトとの関係も語りだした。そして長い苦闘の末、遂に金庫は開いた。しかし中は空っぽだった。
二人は壁をしゃにむに崩し、通風孔をとおり、医務室に脱出したが部屋には、警備員の死体がころがっていた。バランは罠に掛けられたことを知った。恐らくバランが作業にかかる前に、誰かが金を盗み出し、警備員を射殺し、罪をきせようとしたのだ。バランとプロップは別々に逃げた。二億フランの金庫破りと、警備員殺しのニュースは派手に書きたれられ、非常線が張られた。プロップは空港でその非常線に引っ掛かったバランを救うため、自分が捕えられた。一方バランは、イザベルの行方を探して、医務室の助手をしているドミニクのところを訪ねた。そこでバランは、朧げながらではあるが真相を掴みかけた。盗聴されることを計算に入れバランは、警察に捕えられているプロップに電話した。その後、ドミニクを連れて、医務室に行き、イザベルのカルテを探させた。バランの背中に銃が突き付けられた。イザベルだった。金をとり警備員を射殺したのは、イザベルとドミニクの共犯だったのだ。だが、ビルには警察官たちも潜んでいた。それに気づいて逃げるイザベルとドミニク。同性愛の関係にある二人を警官は射殺してしまった。ディノの制止も聞かず……。事件は終った。他の事件で再び刑事に連行されるプロップの煙草に、バランは無言で火をつけてやった。
アランドロン・フォーエバ-「さらば友よ Adieu l'ami」サントラさらば友よ (1968) エンディングALAIN DELON in D'URBAN/Part-1Celine Dion & Alain delonこの映画は有名な映画ですが。映画通以外あまり観られてない様で、ちょっと意外でした。1968年制作のフランス映画、ラスト、チャールズ・ブロンソンが、アラン・ドロンから煙草の火を貰うは、男なら誰でもグッとくる名シーンとして有名です。 とにかく、この二人がいちいちカッコ良い!嫌がらせをし合ったり、意地を張り合ったり、まるで子供の様なんですが、男ってそう言う部分があるでしょう。中盤のヤマ場で二人がヘマをして密室に閉じ込められると言う展開があるのですが、もろ肌脱いだ二人がコンクリートの壁に挑む姿は男臭さがいっぱい。でも、そこが魅力なんです。いがみ合いながら二人は硬い絆で結ばれて行くのですが、はっきり言って天下の二枚目アラン・ドロンより、はっきり言ってブサイク顔のチャールズ・ブロンソンの方が圧倒的にカッコ良い。公開から暫くブロンソンがやっていた酒を満たしたグラスにコインを入れて行くゲームを世界中の男が真似したものです。当時、正に昭和の時代の真っ只中、流行りましたねー。「グラスのコイン落とし」と「イェーーーー」。最近はこう言った心理描写で見せるアクション映画。フィルム・ノワールが無くなって仕舞いました。何遍も言いますが。超美系のイケメンと野生そのものと言った好対照の男二人が、密室で精神戦、肉弾戦をやりあう訳ですが、これがまたいい。見てて飽きない。最近でこう言った映画を撮れるのはジョン・ウーぐらいかなぁ。ベースには、しっかりと男同士の友情?と言うか、言った事は死んでも曲げないと言う、サムライ的精神性も垣間見えました。昔の映画なれど一度見たらこの男たちに痺れますよ。まだ未見の人は是非観て見て下さいね。ああ、銃撃戦とか余りありませんから。あくまでフィルム・ノワール(犯罪映画)の傑作としてご覧になって見て下さいね。
プロデューサーのセルジュ・シルベルマンは、、黒澤明の「乱」にも関わって居ます。
以下の様な映画製作にも携わって居ますよ。
さらば友よ Adieu l'ami (1968年)
雨の訪問者 Le Passager de la pluie (1969年)
狼は天使の匂い La Course du lièvre à travers les champs (1972年)
ブルジョワジーの秘かな愉しみ Le Charme discret de la bourgeoisie (1972年)
自由の幻想 Le Fantôme de la liberté (1974年)
欲望のあいまいな対象 Cet obscur objet du désir (1977年)
ディーバ Diva (1981年)
乱 (1985年)
マックス、モン・アムール Max mon amour (1986年)そして、もう一つ最後に忘れては行けないのが。天才フランソワ・ド・ルーベの音楽、タイトル・バックから映画史に残るラスト・カットまで、イカして居て。お洒落な彼の音楽無しには考えられません。間違いなく一つの時代を作った傑作です。この曲も公開当時よくラジオから聞こえて来ましたよ。
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「大林監督!!。ご冥福をお祈り致します」
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私は今思って居る。私の周りを取り巻く連中は私に害しか成さない人たちだ。だから環境を一新したい。だが訪問看護師はどこを頼んでも恐らくダメだろう。こんな事は言いたくは無いけど彼女らは志が余りにも低すぎる。所詮、看護師なのだから。看護師に2通りの存在があります。中学卒業で看護学校に行く人の事を。准看護師と言います。だから医療の事はよく解るがそれ以外の勉強はまるでしない。だから専門性には長けて居るが、常識は余り無いのですよ。それと高校を卒業して看護大学に行って学ぶ人達も居ます。彼女らは頭がありますね、ちゃんとして居る。しかし医者は看護師を信用しないのですよ。医者は看護師を「あっぺ」と呼んで蔑みこそすれ、相手にはしない。だが看護師と結婚する医者も居る。大抵の場合は医者は結婚相手がなかなか決まらないのですよ。だから可愛い看護師が居るとその子に眼が行って仕舞う。そして人生妥協してその子を貰って仕舞うのですよ。私の弟の嫁も看護師だった。だから、離婚をした。大抵結婚しても上手くは行かないのです。住んで居る世界が違うのですよ。そして一般の大学を出た様な女の子は医者と結婚すると、自分が偉い様な事を言い出して。医者の旦那は一片に嫌になり。これもまた離婚をする事になる。医者はプライドが高いのか?違います。忙しいのですよ。普通の人よりも神経も体力も知力も使う職種なのです。男はね。見目姿で女の子に惚れるのでは無い。可愛いからか、それもあるだろうけど。自分の将来を任せられる人を選ぶのです。その為には頭がいい子を貰うのですよ。頭が良いとは勉強が出来ると言う訳では無い。生活の知恵を知って居て。自分に尽くしてくれる人を選ぶのです。だから美人でなくとも良いのです。真心がお互い伝い会えれば。男はね。その子の為なら死んでも良いとさえ思うのですよ。私にも勝手、そう思えた女の子が居た。訳があって別れたが。私はだから訪問看護師の女の子たちを見て居て、情けなくなるのです。
ある訪問看護師の女の子は私が正装をして、アパートに居たら。やって来てこう言った。「何よ。何でお洒落な格好なんかしているのよ!いっちょ前にさ!!。」そしてこう言う。私がパソコンでドイツの哲学者マルクス・ガブリエルのインタビューをYouTubeで見て居たら。「あれ、ドイツ語なんか聞いて居るから解るのかと思ったら、字幕付きじゃ無い!!」「解ってるフリして聞いてて自分を偉く見せ無いでよ。嘘つき!!」私が何時ドイツ語が解ると言った!!。程度問題なのだよ。こんなバカ連中とこれ以上付き合って居る暇は無い。自分の人生に於いて何の役にも立たないのですよ。その人に取って環境は大切だ。ある女の子は私が土方歳三と言ったら「だれ?」と聞いたので。もしかしてと思い、近藤勇。沖田総司と言っても解らずに居るから「司馬遼太郎の小説で「燃えよ剣」「新撰組血風録」とかあるでしょう?」と言ったら。新撰組も司馬遼太郎も知らなかった事がありました。そしてその子は「忠臣蔵なら名前だけは聞いた事がある」と言うのですよね。確かに今時の20代やら30代は知らない人もいるのでしょうけど。少しは勉強した方がいいのではと思いますよ。大体がその子は私が1970年代のロックの話をし出したら、「1970年代になんかにロックなんか無かったわよ!!」と言い切るのですから。「あの当時は歌謡曲と演歌しか無かったわよ!?」と言うのですよね「フォーク・ソングもニューミュージック」も知らない、私は殆呆れて仕舞いましたよ。まあでも、最近はそう言う事を言った看護師も来なくなったし。今来て居る人たちはいい人たちですが。
私が尊敬して居る映画監督の一人で、大林宜彦と言う監督が居る。此間、82歳で亡くなったが。人物が出来た人だった、お茶目なのに、正義感が強く。物知りで。真面目な人だった。そして誰にでも優しい善人だった。私は尊敬して居た。彼は生涯ただ一人の奥さんを愛した愛妻家でもあった。彼が今から2年前にガンだと宣告されてから。二人は互いを愛おしむ様に生きて来た。奥さんが言った、「この人は映画を撮る事が生きがいなんです。だから映画を撮らせてやって下さい。」そして彼を支え続けた。彼もまた奥さんを気遣い。奥さんの誕生日には、奥さんの実家に出向いて地域の人達との盛大な誕生会を開いた。支えてくれて居る妻へのせめてもの償いだ。私はこの様子を見て来た。私には家族はもう居ない。障害持ちの私を好きになる女の人はもう居ないと思う。だからこそ。支え合う絆で結ばれた御夫婦を見るのは心が温まるのです。私には生きて居て、もう味わう事は絶対に無い幸せなのだから。仲むずましいご夫婦を見て居ると心が暖かくなって自分もいい人になれるのです。さて、近々環境を一新しようと思う。自分の生活の自助更新を行おうと思う....。
幼少の頃から映画を撮り始め、大学時代に自主制作映画のパイオニア的存在となる。なかでもベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞を受賞した「喰べた人」(63)や「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(67)が話題を呼んだ。その後、当時は作品としての価値が低かったCMの業界に進出。CMディレクターとして、チャールズ・ブロンソン出演の「マンダム」を筆頭に海外スターを起用したCMを多数手がける。77年、「HOUSE ハウス」で商業映画デビューし、ブルーリボン新人賞を受賞。故郷・尾道で撮影した「転校生」(82)、「時をかける少女」(83)、「さびしんぼう」(85)は“尾道3部作”として広く知られる。「青春デンデケデケデケ」(92)が文化庁優秀映画作品賞に選ばれ、「SADA」(98)がベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど国内外で高い評価を得ている。04年紫綬褒章、09年旭日小綬章を受章。
幸福に生きる秘訣は、
自分のいちばん好きなことをして生きる、
と言う事に尽きる。
人は有難うの数だけ賢く成り。
御免なさいの数だけ美しく成り。
さよならの数だけ愛を知る。
大林 宣彦 Nobuhiko Obayashi
映画監督 1938〜2020年
映画「花筐/HANAGATAMI」初日舞台あいさつ1
和訳で歌うとよく分かるジョンレノン 『イマジン』Imagine / John Lennon Cover
よく、自分のことを赤裸々にblogに綴る行為は、バカのやる事だ。周りに自分の秘密を解らせて知らせて居る様なものだと言う人も居ます。だけども、私はたった1人で生きて居ます。どこかに自分の思いを吐き出さないとやってられないのですよ。私は自分が障害者、しかも精神障害者だと此れからも書いて行こうと思って居ます。バカにする人も居るでしょうね。人の口には咎立てられません。でもいいのです。差別には慣れて居ますから..... 。今回は主治医について話します。私は主治医が信用出来なかった。私に処方して居る薬は全て物凄く太る副作用がある薬です。以前は如何にも私が暴飲暴食をして居ると言う。「何食べて居るのだと思って言ってるのだろうか?」と思って居た。私は、毎日、朝はコーヒしか飲まないし。何もガバガバ食べて居る訳では無い。昼はパンか蕎麦か、たまに外食だし。夜はベネッセのカロリー計算された弁当だ。だから、近所の内科では「食べても居ないのに、こんなにも太るのは明らか抗精神薬のせいだ。薬を変えて貰いなさい。」と言われた。私は前は缶コーヒーとかジュースを良く飲んで居た。身体が要求するからだ。自分でも何でだろうと思って居たが。それも薬の副作用だった。毎回、病院で精神科の他に内科と、食事療法。そして毎月の筋肉量と脂肪量を計る様に成ったのだが。生活指導医からジュースは辞めた方がいいと言われた事もあり、今は飲んで居ない。キッパリ辞めた。そして薬の後遺症で眠くなる為.....。コーヒーは1日6杯は飲むが、全部、人工甘味料の糖質もカロリーもゼロのものを入れて飲んで居る。しかしそのせいか。おならが物凄く出るのです。訪問看護師に言うと外で歩きながらおならをしてガスを出せと言うのですよ。要するに薬の弊害で腸もおかしくなって居る事を看護師は知って居るのです。
そして、コンビニの弁当のはよして、魚などを買って来て焼いて、それに納豆とおしんこ、そして味噌汁で食べようと思うと言うと、看護師が「気付いて仕舞ったか・・・」と言うのです。まあ、コンビニの弁当は相対的にカロリーが高い。しかし今日、栄養管理師と話して居て、別の案が出た。野菜炒めを昼に食べればと言うのだ。成程、確かに魚でご飯もいいが。話して行くうちに、ガクト君などは炭水化物はすべて食べないと言う話になったのだ。私は芸能人では無い。しかし、参考に成る話だ。私は和食でいいかと思って居たが、この際、昼は食パン又は乾麺。たまに外食でいいと思っています。何故なら、外食なら野菜サラダが取れるから。そして体重が摂生したお陰で、痩せて来て居るのだ。4kgぐらい痩せた。内科医が毎月測定をして居るが、血糖値も少し下がったのです。だから、私は加速を付けたいのです。1年で10kg痩せたいのです。
今の病院に掛かった当初。私の主治医は私をとことんバカにした。私が頭が無い何も解らない精神疾患者のバカで、何も知らないだろうと、とことんバカにして来た。私はそんな主治医が嫌だった。でもね、精神科医と言うのは殆んどがそんな医者が多い。初めのうちは私が、「先生。俺は大学2年の時に発病して・・・」と言ったらこう言われた「大学じゃ無いだろう!!途中で発病したんだから高卒と言え!!」何の因果でそこまで言われる覚えがあるのでしょうか?そして何か聞くと怒鳴りまくったのですよ。そして食べても居ないのに太ると言うと、自分が太る薬を出して置いて、「太るのは太るだけ卑しく物を食べるからだろ〜!!」と言うのです。私が兄弟から連絡が何も無いと言うと「兄弟は〜母親じゃ〜ないからねぇ〜!!」と人をおちょくる。今はそんな事は全く言わなくなったが、、それはどうやら、私を見てくれて居る訪問看護師が先生に私が楽器演奏が出来る事。そして本を良く読んで居る事などを言ったらしい。それからだ。言わなくなったのは.....。もしかしたら、このblogも読んで居るかも知れない。私の様なバカは何も文章すら書け無いだろうと思って居ますからねぇ......。
【 謎 】 ぶっちゃけ 精神科医 って何やってんの?
私は前に長谷川病院と言う調布の病院に通って居た、女医に見て貰って居たが、その時も可也太って居た。今回も同じだ。抗精神薬は太る副作用があるのだ。その時は90kgまで体重が増加した。そして、主治医が抗精神薬を外したら、10kg、20kgと痩せて行き70kgまで減ったのだ。私は近所の内科に以前は掛かって居た。そうしたら、その内科医が言うのだ、「あなたに聞いた限りでは、食事は普通ですよ。それなのに2年で30kgも太ったのは、私が調べたら処。抗精神薬のこの薬のせいですよ?精神科の主治医に薬を変えろと言った方がいい。こんな薬を処方されたら太るだけだ!!ほら、私の医師が見る薬の効用の本に書いてあるでしょ。こう.....。」そう言って医者が見る薬の辞典を見せて貰った。それには「精神状態を整えて正常にするが副作用として可也太る事に成る。」とはっきり明記して書いてあるのだ。それで精神科の主治医に薬を変えてくれと言ったら、変えたには変えたが、次に出した薬がまた太るものを出して居る、患者を舐めて居るとしか思えない。それは薬を貰う薬剤師が、此間、私に言うのだ。「〇〇さん!最近もの凄く太ったと言う事無いですか?、今度出た薬はもの凄く太るから!!。」何故、薬剤師の女の子がそう言ってくれたかと言うと。私は彼女と良く話をするからだ。殆んどの精神病患者は薬を飲まされて居る為もあって「あ〜あう、、その〜、」としか言えないのですよ。そして醜く太って居る。知らない人は精神病なんかに掛かる患者だから「あうあう〜か!!」そしてこう言う「頭がもともとバカだから、精神病などに成るんだ自業自得だ!!」と嘲笑うのです。
私は最近知ったのだが、あのロック・シンガーでミュージシャンで俳優でもあるGACKT君は、若い頃。精神病院の独房に入れられて確か1年間か。屈辱的な治療をされて居たと言う。彼はその状態を抜け出したくて、主治医に一生懸命に自分はおかしくはなったけど、一時的なもので、もう独房から出してくれと訴えたが、精神科医は無視を毎回するので、彼はその主治医の言葉を。話し方を、一生懸命真似たのだそうだ。そして主治医と寸分変わらず同じ口調で同じ事を話せる様に成ったそうだ。ガクト君は、私よりは若いが頭が切れる男だ。するとその精神科医は彼に。もう、すっかり治って居るから明日退院だと言ったと言う。精神科の医師らはある意味。独裁的な権力を持って居る。そして自分に逆らう患者は徹底的に排除するのですよ。酷い時は薬に寄って廃人同様にされる事もある。私が病院に入院して居た頃だが、退院したい男が居て。そう言ったら。次の日から点滴をされて居る。そして何時の間にか、独房に入って居た。要するにそれには理由が有って。過激な行動をする患者には、過激な薬を処方するのだ。どう言う薬かって、言いましょうか。ある患者だが、自分の思いの様に成らないと暴れる人が居た、要するにガキなのだ。そして物凄く自分勝手なのですよ。それが病気だとも言えるのだろうけど。彼は、ある薬を飲まされたが、どう成ったと思います。拘束技を着せられて独房に入れられて、薬に寄って、口から泡とよだれが垂れ流れる状態にされたのです。要するにショック療法です。医者もそう言う薬を処方する理由はあるのですが......。まあ、私は何とも言えませんよ。
【壮絶】精神科医だけど質問ある?【実態】
それから、原田芳雄さんも精神疾患があった人でした。大体が役者になったのはどうも人前で、自分の思う事が出来ずに居て。芝居をするとそれが吹っ切れたからだそうです。芝居をすると何でも言えたし。演技をすると何でも出来たのだそうです。彼は役者になり掛けの頃は失語症でした。あの「竜馬暗殺」の撮影時でもそうだったらしい。考えられないでしょう?彼はそんなハンデを物ともせずに役者としてブルース・シンガーとして活躍した。私は原田芳雄さんとGACKT君を尊敬して居ます。2人共に言える事は頭がもの凄くいいと言う事です。特に最近のGACKT君には感服するしかない。若いと言っても48歳だが、まだ若い方です。彼は自分は病気だし。身体が弱かったから、今の歳まで生きるとは思って居なかったと言う。死に掛けた事もあるのですよ過去に。世間の人は芳雄さんはもうベテランだったから、皆んな名役者だと認めて居たが.....。そして2人とも、気前が良くて、本人たちは穏やかで優しく親切で礼儀を重んじる人たちです。そして2人ともボランティア精神がある。原田芳雄さんは年末になると、自宅を解放し餅つき大会をして居たし。ガクト君は30歳を廻った頃から。自分に影響力があるうちに高校生を励ましたい。と高校の卒業式に行って、歌を披露し。高校生たちに訓辞の言葉を贈って居るのです。
最近の私の状態ですが、、blog更新を遅らせたりして居るのは体調が優れない為です。先ほどベネッセから(宅配弁当)電話が掛かって来て。昨日の弁当がドアの横のボックスに入りっぱなしだったと言われて、「ああ、昨日は調子が悪くて。外食にも行くのも億劫でガストからデリバリーを取ったんだっけ、、」と思ってそう言い。すまないと言ったら。「お体。お気をつけて下さいね」と言われた。あそこは必ず声かけの電話が掛かって来るのですよね。ベネッセの弁当は朝持って来るのが8時なんですよ。早すぎるんです。夜の弁当ですよ?何時も寝て居て出られないから。ドアの横にボックス置いて、そこにドライアイスと共に、置いて行って貰う様にして居るんですよね。でも夕方頃に外食とかデリバリー取って仕舞うと、弁当がある事をつい忘れて仕舞うんですよね。まあ、そんな無駄な事も後1年ぐらいで出来なくなります。何故なら生活保護を申請するからです。私は働けません。障害がありますから。だから、生活保護に頼らないともう生きては行けないのですよ。もう持ち金が少ししか無いのですよ。惨めでみっとも無い話ですが。私の父親はとうに亡くなりました。母親は認知症で、今は姉さん夫婦が面倒を見て居ます。私の様な精神障害者は身内には要らないと姉弟の縁を切られました。此の8年間何の連絡も無いです。障害を持つと言う事はそう言う事なんですよ。だから、皆さん。自分たちが如何に幸せなのかと言う事を考えて見て下さいね。生きて行く上で嫌な事やら困難な事もあるでしょう。しかし私の様になったらお仕舞いですよ。どうか日々頑張って下さいね。今回は短いblogでしたが此処までにしときます。ああ、薬の後遺症で眠いのでまた寝ます。また更新出来たら、話を聞いてやって下さい。よろしく。。。。
