新しい仕事場には久しぶりに若い女子学生が3人いる。

A子・・・大学院でITを学んでいる

B子・・・都内A女子大2年生

C子・・・県立4大の1年生

 

彼女たちと接してみて共通点に気が付いた。

それは、会話のレスポンスが スマホのテキスト仕様 であることだ。

テキスト仕様とは・・・彼女らの返事の文体ならびに文字量が

(LINEにおける会話交信と恐らく同じだろう) と思わせるからだ。

 

仕事上での知り合いであるから友人という関係ではない。

唯の知り合いだ。しかもこっちは50以上も年長のジジイである。

彼女たちから話しかけられることなど一つもない。

(仕事上の依頼は別だ。声は掛かる)

 

コロナ禍の大学事情がどうなっているのか

単純な疑問から現状を聞いてみたりするが、

返事はあるが 会話としての進展は全くない。

そもそもが、受け身一方であって発信がないのだ。

これでは ハナシに花が咲く などあり得ない。

 

世間話がそういう状態であるのは理解できるが、

社長との仕事上の打合せでも同じなのに驚く。

(そこに思いはあるのか?)

(あなたの意志はどうなの?)

(指示に対して了解はするけれどその先の納得とか工夫とか提案とか

あなたから店に対して発信することはないの??)

 

聞いていて思うのは、

そこには 個性も意思も温度差もないのか??

という疑問である。

関わり方に対する価値観の差だろうか・・・

 

それは接客時にも現れている。

お客さんに対しての 体温(愛想かも知れない)がない。

お盆の代わりにスマホを持って

客への返答・対応をテキストで打ち込んで画面を見せている 

そんなシーンを見ているような錯覚に陥って

ハラハラさせられる場面もあるのだ。

 

恐らくは・・・

コロナ禍で自宅缶詰が永くなり

対面での対人関係がさらに希薄になったことも

その対応能力の衰退に拍車をかけたのだろう。

が、本人たちはそれを知らない。

なぜなら、関わる周りそのものがそうだからだ。

 

A子は大学院の研究室で少ないながらも対面関係を持っている。

B子は夏から就活に入るそうだが、これは他人との対面だ。

C子は高校最後からリモートになり、そのまま進学、

対人関係のないまま進級することになった。

 

60の社長と70のジジイは

「せっかく縁あって 店の中で一緒に仕事する場を持って

お客という生身の他人さまと接する機会があるのだから、

テキスト関係ではない、血と温度の通った対人関係を

体験してもらいたいものだ」

なんていうことを話したりしているのだが・・・

 

当人たちにとってみれば 

(小さな親切大きなお世話)なのかもしれない のだなあ~

だとすると、これは

昭和おじさん昭和ジジイのノスタルジーで終わるハナシなのか・・・