桑田さん+4人のロックン・ロールバンドが話題になっている。

66歳の同級生たちが6月6日に発売した6ックン6ールだ。

彼らのPVを見ていると、エレキバンド最盛期の あの頃 が蘇る・・・

 

1969年70年は日本における洋楽ロック爆発の時代である。

GSのエレキブームが火付け役となり、

日比谷野音がロックコンサートの聖地になった。

フリーコンサートや10円コンサートが開催され、

その熱気は大学の文化祭へ受け継がれていった。

 

町田市の山奥に和光大学の学舎が誕生した秋の文化祭に

アマバンのワタシたちも呼ばれて出かけて行った。

そこで出会ったのがブルクリ当時の竹田和夫だ。

実はもうプロデビューをしていたブルクリは、

当時のアマバンの兄貴株セミプロとして有名だった。

その時19歳。私たちと同年齢である。

ステージで彼が弾いたジェフベックの

「グリーンスリーブス」の完コピは忘れられない。

当時のバンドといえば、ヒーローはギターであった。

エレキギターあってのエレキバンドである。

竹田和夫のテクとブルースのテイストはすでにカリスマ的だった。

 

その少し前に、芝浦工大高校で18歳の高中も見ている。

文化祭で演奏していたのはテンイヤーズアフターのコピーだ。

アルビン・リーの速弾きを完コピしていた彼のテクに圧倒された。

この寡黙なギター小僧は、それからすぐに成毛滋と出会ってプロになった。

 

文化祭というのはアマバンの浮世風呂である。

ライブハウスのなかった時代は「風のうわさ」が情報源だった。

「どこそこのだれだれのギターはすごいらしいぞ」

「聖ロック祭で見たXXXのギターはよかったなあ」

そんな具合で、ハナシの中心は常にギターだった。

 

その頃の風のうわさで持ちきりだったのが、

16歳だったチャーと18歳だった渡辺香津美だ。

チャーはギター教則本でクラプトンのコピーを録音していたし、

カズミはヤマハのジャズギター教室経由で世間に知られていった・・・

 

あのギター少年たちのその後の活躍を思い返すと、

あの頃の彼らのギターの音を生で聴けたことが、

何よりも大切な思い出であることを知らされる。

50年以上が過ぎた今、

桑田+4人がPVの中で演じる 教室でのバンドごっこ は、

同世代のエレキ小僧だったジジイたちの琴線を刺激するに違いない。

 

(そうそう、そうだった!そうなんだよ!・・・)