会社近くの日本そば屋のはなし。
 
老いた母親と(嫁に逃げられた)いい年の倅の二人で切り盛りしていたが、去年
 
病院にいる父親の具合が悪くなり、母親(かみさん)はそこに詰めることになった。
 
これまで、母親が一人で調理場を駆けまわり、そこそこの味と体裁を守っていたので
 
近いこともあり、また、自家製のそばが好みの「こし」なのでよく食べていた。
 
倅は配膳と出前に終始していて、ジャージにTシャツにサンダルと、
 
不潔ではないが清潔感もない、まあ、可もなく不可もない、そんな店だった。
 
 
 
さて、一人きりになった倅は、調理と配膳と出前と一切の営業業務を担う羽目になった。
 
当然のごとく、明らかにサービスの質は低下した。
 
昼は限られた時間でのこと、できるのが遅い、片付けが後手になる、あげくは
 
客に 「出前に行ってくるからちょっとお願い!」と留守にする始末だ。
 
近所のお馴染みさんジジババはともかく、こっちは昼休みという枠の中での食事だ。
 
倅がもどるまで(会計できるまで)待っているその「マヌケな図」を想像してほしい。
 
 
 
この店の(倅の)一番の問題は、
 
サービスの質が下がった事実を全く認識していないところだ。
 
「味はいつものとおり」だから「値段もいつもどおりでしょ」とくる。
 
そうなのか。ここの値段は「味」の対価であったわけだ。
 
さすれば、「この値段は 高い!」であるわけで、高すぎるために行くのを辞めた。
 
倅にはこう言った・・・
 
「おかあさんが作ってくれて、あなたが配膳しての値段だから納得していましたが、
 このサービスで同じ値段というなら、それは暴利であると思うよ」
 
倅の答えは前述の 味うんぬん でした。
 
 
 
客にもらった金をつかんでレジに放り込み、
 
その手で そばをつかんで盛り付ける。
 
バイクのアクセルを握った手で
 
セットの おにぎりを 握るのだ。
 
 
 
商売というのは誘惑の坩堝である。
 
いかにそれと戦い、自分の店を守るかにかかっている。
 
この倅には 商人としての矜持がない。
 
衰退していくのは目に見えている。
 
母親の人柄のように、こざっぱりとした小さくてもいい店だったが
 
汚れていく、荒れていく、堕ちていく、それを観るのは実に悲しい。
 
個人店は 大変なだけで、喜びの少ない時代になってしまったのだろう。
 
90%は 「エサとメシの違いがわからない」 客の方に罪がある。