先日、娘と近所の「やよい軒」で夕飯を済ませた。
カミさんがいなかったのと、朝刊に「新作メニュー」のチラシ(サービス券付き)があったからだ。
私はいつもの「そば屋」を推したのだが「サービス券」の魔力に負けた娘の後に従った。
「やよい軒」は注文をいただいてから調理する手作りをウリにしている「食堂」タイプの定食屋である。
この手では町の名前を冠にした「OOO食堂」チェーンと双璧だろう。
で、その帰り道のこと・・・
「やよい軒は まずくないけど 別においしくもないよね~」 と娘が言い出した。
「食べたときに (あ、これおいしい!) とか (うれしい) という気持ちにならないのは
どしてだろう? 家のごはんだと (おいし~) って声がでるけどね~」
***さて、、私もカミさんも決して「グルメばか」ではない。
単に 食べることが好き なだけの くいしんぼ です。
そんな家庭に育った娘が外食後の夜道で「メシのはなし」を振ってきたことがうれしかった。
「食べる」という 下品で恥ずかしい行為 についてアレコレ語るというのは、ある意味、
自分のことを振り返る「自己確認チェック」であると思っている。
(極論だが、、私は 食い物のはなしができないヒト とは おともだちになれませんな)***
「そうだね。今日もただ黙って食べて終わったね。まずくはないけどね。
おまえが言うところの (別にうれしくない) っていう感覚はすごく まとも だと思うよ。
かあさんのご飯はいつも うれしいんだろう? それがフツーだよ。
あそこの調理人は おまえのために作っているわけじゃないからね。
今、自分が作っているコレをどこのどんなヒトがどんなふうに食べるかなんて想像もしてないし。
ひとことで言えば 「愛情の差」 だろうね。
かあさんは 家族においしいものを食べさせたい っていうことをずっと何十年も続けている、
これはすごいことだよ。オトコにはないチカラだと思う。
商売でもなく、ギャラが出るわけでもなく、ただただ作り続けているんだからね。
そういう家で食べてきたんだから、おまえもそういうおかあさんになって、ダンナや
子供を まともな食生活人にしなくちゃだめだよ」
「そうだね」
「やっぱりいつもの おそばやさんにすればよかったね」
「あそこのオヤジは食べてもらいたい!っていう気持ちを込めて作っているね。
だから跡継ぎの倅にも厳しく教えているし、かれらの接客や目のチカラがいいだろ。
居心地がいいからハナシも弾むし時間も経つのが早いよね。
くいもんや は、ああでなくちゃいけない。あれが「ごはん」だ。
今日のは ごはんじゃなくて 「えさ」 だったな~
出てきたものを黙々と口から入れて おわり! みたいな・・・ うれしくはなかったね」
かくのごとく・・・私のところでは外食のあと必ず「今回のごはん」についてアレコレと話し、
「選択ミス」の責任の擦り合いをすることが恒例になっています。
常に「個人店」だけを推す私ですが、
「また そこ~ 飽きたよ~」 と却下されることがほとんど。
しかし、結局は「ミス」の連続であることを検証しないのがオンナどもの強さです。
コンビニ・スーパー・ファミレス・ファストフード・居酒屋・・・町にあるのは「顔の見えないチェーン店」ばかり。
愛情を食ってないから「キレる子供」ができる・・・これは正しい理論だと思うがなあ~